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田所:「分離派」の位置付けについて 池田:様式に則らず自由でありたいという芸術がまず現れた。その後自国のアイデンティティや政治的背景が付与されていき、更に分離していく。オフィシャルにアクセスできる芸術であり、彼らの功績。
2016-10-30 17:24:33水沢:ヴァーグナーはウィーンの都市スケッチにおいて詳細に描写する。文化的空間、それもセセッションの作品を包含する巨大な夢があったのではないか。 #分離派
2016-10-30 17:29:02河田:ヴァーグナーは晩年カールスプラッツの仕事を執念深く行った。仕事がなかっただけに没頭できたのではないか。 #分離派
2016-10-30 17:32:37田所:伊東忠太がヴァーグナー建築について「形を見ず心を見よ」と言った理由は 河田:形態は古臭くなるが、合理主義精神として建築を見るべきだという示唆ではないか #分離派
2016-10-30 17:36:27福田:歴史家が「〇〇主義」と様式を定義することに問題があるのではないか。工芸品の命名の仕方は 池田:作家主義の作家たちは自分でネーミングをつける。美術館が勝手につけることはない。#分離派
2016-10-30 17:41:31質問:日本は資本主義の進展から分離派建築会のような運動も同調し建築家の職能が定義されていったが、西洋の分離派における芸術家の職能、立ち位置の変化は? 池田:マーケットの誕生。ギャラリーの活動であり、展覧会であり、雑誌の批評が経済活動としての芸術のシステムとして成立した。 #分離派
2016-10-30 17:48:13水沢:ウィーンの画商は売れず、良い画商はベルリンにいた。高村光太郎は商魂逞しい父親と喧嘩になる。分離派が世界の芸術界において動きをもたらした。 #分離派
2016-10-30 17:52:14ヨーロッパの分離派の理解を深めようとすると、日本の分離派はヨーロッパとは様相がちがってる気がして来て、そもそも彼らは分離してたの?みたいな疑問も確かに抱く。「自由でありたい派」とか#分離派
2016-10-30 17:23:06分離派100年研究会連続シンポジウム第1回「分離派とは何か—分離派建築会誕生100年を考える」オットー・ヴァーグナーにとっては散々な?半日だったけど。郵便貯金局!。わたしは好きです!。武田五一。絵うますぎ!
2016-10-30 18:39:082001年に行われたらしい企画展「ウィーン分離派1898-1918」のカタログを、下北沢の古書店で手に入れた!これはいいカタログ… pic.twitter.com/sCettvWuBk
2016-10-31 02:04:43