杉田俊介著『非モテの品格』に関する藤田直哉さんのツイート

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藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 @naoya_fujita

杉田俊介『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』(集英社新書)読了。……欠点を指摘するのも容易い本だし、疑問もあるけど「非モテ」の苦しみ、男性の弱さの言語化にチャレンジした本で、「男性差別」とか「恋愛格差」とか言ったり、フェミニズム叩きをしている男性は必ず読むべき本かも。

2016-10-26 23:47:31
藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 @naoya_fujita

『非モテの品格』は、おそらくは、語り出しの勇気の一歩で、非モテの苦しみ、男性の苦しみ、自己嫌悪、身体嫌悪、アディクションなど、「弱さを直視できないという弱さ」を克服しようとする語りの努力そのものに感化を受けて、変わる人には、救済の本になるかも。

2016-10-26 23:49:08
藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 @naoya_fujita

「女性」のあり方が解放されていくように、「男性」のあり方も解放されて良いのだ、そのために、自己の中に内面化されてしまった規範を徐々に解きほぐし、解放していく試みを行っている著者の身振りこそが重要な本。語り出しの第一歩という気がする。「男性差別」や「フェミ批判」の人は読むべき。

2016-10-26 23:50:51
藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 @naoya_fujita

男性の解放や、新しいあり方がありえるかもしれない、そのためには、自身の苦痛や弱さやダメさを言語化し、見詰めるところからスタートしなければいけないという態度は、ぼくも見習いたいかなと思った。内なる男性らしさに縛られないような自由で解放された在り方に変わっていけるかな、と思った。

2016-10-26 23:54:12
藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 @naoya_fujita

男性の苦痛、男性の不自由、苦しみなどなども言語化されているので、「男性の苦痛が無視されている!」という思いを持っている人は、読むといいかも。……第三章で訪れる、ある種の救済のような、啓示のようなものを共有できるのかは、結構意見が分かれると思う。

2016-10-26 23:56:34
藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 @naoya_fujita

語り自体が、死の欲動のような反復を繰り返しながら、いかにして自己破壊・他者への暴力、アディクションから逃れて、「死の欲動」の破壊性を飼いならしていくか、別のものにしていくかという試みのようで、多分、内容レベルよりも、この「死の欲動」の飼い慣らしの試みのような形式に興味が惹かれる。

2016-10-27 00:00:15
藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 @naoya_fujita

男性が、自由に「弱さ」や「痛み」を言葉にして発することができるような環境ではない、ということの問題もあるような気もしてきたな。被害の訴えもできず、しても叩かれたり疑われたりするような環境では、弱さを言語化できるどころじゃない。弱みを見せられない、という意識に「ならされている」。

2016-10-27 00:07:45
藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 @naoya_fujita

非モテの問題は、非正規雇用化が進んだり色々したせいで、旧来の「家族」のあり方を維持することができなくなったせいだよ、って話もあって。だから、今まで通りの、家族や結婚、子育てにおける「男はこうあるべき」という価値観を変えるしかないよね、ってのは、それはそうかな、って思った。

2016-10-27 00:16:30
藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 @naoya_fujita

芸術やエンタメや表現は、感性・認識のレベルに影響を与えることによって政治的効果を持つんだよ、ってずっと繰り返してるけど、「みっともない」とか「不快」と思う声(美的、感性的次元)が具体的に政治的な効果を持つ現状を見れば、実感としてわかりやすいと思うんだが…

2016-10-27 12:32:58
藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 @naoya_fujita

全ての表現は、感性・認識に影響を与えることを通じて、極めて「政治的」である。だから、その個人、社会に対する効果から逆算して、作品は吟味(批評)されなくてはならないし、その吟味にイデオロギーが入らないようにするのは原理的に不可能だし、結果を表現する行為もまた政治的闘争への参加になる

2016-10-27 12:50:54
藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 @naoya_fujita

個体の感性・認識に影響を与えることで、集団の感性・認識も変容していき、制度や法などにも影響を与える。そういう闘争の中において、どの表現が政治的に正しいのかは、どんな未来を理想と思うかによって違うし。その理想像の差も、感性・認識の差に拠るから、循環的でややこしく。

2016-10-27 13:01:45
藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 @naoya_fujita

美学(感性・認識の学)というのは、その効果を考える学という側面があり。感性・認識のレベルの個体差の反応(それは、その個体にとっては意識化されにくく、強固なものとしてある)が人間の集団は意思決定に影響及ぼしとるんだから、そこに影響与えるものは、政治的であるに決まってる。

2016-10-27 13:02:29
藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 @naoya_fujita

……ということを、多くの人間が表現者になれるようになったネット環境の発達の必然として意識化せざるを得なくなったら、そのような自己言及的な認識を持つ個体の絶対数が増えて、そのことによって社会がどのように変容を遂げるのやら、楽しみですね。

2016-10-27 13:06:40