2016年11月3日
日本の近代化に重要な役割を果たした横須賀製鉄所(造船所)の歴史を振り返るため、日本遺産構成文化財である米海軍横須賀基地内にあるドライドックを徒歩で見学するツアーが開催されました。
事前申込制で30分間隔、12回実施。各40名(合計480名)の参加枠。
青葉が申し込みをした9月下旬(締切は9月29日)では、申込み番号が2000少し手前でした。
それから推測すると4倍少しぐらいの倍率ではないかと思われます。
おはようございます。 今日は、米海軍横須賀基地内にあるドライドックの見学ツアーに参ります。 その様子は随時こちらでつぶやくつもりです。 写真は昨年のです。 今年はカメラを新調しているので、もっとよく見える……といいなあ。 #横須賀が好き pic.twitter.com/J3YGCPr9wq
2016-11-03 06:41:17 1号ドックと3号ドックは数か月前から扉船を開放して海水で満たし状態が続いています。
風雨による劣化が進んでいるという話も聞いているので、その予防策なのかもしれませんが、詳細は不明。
そもそも海軍工廠は日米修好通商条約の批准書交換のために渡米した小栗上野介忠順公がワシントン海軍工廠を見学し、日本にも造船施設を作るべきだという考えに至った事に起因するそうです。
同じタイミングで咸臨丸で渡米した勝海舟は、船なんて外国から買えばいいじゃんと主張したとのことですが、小栗公の意見が通ります。
当初はアメリカに支援を要請したそうですが、折しもアメリカでは南北戦争が始まり、日本に支援するどころではなくなってしまいました。
ちなみに遣米使節が渡米したのは1860年。
南北戦争は1861年~65年。
南北戦争終結により余った武具がグラバーを通じて薩長に渡り、倒幕に使用されたという話を聞いたことがありますので、南北戦争の始まりと終わりがズレていたら日本の歴史は変わっていたかもしれませんね。
閑話休題
幕府の要請に応じたのはフランスでした。
フランスは若干26歳のレオンス・ヴェルニーを首長として派遣……とは言われておりますが、個人的には極東の島国に年を経たベテランは来たがらなくて、若い連中が一山当てようときたんではないかと邪推。
ヴェルニー氏には現在の価値換算で1億円の年俸が与えられたそうです。
1号ドックは慶応3年(1867年)に建設着工。設計はヴェルニー氏とその部下L.F.フロラン。
もともとの設計図では海を埋め立てた場所に建造する予定だったそうですが、ヴェルニー氏が設計中に地震を経験したのかどうか、強固な地盤に建設するように変更され、そこにあった山を削って建設されました。建設現場からはナウマン象の下顎の化石が日本で初めて発見されています。
江戸幕府の大政奉還を経て王政復古が宣言され、ドックは新政府に接収されますが、新政府の命により建設事業は継続されます。
1号ドックは真鶴から熱海付近の山から採掘された石を使用し、セメントで固められていますが、当時はセメントは全部輸入に頼っていたため、石の代金の3倍かかったそうです。
DASH島で使ってた三和土とかじゃダメだったんですかねえ。
完成は明治4年。
現存のものは昭和10年~11年に延長工事が行われ、船首部分はコンクリート製になっています。
2016年6月に放映されたブラタモリ横須賀編でタモリさんが底に降りたのが1号ドックです。
戻って来ました 今回のレポートはこれにて終了です(* ̄∇ ̄)ノ pic.twitter.com/PyGS053UeF
2016-11-03 13:03:27