エチケットは無駄な争いやもめ事を起こさないように考えられた知恵である。エチケットに縛られているのではなくてエチケットに助けられているのだ。
2011-02-26 11:58:45ある本に興味深いアンケート結果が書かれてあった。「わたしは案外に革新的な考え方をするけれど他の人たちは保守的なんじゃないかな」と大多数の人が答えるそうだ。ふつうはどこに収まるんだろう。
2011-02-26 11:34:27三日会っていない人は刮目(かつもく)して見なさい。ということわざがあります。 刮目とは目をこらしてよく見る事。 人は三日会っていないと成長しているという事。
2011-02-26 05:18:48わたしが書いているのは、いいデザインができる方法ではない。いつかぱったりと一ミリも成長を感じない時がくる。その時に整理したり捨てたりすると、成長と同じような感覚が得られて元気になれるという事だ。大きくなれないなら、自分を小さくする事だ。
2011-02-26 00:40:45言葉には二種類ある。わたしという事が大事な言葉と、わたしでなくても良い言葉。 デザインも同様に二種類ある。私でなくてはならないデザインと、私でなくてもかまわないデザイン。誰かではなくて気がついたものが言わなくてはいけないしデザインしなくてはいけない。
2011-02-25 19:16:47才能は一つの代表作で大体わかる。二つも見れば十分である。見るべきモノが三つも四つもあるというのは脅威であって間違いなく国を代表するデザイナーだろう。三つは大いなるハードルである。
2011-02-24 12:11:40妥当という言葉は案外妥当でない場合に使われる事がある。「妥当なデザイン」と言われたら、また新たなアイディアを考えるのが「妥当」だろう。
2011-02-23 19:41:20ツィッターはデザインです。ここはデザインとデザインの隙間を語る場所ではなく、ここに載った全てがデザイナーの「デザインセンス」とみんなから思われている事を意識する必要がある。
2011-02-23 18:51:15製品のデザインにはふたつの「距離」がある。5メートルと50センチ。5メートル先でもわかる個性と、50センチに近づいてもがっかりさせない仕上がりの良さ。
2011-02-23 11:28:56新製品を送り続けなくても思い出してもらえるデザイナーになりたい。新製品は会話のさいしょにつく「あっ思い出した」の「あっ」みたいなものだ。思い出してもらえる為には結局「あっ」という新製品は必要なのである。
2011-02-23 11:15:46わたしには製品がヒットするかどうかはわからない。考えるのはその製品をもらってうれしそうにしている様子や、毎日使ってくれている場面の浮かぶ製品をデザインする事だ。
2011-02-23 10:30:36わたしが45年も使い続けている果物ナイフには、ふたつの長持ちの理由がある。ひとつは刃物として高品質である事と、果物をむく以外にあまり使えないという事にある。
2011-02-23 10:16:21ドラッカーは言う「経営者にカリスマ性は必要がない」。デザイナーにもカリスマ性は必要ない。生まれた製品にもカリスマ性は必要がない。 成功したものを讃えたくなる気持ちがカリスマの正体だろう。
2011-02-23 09:48:31まわりの手放しの賞賛も、その外側にある過酷な批判のどちらもデータにはなり得ない。それらは感想ではなくて「感情」の発露でしかない。それは足すといつもゼロになる「愛の数式」のようなものだ。
2011-02-23 08:51:26自分がさせられたくない事は、人にもさせたくない。自分がしたくなる事は、人にもそのたのしさを共有して欲しい。ただこれだけの事だけれども製品のカタチを決める重要な要素になる。
2011-02-22 20:19:51成長した今でも出来ない事は、未熟だったあの時にはもっと出来ない。 過去を美化するな、未来に期待をするな。今と一分の一で向かい合うしかない。
2011-02-22 16:12:47的を得た褒め言葉は、的確な批判より数倍難しい。褒め言葉は受け取った相手に何十倍ものチカラを与える。ただ褒め言葉は的を得ていなくても数倍のチカラにはなる。
2011-02-22 10:41:17