【宥学会・遊学塾】第34回「自由の可能性と不安の時代における思考のテクネー」講師:藤井雅実[実況]
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藤井「現代美術はマーケットが用意されていないがそれをキュレーターという媒介者を使いつつ作るという怪しげなものだ。しかしその作品には社会性や政治性あるいは美的・装飾性があっても良いという価値が求められる
2016-11-11 20:52:47藤井「自分の足元を照らし返すことが現代美術への成果となるが、行き着くところまできてしまえばば、リフレクション機能が困難となる。建前上自由なポストモダン状況がそれだ。その症例としてキュレーターというシチュエーションがある
2016-11-11 20:53:59藤井「しかしキュレーターが悪いのでなく、時代がその活躍を呼び寄せる構造である。批評の構造が薄れているからだ。かつてなら言葉をもって世界構造や人々の展開を予知したが、あなたはそう思うだろうで終わってしまう。
2016-11-11 20:55:42藤井「キュレーターの時代ではお祭りをどのように仕立てるかが問題で、さらに国際マーケットへどう売り込むかが大事な問題とされてしまう。そこで政治性や社会性が問われるがそれこそキャッチーなもので真に問われる必要がないものだったりする
2016-11-11 20:56:09藤井「リフレクション、それはリフレクション自体をリフレクションするという世界の捉え方でテクネーだ。西洋近代は独特な捉え方で鍛え上げてきたものだ。
2016-11-11 20:58:54藤井「ゾンビ化したというが、近世から近代始まりまで感じることがコアにあったはずだが、感じ方より何がどう変わったか世界の捉え方を変えたかどう人を動かしたか、そこにアヴァンギャルドが移行した
2016-11-11 20:59:36藤井「モダンの流れからいえば、シュルレアリスムよりダダの方が徹底していると言われてしまう。とはいえその捉え方は少々問題だが。
2016-11-11 21:00:42藤井「象徴派が印象派より弱いってのがモダンだろうが、しかしそれは偏見だろう。別個の価値基準がありそれぞれ共通するのはモローのテクネーがある。例えば彼はアンフォルメルの先駆者で即興があるが、作品として提出はしてはいないが、、、
2016-11-11 21:01:52藤井「モローやクリムト、ビアズリーのサロン派技巧を独特に装飾的洗練させたが、美術が視覚的美しいと感じさせるだけでなく象徴的効果を洗練させた。これはテクネーゾンビでなく、描きこまないとそれは起きない
2016-11-11 21:02:54藤井「ゾンビの段階となればテクネー自体の開発となる。キュレーション環境と折り合いつけるか戦うかというマネージメントテクネーそれが美術家の課題となる。僕のような世代からすれば若い世代は本当に大変だなと思う
2016-11-11 21:03:49藤井「たとえばネットの承認要求とかも今の作家には必要で、LINEやtwitter、あるいはfacebookで立ち位置を変えて発言したり、、、
2016-11-11 21:04:51藤井「なんでも自由という表向きの建前に対して、なんでも自由だという振る舞うのが大変だ。例えばミクシィが11年前に起こるが急速に大変度が増していくが、そこでどれを省略しどれを活かすか、自分のテクネーがもっとも生かせるポイントは何か、それを工夫することが重要だ
2016-11-11 21:06:13藤井「今の若い人達は情報の辛みというか、朝から晩まで情報に晒され、昔のようなイズムがないまま、どう方向を探るのか・・・
2016-11-11 21:07:44受講者「いかに感じずにいられるか、、、 受講者「僕らだったらいかに感じるかってこと徹底するんだけど 受講者「タイムラインを一つ一つ確認して感じていたら死んでしまうw
2016-11-11 21:08:31質問「美学的ゾンビについて。作り手と見る側もそうか? 藤井「ゾンビでない人も感じるだろう。言説無くてもミニマルアートは語れるが、コアな部分つまり歴史的意義ある部分としては感じることとは関係ない
2016-11-11 21:09:51藤井「ジャッドの作品には美学的配慮はあるはずだ。しかし美術史上には形と色へ徹底した還元と場所への言及であり、空間配置の美しさなら構成主義を考えればもっと優れているものはある、だから意義がある部分は感覚よりもゾンビ部分だ
2016-11-11 21:11:20藤井「形式という日本語は面白い。フォルムやフォーム。形は結果で、式はそれをだす公式のような。陰陽師では式をうつというがそれにより相手の状態を変化させるのだがそれは言語学的に納得のいくもので、それはクールベの宣言文に近い。
2016-11-11 21:14:26藤井「つまりイズムとは「式」であり、このように世界を捉え返す「式」だと考えれば分かりやすい。シュルレアリスムは印象主義でもリアリアズムでないという「式」だ。
2016-11-11 21:15:40藤井「フォーマリズムは絵画を徹底させるもの、アヴァンギャルドは日常世界を異化させるもの、そのような神を信じなさいと。しかしポストモダンではそんな神の権威はないいない、と式をうったのだろう
2016-11-11 21:16:57