- yuuyake_kinngyo
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まあ、仕方がないので。この前『新世界より』のアニメを見終わった後、ニコニコの大百科のコメント欄とか見たんだけど、バケネズミ側に共感している人がいて驚いた。しかもその人だけじゃなく多数派くらいの勢いだった。
2015-06-01 23:17:49自分にはバケネズミ側に共感するなんて発想がひとかけらもでてこなかったので本当に驚いた。でも、旧人類=自分たちなわけだから、共感するのもおかしくはない、と思う。
2015-06-01 23:19:12ただ、読んでいる人間としては主人公たちに感情移入しているわけであり、最後にネタばらしされても、主人公たちと同じで、同じ人類には見られないなあと思ってしまう。
2015-06-01 23:20:39で、新人類側に異様に敵意を向けているコメントなんかがあったりして、いやいやお話の世界だろと思った。それはさておき、人類が存続していくにはああするしかなかったし、これからもああしていくしかないんだろうなと思う。
2015-06-01 23:23:50結局のところ、呪術能力者は生まれてしまうし、それを旧来の社会制度では抑えられない以上、ああいう社会にするしかない。アニメじゃ言わなかったけど、バケネズミ側にすら呪術能力者が生まれるんだから。
2015-06-01 23:26:32あれはダブルミーニングで、バケネズミの正体が明らかになったら意味が変わって取れるっていうのが主流で(このページの最初とかkogikuna.exblog.jp/23047030)、ネットで新世界よりの話を見るとそういう意見が多い。
2015-08-21 22:37:53アニメのあの獣人めいた姿に感情移入できるのか? という話。それにバケネズミ自体の描写が少ない。人語を喋るバケネズミは野狐丸と奇狼丸の二匹だけで、あとは何を言っているのかわからない。愧死機構が働かないという設定通りだ。
2015-08-21 22:42:37そこで主人公がどうしていたかを考えると、最初から最後まで自分(たち)に振りかかる脅威と戦っていたのである。外来種のバケネズミであったり、町のルールであったり、業魔であったり。
2015-08-21 22:46:03序盤においては、自分たちの生き死にを決められる大人たちは神に見えていただろう。しかし、成長し大人の側に立ったことで、大人たちの方が子供たちを恐れているのだとわかった。真里亞の置き手紙なんかが顕著な例。
2015-08-21 22:48:54大人たちは業魔や悪鬼を恐れているのだけれど、一方で対策を取っていれば大丈夫と信じている節もある。主人公たちを処分しようとしたり、人間でないバケネズミを甘く見ていたり。
2015-08-21 22:54:04もっと言うと、真理亜の子供を町の誰もが悪鬼だと決めつけていたのも、そういうことだと思う。覚でさえも悪鬼だと信じて疑わなかった。そこに早希だけが疑問を持った。
2015-08-21 22:58:10結論を言うと、町の大人たちが信じて疑わない共同幻想こそが『偽りの神』だろう。悪鬼は悪鬼、危険分子は危険分子、と偽りの神が提示することに唯々諾々と従っている大人たちは脅威に対抗しきれなかった。
2015-08-21 23:05:39大人たちではなく、大人たちが信じてやまない共同幻想に異を唱え、脅威への対策を取っていく。たとえそれがバケネズミを生むようなことだとしても、生存を目指して一つずつ歩いていく。それが『偽りの神に抗え』ということではないだろうか。
2015-08-21 23:10:20新世界よりの感想をネットで見ていると「偽りの神に抗え」というキャッチコピーが実はバケネズミ目線、で止まってしまっているのがどうにも解せない。
2016-01-06 11:05:38面白いのは、作中では愧死機構が発動しないようにバケネズミをあの姿にした、そのことで発動しなくなった、となっているけど、実際の人間はそこに人間性があれば共感する、バケネズミ相手であっても愧死機構が発動するだろうっていうこと。
2016-01-06 11:07:15「新世界より」っていうアニメ見たんだけど - MAG速 magsoku.blomaga.jp/articles/67422…
2016-09-02 10:13:47