駆逐艦竹の見た第五次多号作戦
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鈴木掌水雷長は左腹部に弾片を受けたらしくて、最初のうちは艦長や水雷長の呼び掛けにもはっきり応じてたんだけど、負傷から30分くらいで死んだんだ。腸を切ったのか心臓を抉られたのか……
2016-11-25 23:39:44最終的に戦死者は15名。本当ならマニラに帰投して荼毘に付すべきだったんだけど、あたしにはそこまでの余裕は残ってなかった。やむを得ず水葬にする事になったんだ
2016-11-25 23:42:36もうこうなってくるとこれ以上の作戦遂行は困難になってくる。艦長はマニラの曾爾司令に電文で戦況報告して、それから先任将校の志賀水雷長、航行を担当する高井航海長と桜井機関長、それに戦闘指揮を執る可児砲術長の意見を聞いてこれからの行動を決める事にしたんだ
2016-11-25 23:46:56水雷長は「積極的に任務を遂行すべき」、航海長は「ジャイロコンパスが壊れててもマグネットコンパスで進路は取れる」、機関長は「燃料漏れで片道航行になるかもしれない」、って。三人とも命令ならばレイテ突入する覚悟あり、って意見は一致してたんだ
2016-11-25 23:50:32砲術長だけは「敵に発見されている以上、味方機の直掩もなしにシブヤン海に突入しても犬死するだけ。一旦基地に戻って出直すべき」って反対意見を述べてたんだ
2016-11-25 23:53:15艦長としてはこのまま進撃しなければならない、って考えていたらしくて、9号に対して手旗で「進撃できるか」と聞いたんだ
2016-11-25 23:55:01そうしたら、9号は命令ならばお供するとは答えたんだ。ただ、航海長と砲術長をはじめ死傷者多数、しかも大発を降ろすワイヤも切れてそもそも荷役をするだけの能力も失われてたんだ。これじゃ、たとえオルモックに到達しても無駄足になるのは火を見るより明らか
2016-11-26 00:03:06結局艦長は撤退を決断して、マニラの司令には損害報告をした上、あたしと9号とで一旦マニラに引き返したうえで負傷者の陸揚げと燃料搭載をして27日に改めて出撃し直す、って胸を打電したんだ
2016-11-26 00:06:12それからバラナカン湾に戻って沈没した6号と10号の乗員と陸兵を救助する事になったんだ。幸い全員島に泳ぎ着いてたから、大発を何往復かさせて収容したんだ。ただ、2~3人ボアク島の友軍に連絡に行った陸兵がいて、それだけは戻っては来なかった
2016-11-26 00:08:45パラナカン湾を出ると、あれは飛行艇なのかな、大型機があたしの上を超低空飛行してくるんだ。艦長の命令で機銃射撃をしたら、命中こそしなかったけど威嚇にはなったのかな、追っ払う事には成功したんだ
2016-11-26 00:11:23そいつを追っ払った後、あたしはミンドロ島の西側を回ってマニラに戻る事にしたんだ。何せジャイロコンパスもなしに水路の複雑なベルデ島水路を通過するなんてとてもじゃないけど危なくてやれたもんじゃなかったからね
2016-11-26 00:14:57ミンドロ島の西側を北上している頃かな、司令部から入電があったんだ。パラナカン湾を出た時の状況報告から、きっと了承の内容だろうと思ってたんだけど……
2016-11-26 00:19:32……とんでもなかった。「最善を尽くしてオルモックに突入せよ」、って。んな事言われても負傷者の多さや9号の損害を考えてたらとてもじゃないけど今更オルモックに行こうだなんて出来やしない。艦長は全ての責任を負うつもりで命令を無視、そのまま翌日にはマニラに到着したんだ
2016-11-26 00:21:33マニラに戻ってみると、出迎えに来てくれた曾爾司令は手を取らんばかりに喜んでくれたんだ。何でも司令の方も南西方面艦隊の有馬参謀長の強硬さに辛い思いをしていたらしくて。戦史叢書だと大河内長官が帰投指示を出した事になってんだけどね……
2016-11-26 00:31:33あたしの係留の後、すぐに艦長は南西方面艦隊司令部から出頭命令が出てそっちに向かったんだ。道々切腹の覚悟を自問自答しながら、軍刀片手に歩いてったそうだよ
2016-11-26 00:33:58結局、それも杞憂だったみたいなんだけどね。詰問責めどころか、先任参謀の高馬大佐は艦長の顔を見るや一言、「ああ、貴様か。ご苦労だった」としか言わなかったらしいんだ。余談だけど、高馬大佐は宇那木艦長の少尉候補生時代の主任指導官だったそうだよ
2016-11-26 00:37:30艦長は参謀達に申し訳ありませんと謝罪して報告を行い、それから爾後の打ち合わせをして司令部を出たんだ
2016-11-26 00:39:10その頃艦内は緊張した空気が蔓延してたんだ。艦長が戻ってくると、その顔色を察した先任将校の志賀水雷長は全乗員に対して檄を飛ばしたんだ
2016-11-26 00:45:32「あれだけ善戦して、あれだけ戦死者も出してやむなくマニラに帰ってきたというのに、司令部は艦長を卑怯者と罵った。陸上に安閑としている司令部に何が分かる! 我々が卑怯者かどうかはっきり知らしめるために今度こそ死んでもレイテ突入を成功させるのだ!」って感じにね
2016-11-26 00:47:05勿論、今言った通りあたしを卑怯者呼ばわりするような事はなかった。けど、水雷長からしたら熟慮の末報告の上引き返しを決定したのに、陸上にいる何も知らない司令部から「最善を尽くしてオルモックに突入せよ」と言われてしまい、それでもなお引き返さざるをえなかった状況は同じ事じゃないか、ってね
2016-11-26 00:53:41いずれにせよ、乗員のみんなは不退転の決意と、死んでもやってやるって気概とがみなぎってたんだ。あたしもカヴィテ軍港で昼夜兼行の応急修理を受けて、28日にはマニラに戻ってきたんだ……あくまで応急修理だったからジャイロコンパスと無線はそのままだったんだけど
2016-11-26 00:57:52……さて、こんなもんかな。その後は前にも言った第七次多号作戦に繋がってくんだけど、それは別の話
2016-11-26 00:59:32