響と未来の入学式前日の話

響と未来が初めて一緒にお風呂に入った日のことを考えていくうちにこのようなイメージが湧いてきました。 なお、これまで書いてきたお話がどれも短く掌編というくらいだったのに対し、今回のお話は短編と呼べる程度の長さがあります。
1
ばん @vande1021

高台の上を二人の少女が連れ立って歩いている。 日差しは温かく、外を歩く人の足取りに弾みをもたらすような陽気だった。 「このあたり、けっこう坂道が多いんだね」 1

2016-11-27 22:00:13
ばん @vande1021

二人が今いるこの場所は海に面した港町から続く高台の上にある。市街地を少し離れるとすぐに坂が多くなる特徴的な立地で、ちょうど歩いているこの道からも海と町を見下ろすことができる。 2

2016-11-27 22:02:01
ばん @vande1021

日の光を浴びて白く眩しい水面。船が停泊する港湾部。続く町には背の高い建物が建ち、太陽光パネルがきらきらと光を反射する光景はSF映画のワンシーンのようでもある。 3

2016-11-27 22:04:01
ばん @vande1021

「……」 「未来?」 「っ!うん本当に。……ごめん。考え事しちゃってた」 不意に名を呼ばれると曖昧な返事をし、それからすぐに気を取られていたことをことわった。 4

2016-11-27 22:06:01
ばん @vande1021

「いよいよなんだなって思ったら」 「分かるよ。私もドキドキしてる」 真剣な面持ちで胸が詰まった様子の未来に対し、向き直った響は自分の胸元に手を当てそっと応えた。未知への期待と不安が鼓動となって手のひらに伝わった。 5

2016-11-27 22:08:01
ばん @vande1021

春風がそよいだ。また前を向き、二人は緩やかな風に背を押され歩き始めた。 やがて坂の稜線の向こうに一つの建物の姿が見えだした。 「あっ、あそこだ!」 響は未来の手を引き、そよ風よりも強く走り出した。 6

2016-11-27 22:10:01
ばん @vande1021

ここはリディアン音楽院学生寮。 この春から二人を迎える新たな場所。 これは立花響と小日向未来がリディアンへの入学式を翌日に控えた日の出来事。 7

2016-11-27 22:12:01
ばん @vande1021

「部屋割りの希望をきいてくれて安心したよね」 「ねっ!あれが無かったら知らない子と三年間ずっと一緒だもんね」 他愛もない会話をしながら玄関をくぐり、広々としたエントランスを見回しながら歩く。 8

2016-11-27 22:14:01
ばん @vande1021

春休み最終日ということもあり、人はまばらだが二人の他にも同じように新生活の準備をする同年代の少女達が見受けられた。 「パンフレットで見たより広そうだね」 「これで普通にお家賃払うことになっていたらどれくらいするんだろうね」 9

2016-11-27 22:16:01
ばん @vande1021

エントランス奥にあるエレベーターホールのオートロックを事前に受け取っていたカードキーで開錠した。 二人とも一軒家の暮らしだったため、鍵一つとってみてもこうした違いはこれまで過ごしてきた日常とは異なることをよく感じさせた。 10

2016-11-27 22:18:01
ばん @vande1021

この出入口を越えてから心なしか口数が減っているように感じられ、響は横目で未来の様子を盗み見たが表情は窺えなかった。 だがそれは、いよいよ迫るその時を思っているためだと思われた。 11

2016-11-27 22:20:01
ばん @vande1021

目的の階へは呆気ないほどすぐに到着してしまった。 廊下には一様にして同じようなドアが並ぶ。 カードキーの番号と確かめながら進むと二人はその場でしばし立ち止まった。 心の準備が必要だった。 12

2016-11-27 22:22:01
ばん @vande1021

「じゃあ開けるね」 「うん」 一階で使ったままカードキーを手にしていた未来が一歩を踏み出した。 錠の音が聞こえると役割を決めていたかのようにすかさず響がドアノブに手をかけ、開けた。 13

2016-11-27 22:24:23
ばん @vande1021

「「おー……」」 ここが。 14

2016-11-27 22:26:03
ばん @vande1021

薄暗い廊下の向こうから温かい光が差している。ここからでは室内までよく見通せない。 「……部屋上がろっか」「そう、だね」 ここにも数日前までは誰かが住んでいたはずだ。しかし当然そんな面影を残すはずもなく、その部屋は待っていた。 15

2016-11-27 22:28:02
ばん @vande1021

そこは二人が知らない匂いがした。 廊下から続くフローリングのリビングと小階段で下がった六畳の畳敷きの居間に大きな窓。 この窓から差し込んだ光が見えていたわけだ。 16

2016-11-27 22:30:03
ばん @vande1021

窓辺に近付くと先ほど通ってきたばかりの道と同じように海と市街地が見え、さらに坂の上にはリディアンの校舎があった。 振り返って室内に目をやると先に運び込まれていた段ボール箱が一箇所に積み上がっていた。 17

2016-11-27 22:32:02
ばん @vande1021

すごく広いというほどでもないが開放的な窓のおかげで狭苦しさは感じなかった。 この居心地に馴染むまでの感覚はなんだか旅行で宿泊先に着いた時のようだと未来は思った。 18

2016-11-27 22:34:04
ばん @vande1021

「家具は備え付けで、部屋の設計と同じフランスのデザイナーさんが担当したんだって」 ある種の感慨にふける未来をよそにパンフレットを広げながら響はさっそく引き出しを開けたり閉じたりしている。 不意をつかれ、ふっと可笑しくなった。響のこういうところだ。 19

2016-11-27 22:36:04
ばん @vande1021

「そしたらそろそろ荷物出そうか」 未来は笑ってしまいそうになるかわりにそう切り出し、互いの家から運ばれてきた段ボールを開け始めた。 20

2016-11-27 22:38:06
ばん @vande1021

「あ、それ持ってきたんだ」 「制服は明日すぐに着るから忘れずに出しておかないとね!」 「着替えどこにしまう?」 「段ボール捨ててくるよ!」 「うん、行ってらっしゃい!場所分かる?」 「わーカードキー忘れたー!」 21

2016-12-03 00:19:02
ばん @vande1021

やる事は多い。だが、自分達の持ち物でだんだんと空間を満たしていくという初めての体験は思いがけず楽しかった。二人は騒々しく作業を続けた。 22

2016-12-03 00:21:16
ばん @vande1021

そのうち響は聞き覚えのあるメロディを口ずさみだした。 これはツヴァイウィングの楽曲だ……。 23

2016-12-03 00:23:07
ばん @vande1021

「ああっ、風鳴翼さんも寮暮らしなのかなあ。綺麗に片付いた格好良いお部屋なんだろうなあ。もし廊下でばったり会っちゃったらどうしよう!?」 「どうかな。ああいう人って自宅から通っているんじゃない?」 24

2016-12-03 00:25:09
ばん @vande1021

作業が進み、リビングでは響が片付けを、廊下と一体になったキッチンでは未来が春休み中に二人で選んで揃えた食器をしまっていた。 「(調理道具も持ってきたから料理も……。春休み中にお母さんに教えてもらったし、レシピを見ればたぶん大丈夫……)」 25

2016-12-03 00:27:02