ポリティカル・コレクトネスと表現の自由の境界

前半と後半に分けることにしました。 後半はこちら。 http://togetter.com/li/1056043
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海法 紀光 @nk12

@mizuryu フィクションが社会に与える影響が、全然まったくこれっぽちもない、とは思いませんので、そのように書きました。が、フィクションの受け手がその内容に、そのまま影響するとも思ってませんし、書いてもないので、強力効果論ではないのでは?

2016-11-12 12:12:52
水龍敬@Vtuber園長🏰🎩 @mizuryu

@mizuryu セーラームーンやプリキュアだって決してポリコレによって生まれたわけではなく、古くはリボンの騎士に代表される娯楽表現の「強い女の子」像を見ていると「ほうっておくと、どこみてもおとなしい女の子ばっかりになってしまう」のが娯楽市場の原理とは感じられない

2016-11-12 12:13:00
水龍敬@Vtuber園長🏰🎩 @mizuryu

@mizuryu 逆にポリコレこそが、かえって「戦う女の子」ばっかりの固定したイメージを生んでいる可能性だってあるんじゃないだろうか。強い女性像ばかりが称揚される欧米的な女性観は、自分にはそう見えてしまう

2016-11-12 12:13:53
兼光ダニエル真@C99二日目12/31東ヨ06a @dankanemitsu

@mizuryu 難しい話題なので、気軽に議論するのは軽率だと思いますが、個人的には市場の多様性という議論も大事だと思います。一時期のアメリカのようにほぼ男児・男性読者に独占された市場を片手で数えられる数しかない出版社で独占されているのと、日本のように多種多様の市場がある違いです

2016-11-12 12:14:37
水龍敬@Vtuber園長🏰🎩 @mizuryu

@nk12 確かに強力効果論は言いすぎかもしれませんが、「女の子が常にしおらしく描かれてる作品」がそのまま「それが普通である」という画一的な受け取られ方をすると断定することは、やや弾丸理論的なニュアンスを感じました

2016-11-12 12:19:13
兼光ダニエル真@C99二日目12/31東ヨ06a @dankanemitsu

@mizuryu 作品発表手段が限定されている場合、独占禁止法の論理で多様性を促すのは論理的です。しかしもっと大事なのは作品を発表する手段を一点集中させない事。誰でも色々な作品に気軽に触れる事ができるようにする上でどうするかを考える方が、既存の作品に対して干渉するより良いかと。

2016-11-12 12:19:31
海法 紀光 @nk12

@mizuryu 私が書いたのは「女の子が常にしおらしく描かれてる作品」がそのまま~ではなくて、「そういう作品だけ」になった場合に、それなりの影響が出るだろうという話です。もちろん、受け取り方には様々な幅があるでしょうけれども。

2016-11-12 12:21:32
水龍敬@Vtuber園長🏰🎩 @mizuryu

@dankanemitsu おっしゃる通りだと思います。多様なクリエイターやユーザーが、多様な作品に触れられる環境・市場を作っていくことが肝要で、それはクリエイターの政治信条によってではなく、もっと広い意味での市場原理によって担保されるのではないかと感じました

2016-11-12 12:24:23
水龍敬@Vtuber園長🏰🎩 @mizuryu

@nk12 なるほど。自分の主張は、必ずしも娯楽の市場原理が保守傾向にのみ働くことはなく「そういう作品だけ」になる、あるいはそういう状態が市場において継続されること自体に懐疑的である、という内容でした

2016-11-12 12:27:24
水龍敬@Vtuber園長🏰🎩 @mizuryu

@mizuryu セーラームーンにだって女の子のステレオタイプがあるのだ。基本的に恋愛脳でちょっとおバカな女の子というキャラ造形が「現実の女性がそうであるというバイアスを生む」という指摘をすることはいくらでも可能だが、それは創作論的には戦うカッコ良さを引き立てるスパイスでしかない

2016-11-12 12:37:11
海法 紀光 @nk12

@mizuryu 成長してるジャンルの場合、市場原理によって「売り」の部分については多様化が進みます。逆に言うと「売り」でない部分については、そこを売る方法がない限り、多様化する必然性は無いです。

2016-11-12 12:39:55
兼光ダニエル真@C99二日目12/31東ヨ06a @dankanemitsu

@mizuryu そういいながらも市場が万全とは思っていなくて、ほっとくと一点集中したやすい。日本ではマンガ雑誌で柱作品とそれに寄り付く作品で幅が確保され、棚を埋めるためにそれほど売れない本も置く実店舗が意外な役割を果たしてきたと思っています。同人文化も然り。

2016-11-12 12:43:17
水龍敬@Vtuber園長🏰🎩 @mizuryu

@nk12 娯楽創作の世界は必ずしもビジネス的な必然性によってのみ牽引されるものでなく、市場の縮小や拡大を問わず、未知なる新規ニーズの開拓やチャレンジ精神によって常に多様化に向かっていく可能性があるのではないかと思いますが、どうでしょうか。

2016-11-12 12:45:23
海法 紀光 @nk12

@mizuryu そう思いますし、そうするのが我々の仕事と思います。が、常に、それが実現できてるとは限らないので(○○のジャンルはどれも××ばっかりで、△△とか作らせてもらえない、みたいな)、「改善の余地あり」と批判を受けることは十分にありうると思います。

2016-11-12 12:49:23
水龍敬@Vtuber園長🏰🎩 @mizuryu

@dankanemitsu 目に付きやすい表現が売れ線に偏ってしまうことについては、昨今特にそうした傾向が進んでいて問題だと思ってます。昔から本屋の多かった日本で、書店が担ってきたそうした役割が電子化によって失われていってしまうような気はします。難しいですが。

2016-11-12 12:50:23
水龍敬@Vtuber園長🏰🎩 @mizuryu

@nk12 おっしゃる通りとは思いますが、それは創作市場の多様性や市場拡大に向けての挑戦という文脈で語られるべき話で、政治的意図による批判を受け付けるべき話ではないようには思います。

2016-11-12 12:54:14
海法 紀光 @nk12

@mizuryu 「創作者が頑張るというけど、実際問題、今は、こういう作品ばっかりだよね。主流が軒並みそれだと社会的影響もあるんじゃない? それでいいの?」という批判があったら、「どう対応するかは別として」、耳は傾けるべきかと。

2016-11-12 12:55:53
水龍敬@Vtuber園長🏰🎩 @mizuryu

@nk12 「社会的影響」という政治的意図に基づく批判を創作者が聞き入れることで、必然的に創作の世界が政治に飲まれてしまうことが、娯楽創作の多様性や可能性についてポジティブに働くようには自分には思えないのです。現実に今、創作者達はポリコレの是非について考え始めています。

2016-11-12 13:20:27
海法 紀光 @nk12

@mizuryu どんな職業であっても「社会的影響はどうでもいい。俺は俺の好きにやる」は許されないわけで創作者も社会の一員である以上、社会的影響について考える必要はあるかと。もちろん考えた上で、「さして影響はないから文句言われる筋合いはない」と思うならそう主張すべきです。

2016-11-12 13:27:52
水龍敬@Vtuber園長🏰🎩 @mizuryu

@nk12 おっしゃる内容は分からないでもないのですが、社会的・政治的意図に基づく批判そのものが表現者に与える影響を「考えた上で気にしないのであればそうすればいい」と切り捨てられるのであれば、逆説的に表現が社会に与える影響も無視することになってしまうのではないでしょうか。

2016-11-12 13:36:24
海法 紀光 @nk12

@mizuryu 社会的政治的意図に基づく批判そのものが表現者に与える影響は当然あるでしょうし、あっていいと思います。表現者は、社会的政治的意図に基づく批判にさらされるべきではない、という主張でしょうか?

2016-11-12 13:38:10
水龍敬@Vtuber園長🏰🎩 @mizuryu

@nk12 表現者はその内容についてあらゆる批判にさらされる可能性は当然あり、その批判そのものが表現の責任でもあると考えていますが、表現者自身がその表現本来の目的(娯楽や市場原理等)から逸脱した政治的批判などを斟酌することを肯定することは間違いではないか、という主張です

2016-11-12 13:45:49
海法 紀光 @nk12

@mizuryu 表現本来の目的が何であれ、目的から外れた影響も当然ありますし、作った側は、それに対する(それなりの)責任もあります。であるからには、それについての批判も、表現者は斟酌すべきかと思います。 副作用は関知しない、というわけにはいかないでしょう。

2016-11-12 13:53:43
水龍敬@Vtuber園長🏰🎩 @mizuryu

@nk12 社会の偏見の再生産という批判に対して、様々な作品を作ることでそうでないと証明したいとする海法先生の主張は大変立派であるように感じますが、それは悪魔の証明的でもあるように思います。創作者もまた社会の一員である以上、自身もまたあらゆる偏見から免れることは不可能です。

2016-11-12 14:01:29
海法 紀光 @nk12

@mizuryu 程度問題です。あらゆる作品は、社会の偏見から「完全には」自由になりえません。その意味では「偏見の再生産」を担ってる部分は「ゼロではありません」 この世のありとあらゆることには、副作用や弊害が「多少は」存在します(続)。

2016-11-12 14:04:53