万人救済はありうるか(仮)
- makoJOSIAH
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@makoJOSIAH そういう推論は無意味だと双方が分からないと意味がないですよね。完全同意。ただ神の愛が人間的に理解できる愛と全く離れたものだったら「愛」という言葉で人間に啓示するだろうか、他のコンセプトも全て「それは神視点の定義がある」で何も話し合えなくなる危険があります。
2016-12-17 09:20:05@kenfawcjp 同意しますが、僕は「全員を意思と関係なく救う愛」も「意志を尊重して強制連行しない愛」も人間的にだって理解できるので、この二つには人間の推論を優先したとしても優劣がありません。結局、人間の推論はヒントとはなるが教義の基礎とはなりえないと思います。
2016-12-17 09:35:34@makoJOSIAH 本当に神の愛と素晴らしさを知れば人の意志と神の意志は同じになる、と万民救済は信じます。仰る通り人間の推論はヒントにすぎません。神がキリストや御言葉を通してどのように啓示したか、キリストが愛について、神の性質についてどう語ったかを見ることが大切だと思います。
2016-12-17 09:39:26英語も243回pistinやその転が出てくるが、毎回faithと訳されるのにここだけproofとかassuranceになっている。パウロの書簡からは最終的な全世界の和解が容易に読み取れるし、使徒17:31を「信仰」とそのまま訳さない理由がな。
2016-12-15 20:25:26マタイ8:10で百人隊長の「信仰」を賞賛 マタイ17:20辛子種程の「信仰」 エペソ2:8恵のゆえに「信仰」によって救われた ヘブル10:38義人は「信仰」によって生きる 使徒17:31「確証」を全ての人にお与えになった ここだけ違う訳を入れるのは訳者の神学的バイアスだろう。
2016-12-15 20:49:15使徒行伝17:31の「そのことを信仰をお与えになったのです」にすると、エルサレム辺りで何があったのかすら知らない人々にも「信仰が与えられてる」ってどういう意味?ってなって後から参照できるものとしての「確証」という訳語にしたのかもしれない。信仰も信仰心だけでなく信仰内容も意味するが
2016-12-16 11:42:46@MontyGlycon1 ルター訳のドイツ語聖書だと使徒行伝17:31 の該当部はden Glauben(der Glaubeの4格)になってますね。 手元の辞書だとドイツ語のder Glaubeは ①信念,確信;信頼(英belief) ②信仰,宗旨 となっていて聖書の他の
2016-12-16 23:25:12箇所では「信仰」の意味でも使われています。ドイツ語の場合この一語で使いまわすことができます(他にも同義語・類義語はありますが、ざっと見た感じこの訳ではder Glaubeで統一されているようです)。これも辞書からの受け売りですが英語だとbelief(信念、確信)
2016-12-16 23:26:56/faith(信仰)/trust(信頼)と別れているみたいで、その辺の問題も絡んでいる気もします。日本語にせよ英語にせよヘブライ語やギリシャ語と単語毎にぴったり当てはまる単語がないのでいくら翻訳を頑張ってもどこかで限界があるんですよね(日英ともに男性名詞、女性名詞の区別がない等)
2016-12-16 23:27:59「示された」と訳すにせよ「与えられた」と訳すにせよ、一世紀のエルサレムあたりで起った事と言うのは、地球の裏側に住んでる人々には知りようがない。ではどういう意味で「全ての人に与えられた(示された)」かというと、真理である信仰(の中身)やその正しさの証明(確証)という事にならざるを
2017-03-03 16:15:13得ない。もしそうでないなら、使徒行伝のこの記述は、事実でないことを言っている事になる。地球の裏側に住む当時の人々はイエスのイの字もYHWHのYの字も知らないのだから(聖書に基づく)信仰など与えられようも無い。もし与えられると仮定するなら、その「信仰」というのは、
2017-03-03 16:24:55偶像崇拝と両立するもの、ということになる。これは「すべて」を聖書を書いた人々にとっての「すべて」を、当時の全世界(中近東を中心とする一定地域)と解しても同じ。事実あそこの宗教人口がイエスの復活時に100パーセントキリスト教徒、とはなっていない。つまりバアル崇拝等と両立する事になる
2017-03-03 16:26:19特定の宗教信仰、という意味での「信仰」、という事で使徒行伝17:31のpistinを他の箇所も同様に「信仰」と訳してもよいし、文脈を汲んで「確証(磔刑は敗北でなく、彼のメシア性の証という含意)」と訳しても問題ない。別個の、特定の語を使う事で比重や焦点は寄る事にはなるが。
2017-03-03 16:37:10「神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、その確証πιστινをすべての人に示されたπαρεχωのである」。 - 使徒行伝 17:31
2016-12-17 10:45:03確かにここでπιστινを「信仰」と訳さないのはあからさまな万人救済説への牽制に見えるな。 ただπαρεχωは「提示する(show, exhibit)」「提供する(offer, afford)」でどちらかというと選択肢として与える印象もあるため、万人救済の根拠とするにはやや弱い。
2016-12-17 10:49:041コリント15:22 「すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。 」 すべて、です!
2016-12-16 23:09:48十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。 - コリント人への第一の手紙 1:18
2016-12-17 09:22:11死者の復活には誰もが与る。 "海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。" - ヨハネの黙示録 20:13
2016-12-17 11:21:34@makoJOSIAH アーメン。 ダニエル12:2 地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。
2016-12-17 12:38:18アダムが犯した罪によって全人類が罪に定められる…でもキリストの救いに預かれるのは限られた人だけ…これではキリストよりアダムの方が強くなってしまう。クリスチャン家庭にそう教えられ、20年以上もこれに疑問を持たなかった自分に腹がたつ。今は聖書の学び直し。
2016-12-17 23:02:51ローマ3:23-24 「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。 」 ここもすべて!
2016-12-16 23:13:39直前の聖句とあわせるとこう。 "それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。" - ローマ人への手紙 3:22
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