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猿島の石垣。中央の色が茶色くなっているのは終戦後の武装解除のために上陸した連合軍が威嚇発砲した痕跡。 pic.twitter.com/krHOEFgV4v
2016-12-25 18:04:26弾薬庫内部より。弾薬庫歩哨の監視窓。当時はガラスが嵌められていた。島に電灯が無かったため、窓枠下の二箇所の丸い窪み蝋燭を置いた。そして今気づいたが、「死」と落書きされてた 笑 ホラーゲームの世界かよ 笑 pic.twitter.com/Agx2c9GNRN
2016-12-25 18:26:35今も稼動している電気燈機関舎。当時は石炭で発電していた。猿島の兵舎などは電灯ではなくランプで灯りを取っていた。この発電所は二枚目の探照灯跡にあった探照灯用のもの。煙突には擬装目的に蔓を這わせ、また敵方斜面に暴露させない着意などが確認できる。 pic.twitter.com/MNS7Pyhy2b
2016-12-25 18:35:26猿島の見所の一つとしてレンガの積み方の違い。フランス積みとイギリス積みの二種類が見られるので訪れた際には是非確認してもらいたい。
2016-12-25 18:47:10海軍管轄後の猿島防空砲台の様子。八九式12.7cm連装高角砲が二基装備され二式陸用高射装置にて諸元を算出、九八式4.5m測距儀及び九七式2m測距儀で観測を実施。この他に三年式8cm高角砲が四基あるがこっちは砲側照準。緑丸内には九六式150cm及び同110cm探照灯が配備された。 pic.twitter.com/5TawY97zyq
2016-12-28 14:53:28他にも九六式25mm単装機銃が二基装備されたが場所は不明。他にも塁道や電気燈機関舎、陸軍時代の加農砲台跡も確認できる。
2016-12-28 14:57:22先の緑丸内。探照灯二基配備されていた。二枚目は電線を引き込むための土管跡。 pic.twitter.com/nwx3qSR0b5
2016-12-28 15:02:38昭和20年7月18日の空襲時に電力不足で思うように動かせなかったというのは一つに人力による操法のため円滑な目標の照準が困難であったこと、もう一つは二式高射装置からの諸元が電力不足のため上手く送れなかったことが考えられる。
2016-12-28 15:17:40猿島の三年式8cm高角砲の後方に掘られた切り通し。敵が正面から上陸してきた場合に備え掘られた。通称隠し波止場に繋がっている。 pic.twitter.com/fzl2LxEzgl
2016-12-28 18:10:21猿島砲台の塁道。一枚目右側のレンガ造りの場所は便所。左側に見える石垣の残骸は連合軍が爆破した時のもの。今では木製の通路があるが当時は当然無い。整備される前は塁道に爆破されて崩れた石垣で塞がっていた。それを左右に積み上げただけで当時の遺構ではない。 pic.twitter.com/oA5dYDpjMR
2016-12-28 20:15:59赤丸内にあるのが二つある内の一つの便所。さてここでクイズだが、この便所、用を足すための穴が二つあるのだが何故二つあるのか。わかるかな? pic.twitter.com/ieyw3Xywcn
2016-12-28 20:46:37電気燈機関舎で発電された電力は、ハンドホールを伝って二枚目の土管に電纜を通し、三枚目にあるフックに引っ掛けて四枚目の土管から探照灯まで引っ張っていった。二枚目の土管を伝声管と言われる方もいるようであるがこれは電纜を通すためのものである。なお電灯はなく兵舎ではランプを使用していた。 pic.twitter.com/VVMd5e6vqN
2016-12-28 21:09:57兵舎用の電灯もあり、横須賀から海底ケーブルで電力供給を受けてはいたが、海が荒れるとすぐに停電し、平時でも電圧が低かったため基本ランプを使用した。
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