入手まで
twitterのタイムライン上の感想を観ていたら、無性に読みたくなり、本屋に行くも売り切れで結局Amazonで購入。
紙で読みたかったので、Kindle版を待たなかった。でも、すぐさまKindle Unlimitedの対象になったのには、さすがに複雑な気分。
『ゲンロン4』読みたいのはいいのだけれどそれ紙1冊2500円で、友の会10000円で『ゲンロン4~6』の紙と電子書籍、月間の『ゲンロンβ』かー。うーん、ちゃんと読むかなー。
2016-12-22 22:57:48読みながらの感想
帰省中に一気に読んだ。こういう射程の長い話は、まとまった時間を使って読みたかったので。少しずつ読み進めようとすると、読んだ端から忘れていってしまう。
こうして読み返していて思ったのだけれど「批評」の話をしているのか巻頭言でいう「批評という病(≒哲学的エッセイ)』の話をしているのか、もう少し意識してい読めばよかった。
Kindle Paperwhiteは不要かなと思ったけれど、持って行って結果的に正解だった。つい読みふけって『ゲンロン4』すぐに読み終わってしまったので。
「忘れないこと」「継続すること」
この問題意識は、検索技術の文脈で自分も断続的に考えている。すぐに忘れられるフロー情報ばかりが目立って、継続的に使えるストック情報が目立たなくなっていることが、よいこととは思えない。
『ヌメロ・ゼロ』の感想はMirror House Annex: 操作・相殺・異彩 - ヌメロ・ゼロ。
IT技術が進歩してアーカイブ・コストはだんだん低下しているから、「言いっ放し」のリスクはどんどん高くなってきている。
でも、最近のニュースを眺めていると、まだまだ道のりは長いように見える。議事録がなかったり、あっても非公開だったり、公開されても真っ黒に塗りつぶされたり、議事録と食い違う映像アーカイブが削除されたりしている。
『「書評」化する批評』
ここを読んで「批評とする病」で言っている「観客の回復」の趣旨が、自分の経験とつながった。
『ゲンロン4』、「平成批評の諸問題 2001-2016」まで読んだ。『「書評」化する批評』は、ネット上でも起こっていそう。個人ニュースサイト〜はてなダイアリーの時代にかけては批評が見つかったけれど、今はECサイト上のレビューやアフィブログばかりが検索結果を占めていて見つからない。
2016-12-31 12:08:55そういうのを読みたい人=観客の回復が、『ゲンロン』創刊の目的だと「批評とする病」に書かれているなどけれど、これは単に買ってくれる人がいないと続けられないというだけではなくて、一貫性を支えているのが観客だという話もおもしろかった。
2016-12-31 12:23:08スポーツのチームにも、監督が変わっても選手が入れ変わっても、連綿と受け継がれるものがある。これをサポーター・ファン・観客が支えていると考えたら、いろりとしっくりきた。そして、結論が気合いや矜持というのが、すんなりと入ってくる。プロスポーツプレイヤーに観客が期待しているものだ。
2016-12-31 12:39:53投機対象としてのアート
いままで自分は、無邪気に(市場の側面を気にしないで)アートを見ていたな、と思う。
それはそれで悪いことではないと思っているけれど、これはこれで違う視点から垣間見るのもおもしろい。
今まで自分はミュージアムに展示されているアートと、ストリート・アートを何となく別物だと思っていたけれど、アート市場では、区別ないことに思い当たる。
Banksyのストリート・アートが壁ごとオークションにかけられたりしている。それともこれは例外的な話なのかな。
『ゲンロン4』の「グローバルアートとしての現代美術 批判的評定(後)」を読んだ。(後)しか読んでいないけれど、美術館(本論考中ではミュージアム)で観ている限りでは気にも懸けない、美術市場の話。
2016-12-31 23:28:09コレクターの名前が市場ではブランドになるという話は、バフェットが株を買った会社の株価が上がるという話を連想する。取引の対象が何なのかが、判断材料になっていない。
2016-12-31 23:33:15