「お客様」という言い方について考えてみた

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ゆきのじょう @yukino_jo

ふと、思い出したのでゆるゆるとつぶやいておきます。お題は「『お客様』という言い方はおかしいのではないか」という話です。

2011-02-26 21:44:49
ゆきのじょう @yukino_jo

【客】という言葉はこの場合、広辞苑的に言うと、「商売で料金を払う側の人」であり、「顧客」「観客」「乗客」などの総称と考えて良いと思います。で、これに「お」と「様」をつけるのはどういう場合かということになります。

2011-02-26 21:47:03
ゆきのじょう @yukino_jo

例えば、何らかの支払いや、在庫の各員などの相談があった時、「山田太郎」などという人名を確認することは希ですので、お店の人がお客を呼ぶ場合、一般呼称として「お客様」と呼ぶ。この状況では「山田太郎」の代名詞が「お客様」になるので、あまり問題は感じません。

2011-02-26 21:49:32
ゆきのじょう @yukino_jo

「山田太郎」様と呼ぶべきところを、「山田太郎」が分からないので、「お客」に言い換えた。その結果「お客」様になるという理屈です。対象が複数の場合、たとえば電車内において車掌がアナウンスする場合、多数いる乗客の総称として「お客さま」と呼びかける。これも自然だと思います。

2011-02-26 21:52:50
ゆきのじょう @yukino_jo

私が引っかかるのは、何らかの記事や本において、「顧客」「観客」「乗客」に相当する言葉として「お客様」と表現する場合です。「お客」までは構いませんが、それに「様」をつける意味が、そのTPOにおいて成立するのだろうかと。

2011-02-26 21:55:27
ゆきのじょう @yukino_jo

ものを売る側が、買う側に対して語りかけるような記事であれば、電車内のアナウンスと一緒で一般呼称としての「お客様」はありえます。売る側、あるいはその利害関係者が、同じような立場の人達(=ものを買う側ではない人達)に向かって語るときに第三者として存する仮想の客を「お客様」と呼ぶのは?

2011-02-26 21:59:02
ゆきのじょう @yukino_jo

記事にしても本にしても、ターゲットが顧客側ではなく、ものを売る側(あるいはその周辺)であれば、そこで話題にする「客」はあくまでも一般化された「客」であるので、尊称をつける理由が在るのだろうかと思うのです。「客」をないがしろにしろとか、売る側が偉いとかいうつもりはありません。

2011-02-26 22:04:02
ゆきのじょう @yukino_jo

売る側=店、買う側=客という区別だけの問題であって、その情報のやりとりの場に「客」がいないのであれば、「お客様」と呼び合うのは私には違和感があります。

2011-02-26 22:05:32
ゆきのじょう @yukino_jo

で、そもそも「お客様」という言葉がいつ生まれたのでしょうね? すぐに連想されるのは三波春夫の名台詞「お客様は神様です」であろうと思います。これもステージ上で、三波春男が観客に向かって呼びかける時の言葉として受け止めています。

2011-02-26 22:10:00
ゆきのじょう @yukino_jo

「お客様は神様です」についての解説はwikipedia http://bit.ly/cgPSNa によれば、「お客様に自分が引き出され舞台に生かされる。お客様の力に自然に神の姿を見るのです。お客様は神様のつもりでやらなければ芸ではない」と三波春夫は語ったとあります。

2011-02-26 22:12:55
ゆきのじょう @yukino_jo

三波春夫が「お客様」と語っているのは、あくまでも自分の歌を聴きにくる人達が今自分が発言している言葉を読むだろうという前提で話しているからだろうと考えます。「神様」と語尾を合わせているとも言えますね。さて、このあたりは、きっと誰かが言及しているところだと思うのですが、(続く

2011-02-26 22:16:08
ゆきのじょう @yukino_jo

もしかしたら、三波春夫の名台詞があまりにもインパクトがあったために「お客様」という言葉(シニフィアン)の意味(シニフィエ)に、「神様(絶対者)」という意味(シニフィエ)が包含されてしまっていったのではないかと思うのです。

2011-02-26 22:19:43
ゆきのじょう @yukino_jo

「お客様」に単なる「買う人」だけではなく「逆らってはいけない人」「一番偉い人」「崇拝する人」という意味性が、無意識のうちに滑り込まされてしまったのではないかという想像です。そのために「お客様」と言い続けなくてはいけないという強迫観念めいたアプリオリが成立したという次第。

2011-02-26 22:21:56
ゆきのじょう @yukino_jo

さて、私自身は、お店の人も買う客も、同じニンゲンなのだから、関係性はフラットであろうと思い続けています。もちろん売る側が尊大になってもいけませんが、妙にへりくだって話されるのも困る。事物であろうと情報であろうと店側に傾く非対称性があるのは不可避ですから似非フラットはあり得ません。

2011-02-26 22:25:01
ゆきのじょう @yukino_jo

売る側と買う側が、そうした非対称性を前提としながらも、互いの思いをお互いが一体化させようと努力して、ある合意点に達して売買が成立するのが理想だと思います。それが商売を越えた「商い」であろうと思うわけですし、信頼を強め、得意客になっていくCRMの概念にも近いだろうと思う次第。

2011-02-26 22:27:50
ゆきのじょう @yukino_jo

このような関係性の構築過程において、売る側の間での情報流通で「お客様」と客を呼ぶのは、感覚的にどうしても違和感があるのです。

2011-02-26 22:29:30
ゆきのじょう @yukino_jo

・・・でもっと極論を申し上げれば、ツイッターなり、フェイスブックなりのソーシャルメディアにおいては、売る側と買う側(客)との関係性はよりフラットになるはずです。そこで「お客様」という物言いはソーシャルメディアが訴求するところと相矛盾するのではないでしょうか?

2011-02-26 22:32:37
ゆきのじょう @yukino_jo

ソーシャルメディアを使って新規客獲得だけを腐心する店があったとしたら、それだけの目的のためにそういうお店にソーシャルメディアの使い方を伝授する人がいたのだとしたら、そこで「お客様」という物言いがあった場合、それは無批判に(アプリオリに)用いていないかと心配するのです。

2011-02-26 22:36:05
ゆきのじょう @yukino_jo

本当に自分が売る商品を買ってくれる客のことを思うのであれば、「お客様」という言い方について、改めて考えてみてはどうなのだろうと思うのです。

2011-02-26 22:37:42