「この世界の片隅に」は戦争モノ映画と真正面から戦い、戦争モノ映画に勝つことができたのかについて

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生命情報保存研究所 @rodan670

無骨な軍人よりはなよなよしたオタクのほうが、男性よりは女性のほうが、女性よりは子供のほうが、子供よりは犬猫のほうが、作中で犠牲となった際、観客にとってはストレスとなる。よってパニック映画やホラー映画では、多くのケースで成人女性が最後の生き残りとなることが多い。

2017-01-19 07:11:03
生命情報保存研究所 @rodan670

(これが子供ではなく成人女性であるのは、さすがに子供だとパニック映画やホラー映画における問題を解決する能力は期待できないため)5歳程度の幼女となると、死亡した場合作品に落とす影はかなりのものとなるので、そのシナリオ上における企図については大変な注意が必要となる

2017-01-19 07:14:41
生命情報保存研究所 @rodan670

しかしこの映画は、その部分に関しては何のためらいも無く姪を死なせる。 第二の禁じ手としては、「ツンデレキャラ」の主人公に対する信頼喪失があげられる。この作品には、すずの夫の姉(死亡した姪の母親)がメインキャラクターの1人として出てくる。

2017-01-19 07:21:36
生命情報保存研究所 @rodan670

彼女は登場時、意地悪な兄嫁キャラとして現れるが、次第にすずを認めやさしい態度で接するようになってくる。主人公に対して厳しい態度で臨んでいた者がやがて主人公を慕ってくる態度の変化、いわゆるツンデレは、主人公に感情移入している視聴者に多大な喜びを与える。

2017-01-19 07:24:22
生命情報保存研究所 @rodan670

種々のアニメでこの手のキャラクターが絶大な人気を集める所以である。ということは逆に、せっかくなびいてくれたこの手のキャラが、再び主人公を見限るようなことがあれば、やはり視聴側のストレスはかなりのものとなる(よってそのような展開を繰り出す作品は少ない)

2017-01-19 07:29:02
生命情報保存研究所 @rodan670

しかしこの作品ですずは義理姉が自らに抱いていた信頼を最悪の形で裏切る。義理姉はすずを人殺し呼ばわりしてなじるが、子供の親の視点に立てば、これは決して理不尽な言いがかりとは言えない。すずは自責の念にうなだれるが、観客もともに落ち込むしかない。

2017-01-21 07:52:47
生命情報保存研究所 @rodan670

第三に、主人公の部位破壊がある。姪とともに巻き込まれた時限爆弾で、すずは右手を失う。主人公の部位破壊という事象は、見る側に極めて大きなトラウマを残すことで知られている。主人公が死亡してしまうよりその度合いは大きい。

2017-01-19 07:36:56
生命情報保存研究所 @rodan670

現実世界においては、死亡してしまうくらいならば手足の一本失ったほうがマシであるには違いないが、アニメ作品には生々しさを緩和できる機能があるため、例えば主人公が死んでしまったとしてお空のお星様となったとして済ませ、観客側のストレスを抑えるよう取り計らうことができる。

2017-01-19 07:41:50
生命情報保存研究所 @rodan670

しかし部位破壊の場合はこれができない。視聴者はいつまでも傷ついた主人公に暗澹たる気持ちで向き合わなければならない。作中においてすずは、絵を描くことが唯一の特技であると同時に生きがいというような人物像として描かれていることも視聴者のストレスに拍車をかける。

2017-01-19 07:44:30
生命情報保存研究所 @rodan670

計3点の禁じ手により、この戦争映画らしくない戦争映画には、その辺の反戦思想型映画顔負けの鬱展開が導入されることとなる。天然キャラだったすずも別人のようにやつれ果て、玉音放送の際には「なぜ国民が全滅するまで戦わなかった」と悔し泣く。

2017-01-19 07:56:46
生命情報保存研究所 @rodan670

観客は結局この映画でも登場人物がテーマに飲み込まれ、自らとの連続性を感知することが困難な操り人形と化してしまうのではないかと危惧する。ただ全体を振り返るのであればあくまでもそうではない。例えば反戦等の思想を強調するのであれば、すずの見せた戦闘狂的な言動はふさわしくない。

2017-01-19 08:01:03
生命情報保存研究所 @rodan670

戦争に心身犯された人間の悲劇と読み取れなくもないが、むしろその自暴自棄な発言は、理不尽な状況におかれた人間のコンコルド効果的な感情(戦争という現象に右手や姪を奪われてしまっている以上、もはや中途半端な形での幕切れなど認めたくない)の発露と解釈したほうが適切と思われる。

2017-01-19 08:06:55
生命情報保存研究所 @rodan670

また右手と姪を失った後のすずはアメリカを露骨に鬼畜呼ばわりするものの、終戦後は何気ない顔をして食料物資を貰いに進駐軍のキャンプ前の行列に並ぶ。状況が変わればただただそれに流されるしかない等身大の市民の姿がそこにはある。

2017-01-19 08:13:10
生命情報保存研究所 @rodan670

結果、このすずというキャラクターは最後までなんらかのテーマの傀儡になることはなかったと推定される。この映画に期待された固有の価値(戦時下に生きる人間を今日と直接的に連結した血の通った存在として描く)は保たれたこととなる。

2017-01-19 08:18:11
生命情報保存研究所 @rodan670

とはいえ、一連の鬱展開により、その試みが極めて危うくなりかけた部分はあったように思われる。観客の中には、畳み掛けられる悲劇的展開を前に、この映画もやはりテーマ先行型の戦争映画化と観念し、序盤の日常描写とのギャップに違和感を覚えながら、

2017-01-20 08:03:22
生命情報保存研究所 @rodan670

あるいはその日常をここまで変えてしまう戦争行為の糾弾こそがこの映画の柱なのだと理解し、すずはじめ作中キャラクターへの共感を解除した状態で家路に着いた者も少なからずいたものと考えられる。意図的に用意された鬱的展開を緩和すれば、この危険性を排除することはできた。

2017-01-20 08:07:12
生命情報保存研究所 @rodan670

例えば時限爆弾の爆発に巻き込まれるにせよ、すずもすずの姪も、部位破壊を伴わない程度の大怪我で済んでいれば、戦時下日本を扱ったにもかかわらず日常アニメ体のストーリーを運んできたこの異色の映画は、一貫してそのスタイルを維持することができた。

2017-01-20 08:13:49
生命情報保存研究所 @rodan670

戦争がいかに悲惨であったとはいえ、広く見渡せば比較的無傷ですんだ者も多くいるはずで、そういう者たちを主人公として抜擢すれば何の問題もなかった。しかし作者側がそうしなかったのは、そうやって安易に逃げてしまっては、あくまで戦時下日本を描いたことにならないとの考慮があったものと思われる

2017-01-20 08:19:19
生命情報保存研究所 @rodan670

あえて反戦思想型映画同等、あるいは顔負けの鬱的展開を導入し、それでなお主人公たちを何らかの観念の操り人形と化さない血の通った人間として描くことで、戦争映画の概念を変え、当時を心理的観測不能区域に落ちない、現代に連続した時代として認識できるようにしようという意思があったと考えられる

2017-01-20 08:34:11
生命情報保存研究所 @rodan670

結果として、見終えた層の、この映画の日常面の描写に関する賞賛の声の多さを見ても、「この世界の片隅に」は難しいバランス感覚の果てに、これまでのカテゴリにとらわれない戦争もの映画の新たな境地を切り開けた作品として評価することができる

2017-01-21 07:41:54