「この世界の片隅に」は戦争モノ映画と真正面から戦い、戦争モノ映画に勝つことができたのかについて

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生命情報保存研究所 @rodan670

「この世界の片隅に」というアニメ映画が、第二次大戦下の庶民のいきいきとした日常を描き出した作品として高い評価を集めている。これには当然とも言うべき背景がある。これまでの戦争を取り扱った邦画は、ほとんどがそれぞれ両極端な二つの立場に分類された。

2017-01-18 16:50:05
生命情報保存研究所 @rodan670

一つは戦争の悲惨さ、陰惨さを徹底的に描き出すスタンスの映画で、見るものの心にトラウマを焼き付けた後、最終的に戦争は絶対に回避しなければならないものというテーマで結ぶ。学校の道徳教育などに用いられ、ある種戦後の日本人にとってお馴染みの作品群である。

2017-01-18 16:52:53
生命情報保存研究所 @rodan670

もう一つは、戦時下の日本、あるいは日本人を肯定的に描く、自己復権的な作品群である。この様式の映画には、先にあげた反戦思想型映画群に対する、ある程度の反動、反感も少なからずその根源にはあるものと推定される。自らの過去を徹頭徹尾、間違ったもの、悲しいものと決め付けてしまえば

2017-01-18 16:57:46
生命情報保存研究所 @rodan670

人間は心理的に大きな負荷を背負うこととなる。結果この両極にある二つの映画群がバランスを取り合いながら描いてきたのがこれまでの戦争邦画ということになる。「この世界の片隅に」はこの構造に風穴を空けた。戦時下にある日本を一貫して庶民の目線から描き上げた。

2017-01-18 17:00:25
生命情報保存研究所 @rodan670

この出来事には大きな意義がある。反戦思想型映画にせよ自己復権型映画にせよ、取り扱うテーマの太さ重さにキャラクターが押しつぶされ、その行動や感情表現はフィクション性を高めたものにされることを余儀なくされる。するとそれは等身大の当時の日本人ではなくなる。

2017-01-18 17:06:00
生命情報保存研究所 @rodan670

その瞬間、観客は映画を介して現在と戦時下日本との時間的連続性を感知できなくなる。終戦は72年前の出来事であるため、人間の時間感覚からすればそれはまだ歴史に閉じ込めるには早い、自らと連続したところにある時点なはずである。戦争を経験した人間もまだ多く生存している。

2017-01-18 17:09:43
生命情報保存研究所 @rodan670

ただ第二次大戦下というのは、人間の認識能力上極めて危うい要素を含んだ時代でもある。第一に映像記録というものが豊富には存在しない。あっても都市部への爆撃や特攻の過程などといった、戦争を象徴付けるような瞬間の記録が主で、当時の庶民の日常や生の表情を映し出したものはほぼ無いと言っていい

2017-01-18 17:15:26
生命情報保存研究所 @rodan670

第二に戦争の結果として日本社会は憲法、価値観レベルで一変してしまう。戦前と戦後の間に戦争という切断面があったことは誰もが認識しているが、その短期間での変貌振りには主観的理解が追いつきにくい。ある小説を読んでいると、数ページが欠落しており、

2017-01-18 17:21:39
生命情報保存研究所 @rodan670

その欠落頁の先では全く別な展開が始まっていたというような感覚に襲われることとなる。第三に、先にあげた反戦思想型映画群などを用いた戦後教育の結果、日本人の心には戦時下が暗く悲しい時代であったとトラウマ的に刷り込まれている。これが過度になると、人間の心は防衛措置を発動させ

2017-01-18 17:25:40
生命情報保存研究所 @rodan670

その時代に関する記憶、認識を無意識的に封じ込めようとしてしまう。結果、何が起きるかというと、日本人の心の中にある自国のストーリーの中で、第二次大戦下の部分が決失する、しなくとも、戦前戦後を結ぶストーリーラインに認識上の断裂が生じる。

2017-01-18 17:29:43
生命情報保存研究所 @rodan670

簡略化すると、「明治」=「文明開化」、「大正」=「デモクラシーで明るい」と右肩上がりで伸びてきたストーリーが、「大戦下」=「???、何やら暗い、ネガティブ」と混沌に飲み込まれ、「戦後昭和」では「高度経済成長、再び明るい」と回帰する。

2017-01-18 17:36:39
生命情報保存研究所 @rodan670

現実の歴史や社会情勢は意思ある作者によって書かれるものではないので、不意のイレギュラーが生じることは往々にしてありうる。しかしこれは人間の心理衛生上はよろしくない。人が健全な心で自らが何者であるかを理解するためには、

2017-01-18 17:42:32
生命情報保存研究所 @rodan670

自らのルーツにある歴史ストーリーが不連続点のない状態で認識できている必要がある。そのためには、戦争を取り扱った映画にせよ、テーマや観念先行でフィクション性を強めるものだけであることは望ましくない。

2017-01-18 17:46:10
生命情報保存研究所 @rodan670

当時の等身大の人間の等身大の日常と心情とが描かれることではじめて認識上の不連続点は接着される余地が出てくる。

2017-01-18 17:48:17
生命情報保存研究所 @rodan670

「この世界の片隅に」はこの課題に果敢に挑んだ作品であると考えられる。 以下ネタバレ含

2017-01-18 17:49:33
生命情報保存研究所 @rodan670

例えば絵を描くことが好きな主人公、すずが呉の軍港を模写していたところを憲兵に見つかり、スパイ容疑をかけられて嫁ぎ先の自宅に捻じ込まれ、延々と叱責される下りがある。これを見た観客は、これまで延々と見てきた反戦思想型映画に関する記憶の集積をもとに、憲兵が立ち去った後は

2017-01-18 17:53:00
生命情報保存研究所 @rodan670

「非国民的行動云々」「世間体云々」ということで、今度は義理の家族に説教されるすずの姿を予想する。戦時下の日本人は少なくとも表面上はロボットのごとく全体主義に染め上げられていたとする、これまで自分たちが接してきた反戦思想型映画群における前提がそうさせる。

2017-01-21 07:48:38
生命情報保存研究所 @rodan670

その瞬間、観客はもう映画に登場する、少なくとも主人公以外のキャラクターとの共感を絶望視している。結果やはり戦時下日本は心理内歴史上から欠失していくこととなる。しかし「この映画の片隅に」はこの予定調和的な展開を取らない。

2017-01-18 18:00:56
生命情報保存研究所 @rodan670

憲兵が立ち去った後、すずの嫁ぎ先の家族は、すずのごとき者(作中では天然なキャラクターとして描かれる)がスパイ行為に及べるはずが無い。憲兵は人を見る目の無い愚か者である、として延々と笑い転げ続ける。この瞬間観客は、この映画の登場人物たちはみな今日の我々と寸分たがわぬ

2017-01-18 18:05:59
生命情報保存研究所 @rodan670

血の通った人間であると理解する。人間に血が通っているのならば社会にも血は通っている。心の引っかかりとなっていた、歴史ストーリー上の断裂面は脳内で補修され、戦時下日本が今の自分と直接的な連続性を持った時空として認識されるようになる。戦争映画で癒されるという過去類例のない展開である。

2017-01-18 18:14:50
生命情報保存研究所 @rodan670

その他、戦争というイレギュラーな状況下にありながら、明るさと平常心とを失わない登場人物たちの日々の一コマ一コマが、この映画では丹念に描かれていく。戦争映画にトラウマを抱える観客ならば、次第に「ひょっとするとこの映画はこのまま押し切れるかもしれない」という期待を抱きだすこととなる。

2017-01-18 18:17:39
生命情報保存研究所 @rodan670

そしてこの映画の場合は、実際にそのまま押し切ってしまってもよかったのかもしれない。しかし最終的な展開はこの期待を裏切る。ある展開を気に、この映画の日常は、他の多くの戦争邦画の例に漏れず、絶望のどん底に突き落とされることとなる。

2017-01-18 18:22:27
生命情報保存研究所 @rodan670

ここで、脚本は映画ストーリー上の「禁じ手」を三つも同時に捻じ込んでくる。 以下重大ネタバレあり

2017-01-18 18:32:32
生命情報保存研究所 @rodan670

まず第一に、終戦まであとわずかに差し迫った昭和20年6月、米軍が投下した時限爆弾の爆発に巻き込まれ、すずの監視下において、彼女の義理の姪(5歳程度)が死亡する。この姪は明るい性格で、なおかつすずを慕っており、結果嫁ぎ先におけるすずの一つの精神的支柱となっていて

2017-01-19 07:03:21
生命情報保存研究所 @rodan670

ということは当然それを視聴する観客にとっても精神的支柱となっており、ゆえに彼女の突然の他界は、作品の世界観全体を暗転させる。映画には一つの法則があり、犠牲者が元々生命力の弱い存在であればあるほど、視聴者が受ける心理的ダメージは大きくなる。

2017-01-19 07:08:34