【本日の父上】
- RyuichiSato
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期待を持たないで生きるということは素晴らしいことだけど、あまり理解されない。心配でしょう、大変でしょうと言われても、実感がない。なるようにしかならないので、状況に適切に対処するだけだ。すぐに良くなりますよという慰めもいらない。それが貴方の優しさの表現だということは理解しているよ。
2017-01-11 19:57:43父の入院9日目。肺炎とガンを患った94歳、俺のアイドルは安静ながら今日も生きている。入れ歯を洗い、新しいシェーバーで髭を剃ってやり、衣服を整え、水を一口飲ませ、ラジオを自分で操作できるようにベッドに括り付ける。明日はライブなので姉が来てくれる。蝋燭の火は揺らめきながら燃えている。
2017-01-12 15:17:53父の病室の向かいのベッドの老人(「あんた焼肉好き?」の人)は、今日は「カズコさーん!」と叫んでいた。隣のベッドの老人は看護師さんに「ここは何処ですか」と丁寧に尋ねていた。 もしかしたら、ここが何処で自分が誰か、誰もが忘れているのかもしれない。「マトリックス」がそんな話だったな。
2017-01-12 16:25:51昼頃、父がいる病院からの電話で起こされた。一瞬緊張したが、悪い知らせではなかった。明日、今後のことについてお話ししたいとのこと。今日はこれから吉祥寺の画廊絵の具箱に友人の糸賀ちゆきさんの絵を見に行く。夜は8時から綾瀬CHESSにてライブ。20曲歌う予定。
2017-01-13 15:25:55父の入院11日目。天気が良かったので大量の洗濯物を干して家を出るが、駅に着く頃に雪がちらつく。病院で身の回りの世話をし、こっそりアイスを食わせる。その後看護主任と面談。炎症は治まってきたが、食が進まないので体力が落ちている。本人の好きなものを食べさせていいと許可を得る。よしきた。
2017-01-14 19:13:42父(94)の入院13日目。体を拭いて、プリンを2匙、カステラひとかけ、擦った林檎2匙、アイスクリーム3匙食べさせ、手の届くところにビスコを置く。病院の食事は全く食べていない。点滴と菓子類だけで生命が維持されている。体力は衰えるばかりだ。帰りたいだろうが連れて帰るわけにはいかない。
2017-01-16 14:18:19父は俺を近くに呼び寄せ、通帳や現金のある場所を伝えカードを手渡す。位牌、戒名、葬式の手配など細かに指示するがその話はもう10回も聞いている。ちゃんとやるから心配しなくても大丈夫だよ。父は自分の死について以前から周到に用意している。確実なのは、今生きているということ。父も俺も君も。
2017-01-16 14:26:42父が入院しているのは、8年前に母が亡くなったのと同じ病院だ。当時俺は西八王子のマンションで一人暮らしをしていて、見舞いに来るたびに母を笑わせ、笑顔の写真を撮ってはブログを書いた。ネット上には晩年の母の笑顔がたくさん残っている。病床の父の写真は撮る気になれない。何故かはわからない。
2017-01-16 15:31:54昨晩報告しましたが、新しいアルバムに収録する全12曲のミックス作業が完了しました。制作に1年以上かかった。先程、デザイナーと打ち合わせ。ジャケット表は今回も自分の描いた絵になります。レーベルや流通をどうするかは検討中。原盤制作のみならず販売まで100%自分でやるかも。
2017-01-16 20:01:34父の入院14日目。家から薄い布団を持参する。11時に担当医と面談、治まっていた肺炎がぶり返しているので抗生物質の点滴を再開するとのこと。ガンの転移はないようだ。12時、昼食。ティースプーンで食べさせる。看護師は食べないと言っていたがペースト状の5品を3口ぐらいずつ食べてくれた。
2017-01-17 13:13:49担当医とは無理な延命をしないことで合意。おやつに擦った林檎、牛乳、アイス、お茶、ビスコを少しずつ。栄養取って元気になっておくれ。「立て、立つんだジョー」 twitter.com/ryuichisato/st…
2017-01-17 13:23:48【本日の絶叫爺さん】先日「かみさま〜」と叫んでいた父の向かいのベッドのお爺さん、今日は「カズー、カズよー」と叫んでいた。看護師さんが「今日は娘さんが来てくれますよ。奥さんはどこにいるの?」と訊くと「どこにいるんでしょうねえ…」と答えていた。午後、家族四人が面会に。よかったね。
2017-01-17 14:11:28朝、父からの電話で、靴下の替え、痛み止め、痒み止めなどを届けてくれとのこと。見舞いに行く下の姉に託す。下の姉の話によれば、父は食べたものを全部吐いてしまうので、もう食事は無理とのこと。この3週間ほとんど食事は摂らず、抗生物質入りの点滴とアイスクリーム、牛乳だけで命をつないでいる。
2017-01-18 17:19:29父から「遺影の写真は仏壇の下にある。戦地から持ち帰ったゲートルを棺桶に入れて、それをつけて旅立ったと葬式では言ってくれ」との伝言。その他細々したこと全ては去年のうちに聞いている。まだ意識ははっきりしているが、いつどうなるかわからないので、今晩上の姉が札幌から帰郷する。
2017-01-18 17:25:50同郷で出征した仲間で、生きて帰ったのは十人のうち二人だったと言ってました。父は運が良かった。 twitter.com/mimosa1953/sta…
2017-01-18 19:10:29@RyuichiSato ゲートルに、あの時代と仲間たちへの様々な深い思いが染み込んでいらっしゃるのでしょうね。最近の佐藤さんのツイートにお父様との熱い静かな情愛に胸をあつくしています。
2017-01-18 18:47:05父の入院16日目。北海道から駆けつけた上の姉(長女)を連れて見舞いに行く。「●●ちゃんが来たよ」と告げると、顔を見て手を握り「●●ちゃーん!」と号泣する。父の泣き顔を見たのは初めてかもしれない。よほど嬉しかったのだろう。しばらく席を外す。
2017-01-19 14:28:44父は俺に家の鍵や財布の中の現金を預け、よろしく頼むと。本人は自分はもう長くないと思い込んでいるようだが、病院の側は緊急事態とは考えてないようだ。もっともできることもそれほどないのだが。食べ物はぜんぶ吐いてしまうので、好きなアイスクリームももう食べられない。牛乳だけは飲んだ。
2017-01-19 14:33:53認知症やボケてしまった親の介護はさぞかし大変だろうと思うが、意識がはっきりしたまま衰弱して、だんだんと不自由になる肉体に閉じ込められたまま死に至る人の気持ちは、それはそれで大変なんだろうなあと思う。いくら覚悟をしていたとしても。
2017-01-19 23:09:32父が辞世の詩を口述で残した。「74年前、敵弾の飛び交う中、銃剣を握って突進した。還らない青春。足に巻いて戦地を3〜4千キロ歩いたこの巻脚絆とともに、今再び最後の旅に出よう。今度の旅は楽しいものになりそうだ。静待つ郷へ」といった内容。静は母の名前だ。俺に作曲してほしいという。
2017-01-20 00:16:5835年前、谷川俊太郎さんと吉原幸子さんの作曲をしていた頃、二人は会うたびに親の介護の話をしていた。俺は当時30代でピンとこなかった。吉原さんはその後パーキンソン症候群になり亡くなった。今、同世代の友人たちの多くは親の介護を抱えている。やがては誰の身にも巡ってくるテーマなのだろう。
2017-01-20 00:39:19親には可愛がってもらったあげく、期待を裏切り、世話になってばかりで、なにひとつ返せそうにはなかったが、晩年になってすこしだけ世話ができるようになったことが、俺には嬉しいんだよ。
2017-01-20 00:44:58実は俺のレパートリーに父のことを歌った歌が一曲だけある。「越え来し山」は父が書いた自叙伝のタイトルだ。それに自分自身の来た道を重ねて歌にした。先週のライブから今、youtubeにアップした。 youtube.com/watch?v=sDGFtf…
2017-01-20 01:35:04父からの電話で起こされる。「持ってきてもらいたいもんがあるんだよ。鏡台の下にある湿布薬と、炬燵の下にある座布団。早く来て」。湿布薬は持っていったのを忘れているようだ。電話できるのは素晴らしいが、耳は聞こえていない。今日は上の姉が世話をしに行く番だ。窓の外は一面の雪。
2017-01-20 10:07:53