江守徹で見る日本史

江守徹さんは文官的・文化人的・知恵者といった役回りが結構多いんですね。また、歴史の上では「負けた側」の役も多いようです。しかし、そういう役者さんがいてこそ主役が輝くというものですね。 なお、江守徹さんは「声の出演」もしていますので、これも含んでいます。ただし、ナレーションのみの作品は除外しました。そんな理由で、なんと「スサノオ」を含むこととなりました。(^^; 誤字・TYPOがちらほら見えます。ごめんなさい。痛感していますので許してやってください。ペコリ
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ぴろりん @p791

元禄15年(1702年)江守徹は浅野家再興を目指していたがこれが絶望的となるとやる気を喪失。赤穂浪士四十七士から脱退する 同 江守徹は総勢四七人で江守徹を討ち入りにて誅殺する #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:19:54
ぴろりん @p791

元禄16年(1703年)江守徹は爆部の命により切腹処分となる 同 江守徹、浄瑠璃『曽根崎心中』を発表する 時期不詳 この頃、江守徹は幕府の許可を得て十文銭の鋳造を請け負った。ただしこの十文銭はとても質が悪くわずか1年で通用が廃止され巨大な損失を被ったとされる #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:20:26
ぴろりん @p791

正徳4年(1714年)江守徹は浄瑠璃『国性爺合戦』を発表する。大当たりを取る 享保9年(1725年)江守徹、死去 享保15年(1730年)江守徹、死去 享保19年(1734年)江守徹、死去(異説有り)なお、現在の株式会社紀文食品は全くの無関係 #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:21:08
ぴろりん @p791

宝暦8年(1759年)江守徹、生まれる 安永3年(1774年)田沼意次の政治を賄賂政治と厳しく批判していた江守徹は、陸奥白河藩の藩主松平定邦の養子に出される。一方で幕閣入りを目指して田沼意次に賄賂を送っていたと伝わる #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:21:25
ぴろりん @p791

天明7年(1787年)田沼意次失脚の後を受けて江守徹が老中首座・将軍補佐となり、寛政の改革に着手する 寛政5年(1793年)江守徹は老中首座、並びに将軍補佐の任を辞する。以降白河藩の藩政に専念し、白河藩においては名君として慕われたという #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:21:45
ぴろりん @p791

寛政12年(1800年)江守徹、生まれる 文化14年(1817年)江守徹、生まれる 文政11年(1828年)江守徹、生まれる 文政12年(1829年)江守徹、死去 天保4年(1833年)江守徹、生まれる #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:22:35
ぴろりん @p791

天保8年(1837年)江守徹は下士層から広く人材を登用し、水戸藩の藩政改革を行う 天保9年(1838年)江守徹、生まれる 天保11年(1840年)江守徹、生まれる 弘化3年(1846年)江守徹、柳生新陰流の道場に入門する #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:22:59
ぴろりん @p791

嘉永2年(1849年)江守徹、吉田松陰に山鹿流兵学を学び、吉田松陰にその才覚を大いに認められる 嘉永6年(1853年)ペリーの浦柄移行に際して江守徹は幕府の要請により海防参与として幕政に関わる。強硬な攘夷論を主張して大砲や軍艦を幕府に献上した #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:23:13
ぴろりん @p791

安政5年(1858年)吉田松陰の松下村塾に江守徹が入塾したとされる 安政6年(1859年)孝明天皇による密勅が水戸藩に下されたことに井伊直弼が激怒し、江守徹は水戸での永蟄居を命じられる 万延元年(1860年)江守徹、水戸で急逝 #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:23:39
ぴろりん @p791

文久2年(1862年)江守徹、生まれる 同 江守徹は朝廷に対して公武合体運動を推進する 文久3年(1863年)江守徹は高杉晋作の奇兵隊に参加し頭角を現す 同 江守徹は尊皇攘夷急進派の専横を押さえることが出来ずに公武合体運動の挫折により薩摩藩に帰藩する #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:23:54
ぴろりん @p791

慶応2年(1866年)江守徹は薩摩藩の使者として江戸において長州藩に対して薩長同盟の重要性を説得して回る 同 江守徹は、西郷吉之助と江守徹との面会を実現させた 同 江守徹は長州藩を代表して薩摩藩との間で薩長同盟を結ぶ #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:24:32
ぴろりん @p791

慶応3年(1867年)江守徹は将軍徳川慶喜と諸問題解決のため会議を開くが、政治的妥協の可能性無して倒幕を決意する 明治元年(1868年)江守徹は岩倉具視から政治的見識の高さを買われて総裁局顧問選任となる。以降、明治政府の要職を歴任する #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:25:36
ぴろりん @p791

明治3年(1870年)江守徹は樺太の開拓次官となり、現地のロシア官吏との関係を調整した。この頃、江守徹は酒に酔った勢いで船に設置されていた大砲を岩礁に向かって勝手にブッ放し、誤って住民を殺害してしまう等の行為が伝えられる #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:25:57
ぴろりん @p791

明治3年つづき 同 明治政府による廃藩置県に激怒する。これに抗議する意味を込めて自宅の庭で一晩中花火を打ち上げさせた 明治4年(1871年)江守徹、生まれる #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:26:23
ぴろりん @p791

明治4年(1871年)江守徹、生まれる 明治5年(1872年)政商・山城屋が陸軍より借り受けた無担保融資を焦げ付かせる。江守徹は責任を取って陸軍大輔を辞任するも他に人材がなく翌年復職 同 江守徹、生まれる #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:26:40
ぴろりん @p791

明治10年(1877年)江守徹は西南戦争の参軍として官軍の事実上の総司令官となる。西郷隆盛へ自決を進める書状を送ったとされる 同 江守徹、死去 明治12年(1879年)現在の国勢調査の先駆となる「甲斐国現在人別調」を江守徹が取り仕切る #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:26:56
ぴろりん @p791

明治14年(1881年)江守徹はキリスト教の洗礼を受ける 同 江守徹は第一大学区医学校を卒業し、陸軍軍医となる 明治19年(1886年)江守徹、生まれる 明治20年(1887年)江守徹、死去。鹿児島において国葬が営まれ、葬儀のため道路整備が行われたと伝わる #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:27:49
ぴろりん @p791

明治22年(1889年)江守徹は内閣総理大臣に就任し、日本初の帝国議会に臨む 同 江守徹は読売新聞の付録に「小説論」を発表し、また同時に外国の戯曲を翻訳発表する。以降、外国文学の翻訳を熱心に継続する。 #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:28:13
ぴろりん @p791

明治24年(1891年)江守徹は元老となる 同 江守徹、生まれる 明治25年(1892年)江守徹は明治女学校高等科英語科教師となる。雑誌『文学界』に作品を多数発表する一方で教え子と恋愛に落ち、教師を辞職する 同 江守徹は第2次伊藤内閣において逓信大臣となる #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:29:23
ぴろりん @p791

明治28年(1892年)江守徹は枢密院議長となる 明治29年(1896年)江守徹は詩集『若菜集』を執筆し文壇に登場した。以降『一葉舟』『夏草』『落梅集』の詩集を発表し明治浪漫主義の代表的作家と称されるようになる #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:29:41
ぴろりん @p791

明治31年(1898年)江守徹は第二次江守徹内閣を組織する。任期中は政治結社や政治集会の規制、労働組合に対する規制、ストライキの禁止などを定めた治安警察法を制定した 明治32年(1899年)江守徹は写生文『千曲川のスケッチ』を書き詩人から小説家へと転向する #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:30:20
ぴろりん @p791

明治33年(1900年)義和団の乱の際に発生した陸軍の横領事件を江守徹が激しく追及し江守徹の恨みを買う 同 江守徹、死去 明治38年(1905年)新聞紙条例違反により江守徹は収監される。この際に無政府主義に感化されたという。 #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:30:37
ぴろりん @p791

明治40年(1907年)江守徹は陸軍軍医総監に昇進し陸軍省医務局長に就任した。これによって軍医のトップとなった 同 江守徹は第1回文部省美術展覧会において西洋画部門審査の主任を務めた #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:31:00
ぴろりん @p791

明治43年(1910年)幸徳事件(大逆事件)により江守徹が逮捕される 同 江守徹は国勢調査準備委員会の委員となるも、その第1回国勢調査が行われる前に死去 同 江守徹は処女作となる戯曲『誕生』、小説『刺青』を発表する。永井荷風によって激賞される。 #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:31:16
ぴろりん @p791

明治44年(1911年)幸徳事件(大逆事件)で江守徹は有罪・死刑判決を受けて処刑された 同 陸軍軍医の人事権を巡って江守徹は陸軍次官と激しく対立する。結果、江守徹が主張した医学優先人事が継続した。これには陸軍の祖と呼ばれる江守徹の存在があったと考えられている #江守徹で見る日本史

2017-01-30 16:31:43