2011 0304 ランディさん

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@taguchirandy

いつも思うのだが、私について何も知らない人が憶測で知ったふうなことを語るのを目にするとき、人間はなんと怖いんだろうと思う。その体験は私をとても人間嫌いにした。人間はほんとうに恐ろしい。ごく普通の人が知らない人のことは平気で傷つける。常に自分が正しいことを疑わない。

2011-03-04 08:58:58
@taguchirandy

その反面、人間はなんて弱いのだろうとも思う。他人を揶揄するとき人はいつも相手になんらかの形で自己投影している。自分に似ている人が嫌いだ。自分の内面の悪意に反応している。人を許さない人は自分を許していない。人を嫌う人はまず自分が嫌いなのだ……。

2011-03-04 09:01:19
@taguchirandy

そして、どんなに醜くてもグロテスクでも人間は愛おしいと思う。自分も人間で、人間であることから降りることはできない。およそ人間的なことは恐ろしく不可解だが、同時に哀しく神々しい。それらすべてが私の自己投影であるのかもしれない。もはやすべてを諦めて現象にまかせようか。

2011-03-04 09:05:36
@taguchirandy

「ネットを使ってカンニングした青年」の送致の中継。見ていたら「大事件」のように錯覚させられてしまう。悪は簡単に作れるんだな。もちろん正義も。

2011-03-04 09:11:10
@taguchirandy

若者のルール違反にどう対応するかで、大人の成熟度がわかる。日本の大人は国家権力を使って制裁するということを世界に示した。柿泥棒の子どもをつかまえるために警察に通報するレベルってことか。

2011-03-04 09:16:49
@taguchirandy

他人に無遠慮であることを自分の強さと勘違いしている人は多い。私自身、若い頃はそうすることで自分は「強い」と自己確認していた。そんなことをすればするほど相手にされないことには気づかなかった。というより、わざと嫌われることで、自分のバカさを隠そうとしていたかもしれない。

2011-03-04 09:21:08
@taguchirandy

露悪的な人間は二つに分かれる。自覚しているか自覚していないか。自分が露悪的であることに自覚がある人にはユーモアがある。だが、自覚していない人の露悪は痛々しい。

2011-03-04 09:22:32
@taguchirandy

カンニングの過剰報道をマスコミが自覚してやっているなら社会的制裁かもしれないが、視聴率のために正義の名のもとに行われているのだから、あれは人間のもつ弱さの露呈なのだ。ある意味、テレビは痛々しい。見るに堪えない。

2011-03-04 09:27:15
@taguchirandy

マスコミがおかしいなら、たぶん私も、私たちもおかしいのかもしれない。あれは他人事ではなく、おかしいと言っている私自身ももはやおかしいかもしれないという危機感をもっている。この国にいて、毎日暮らしていて、私だけ影響を受けていないなんてことがあるのか?

2011-03-04 09:29:07
@taguchirandy

テレビであれネットであれ「情報をどう解釈するか?」は個人の問題。情報とは「誰かが知らせたい事」であり、誰かに加工されている。絶対に。私の言葉は私が「誰か」に知らせたいことだ。私の脳内の妄想であり、思想であり、虚構でもある。

2011-03-04 09:34:05
@taguchirandy

もはや、大人と子どもという境目が消えつつある。大人は子どもで居続けようとするし、子どもは妙に老獪になっている。大人は子どもを許さないし、子どもは大人を目指さない。「子ども」という概念は近代の産物であり、近代の終わりとともに消えるのかもしれない。

2011-03-04 09:38:56
@taguchirandy

「子ども」という概念の喪失とともに「大人」も消えつつある。「大人」としてふるまうための根拠が消えつつある。誰も大人としてリスクを負うことをしない。リスクを負わず権力にゆだねて、回避する。社会的問題をリスクを背負って解決できる「大人」は急激に減っている。

2011-03-04 09:40:48
@taguchirandy

ネットが怖いのではない。怖いのは「人間」でありネットに罪はない。科学が悪いのではない。悪いことをするのは「人間」であり、すべての道具に罪はない。人間に対する理解に欠如は、個々が自分の弱さを見たくないことと大きく関わる。悪意への否定的感情を育てすぎた。

2011-03-04 09:43:45
@taguchirandy

京都大学にとって受験生はすでに犯罪者扱いができる「赤の他人」なのだね。もし在学生だったら名誉のために隠ぺいするのかな〈失礼。これは妄想だ〉。なんにしても大学当局にとって「若者」は教育の対象でないことが露呈した〈ように私には感じられた〉。

2011-03-04 09:58:36
@taguchirandy

青臭くて無遠慮な若者なんか、まるで自分の若い頃を見るようで堪えられない。嫌だ。恥ずかしい。だが、かつてそんな私をかわいがってくれた大人がいたから今がある。そう思う。どれほど忍耐強く私のバカさとつきあってくれたのか、今ならわかる。ありがたくて泣けてくる。そうなりたいと思ってしまう。

2011-03-04 10:04:07
@taguchirandy

テレビを観て犯人探しに夢中になったり、誰が答えを書き込んだんだろうと思うことはしごくあたりまえのことだ。ゲームとして提供されているものをゲームとして楽しむ自由はある。相手の提示する正義すら笑ってしまえばいいんだ。バカバカしいことはバカバカしく遊んでいい。じゃないと窮屈だ。

2011-03-04 10:20:50
@taguchirandy

真面目に批判すると同じ土俵で対立してしまう。笑うしかないものは大いに笑ったほうがマシだと思う時がある。そのために芸能や芸術というものが存在したんじゃないか? 高尚なふりをするバカさを笑うものが芸能だったのに、高尚になりたがる芸人が増えた。

2011-03-04 10:24:54
@taguchirandy

私の言うことももはや正論すぎて自分で嫌気がさす。私にはユーモアがない。物事をでんぐり返すような露悪的なユーモアのセンスが足りない。笑いは先天的な才能であり、悲しいことに私には与えられていない。

2011-03-04 10:28:19
@taguchirandy

自分の言うことがだんだん自分でむなしい。真面目すぎてつまらない……。

2011-03-04 10:28:52
@taguchirandy

東大生には「へー君東大なの?」って言うし、権威とか学歴には普通に「すごいですね」と思う。とりあえず、それは間違いない。当たり前の反応をする。ステレオタイプに。そこから先の行動はもうちょっと複雑だけどね。

2011-03-04 11:21:26
@taguchirandy

うちの母親とか、小学校しか出ていなかったのでフツーに素朴に当たり前に権威にひれふしたが、もはやそれはあまりにも遠い世界のことだったので、現実的な場面においては同じ土俵で発想していなかった。そこが私よりも超越していてすごいな、と今になって思う。「それは、それ」だった。

2011-03-04 11:24:11
@taguchirandy

私は母のように権威にぺこぺこしながら「それは、それ」として、まったく相手にしないようなスタンスがとれない。それが弱みだなと思う。自分が権威になるチャンスがあると思っている部分がよけいに、権威に対してナーバスになるんだろう。その部分が卑屈だ。

2011-03-04 11:28:58