『赤き國の極東にて』外伝---嘆きの岬・孤独の海---

コミケで頒布した「赤き國の極東にて」の、約7年前のお話。
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小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

「どうせ知ってるだろうから言っておくがな」 「なんだよ、急にさ」 「お前、上官や周りから何て呼ばれてるのか知ってるか?」 「呼ばれ方って、オレは―――」 「―――『死神』だ、覚えとけ」

2017-02-24 21:57:14
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

『カムチャツカの鎮守府』外伝 ---嘆きの岬・孤独の海---

2017-02-24 21:57:33
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

1945年。ソ連北方、ムルマンスクにある海軍基地。雪解けの時期。 日の出間近そこは、異樣に騒がしかった。無理もない、一隻の駆逐艦が沈没したのだから。

2017-02-24 21:58:09
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

敵襲か?いや、その可能性はない。暗礁か?否、そもそもこの付近には存在しない。何か大型の魚とぶつかったのではないか、との見解が一番であるようだ。 しかし、敵襲ではないか、との考えも根強かった。

2017-02-24 21:58:34
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

この基地に所属する艦が沈没したのは二桁に近い。しかし、その中の3隻はある女性隊員が搭乗していたものだった。 その名前はリーリャ・ミハイロヴナ・ルトコフスカヤ。愛称リリューシャ。階級二等兵曹。3年前に志願兵として入隊し水雷艇に二度配属され、その後今回沈没した駆逐艦に配属されていた。

2017-02-24 21:59:37
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

過去に乗っていた水雷艇二隻も、どちらも沈没した。 「急げ、医務棟のベッドを空けろ!」 「毛布をありったけ用意しろ、ついでに火もだ!」 「そら、次の船が来たぞ。手すきの者は運び込む支援をしろ!」

2017-02-24 21:59:52
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

大声で指示が飛び交う寒空の下、彼女は濡れた軍服を着たまま毛布にくるまり一人火に当たっていた。口元をぎゅっと瞑り鋭い視線を焚火に向け、時折吹く北寄りの風に、濡れて艶を増した金色の短い髪を揺らされている。その姿は寂しそうではなく、寧ろどこか苛立ちのようなものすら感じさせる雰囲気だ。

2017-02-24 22:00:46
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

そこへ、一人の男が歩み寄ってきた。上等兵曹の肩章。こちらもずぶ濡れの軍服。別の配属の上官だ。 「まさか、本当に沈むとはね」 その男はリーリャの横へとしゃがむと、そう呟いた。 「……なんだよ、その言い種は」 リーリャは微動だにせず、敬語も使わずぶっきらぼうに返す。

2017-02-24 22:00:58
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

「リーリャ二等兵曹。君は自分の立場を分かって物を言うと言う事を覚えた方が良いんじゃないか」 少し厳しい口調に変えた上等兵曹に、火を見つめ続けていた鋭い視線を睨み付けるようにして移す。 「オレはお前にそうやって偉そうな口を利かれる理由が分からないね」

2017-02-24 22:01:15
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

「貴様、上官に向かってその口の利き方は―――」 「だからどうした。自分の指揮下の兵士を捨てて我先にと逃げたヤツに、それを言う権利なんかねぇだろ」 ぎり、とその上等兵曹は歯軋りをする。リーリャの言っている事は事実だった。 「そんな我が身だけが大事なヤツが上に立つ資格なんてねぇよ」

2017-02-24 22:01:58
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

吐き捨てるようにもう一言毒づくと、リーリャはすっと立ち上がった。 「おい、貴様どこへ行くつもりだ!」 上等兵曹が大声で呼びとめようとするが、リーリャはそれを無視して自らの兵舎へ向かって歩みを進めるのだった。

2017-02-24 22:02:10
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

女性軍人用の兵舎。兵は二段ベッドが並ぶだだっ広い部屋、下士官は二人部屋、それ以上は一人部屋になっていた。その一階の隅にあるリーリャの部屋は、同じ部屋に寝泊まりするもう一人の二等兵曹が、心配そうな表情でリーリャの帰りを待っていた。

2017-02-24 22:02:25
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

そんなことは露知らず、リーリャは不満そうな顔でいつも通りぶっきらぼうにドアを開けた。二等兵曹がそちらに目をやる。 「同志リリューシャ、大丈夫でしたか!?」 ほっとしたような、しかし心配そうな声で二等兵曹が訊く。 「我が身が大事な上等兵曹様に説教されてきたぜ。一蹴してきたけどな」

2017-02-24 22:03:47
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

けっ、と吐き捨てるような口ぶりのまま、リーリャはそう返事を返した。 「じょ、上等兵曹殿にそんなことをしたら、今度こそ反逆罪で捕まって……」 「オレが反逆罪?その前にあの『姿だけ上等兵曹』が捕まってオシマイさ。自分だけ助かればそれで良いと思うヤツなんて、上に立つ資格なんてねえ」

2017-02-24 22:03:54
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

毒づくリーリャを、二等兵曹は心配そうな顔で見ていた。 「そうは言っても、同志リリューシャはそれが原因で階級が―――」 「オレの階級なんてどうでもいいんだよ。国のためにならねえヤツが上にヘコヘコいい顔して昇進するのが許せねぇ」

2017-02-24 22:04:06
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

リーリャは苛立ちを露わにしてそう言った。勿論、その二等兵曹の言っている事を全く理解していないわけではない。寧ろ、現状に不満を持っているのは確かだ。

2017-02-24 22:04:42
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

何しろ、彼女の功績は大きなものがある。敵駆逐艦を水雷艇一隻で仕留め、その水雷艇が敵によって大破させられた際には、我が身の危険を顧みず戦死した上官たちや、慌てて何もできない上官に代わって指示を出しつつ救助要請を出し、何とか安全海域まで脱出させたと言うものだ。

2017-02-24 22:04:51
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

そして、特例で二等兵曹へと昇進。しかし、その時に基地司令部の上官たちに目をつけられ、以降同期が順当に昇進していく中でこの階級から全く上がる事ができず、悶々とした日々を過ごしていた。

2017-02-24 22:05:05
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

「……同志リリューシャ」 「なんだ」 「とりあえず……着替えてはどうでしょうか」 何とか話題を変えようと、二等兵曹はリーリャに着替えることを提案した。 「……そうする。ありがとう」 漸くリーリャの不機嫌な顔が緩み、そして二等兵曹の方を見て礼を言う。

2017-02-24 22:05:24
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

「いえ、どういたしまして」 二等兵曹は、ようやくリーリャの表情が緩んだことに安堵の息を漏らした。

2017-02-24 22:05:31
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

替えの服とタオル、石鹸を持ったリーリャは、一人シャワールームへと向かった。この時間は本来時間外だが今回の事故によって臨時で開いていた。ロッカーの上段に着替えを入れ濡れた軍服を脱いでしまうと、タオルと石鹸、洗剤、それに濡れた軍服を持ちシャワーブースへと向かった。他には誰もいない。

2017-02-24 22:06:21
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

栓を開くと、勢いよくお湯が出て冷えた身体に降り注ぎ、大きすぎず、小さすぎない起伏の身体を流れ温める。そこで、リーリャは漸くほっとしたような溜息をついた。「……」無言で塩水でべとべとになった髪を洗い、身体もしっかりと流していくと、それまでの苛立ちも一緒に流れていくかのようだった。

2017-02-24 22:06:54
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

そして、次にその濡れた軍服にお湯を掛け、洗剤を付け、洗い始める。濡れて一層濃い色になっていた紺色の軍服が、白い泡で包まれ、そして服の汚れが少し黒く汚れた水と泡となって、排水溝へと流れていく。それも、今回の鬱憤が流れて消えていくようにも見えた。

2017-02-24 22:07:09
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

「……」 そして、お湯を止め、軍服を手でできるだけ絞り、タオルで身体を拭く。毎日している、何の変哲もない動作が、何故か今日は心をすっきりとさせるようだった。

2017-02-24 22:07:18
小鶴巡人 @Zhuravlik_KC

途中までだけどここまで。

2017-02-24 22:07:37