「GAの視点」二川由夫KYAデザイン会議

GAという世界的な建築誌を主宰される二川由夫さんのレクチャーです。
1
建築エコノミスト森山高至(漁協建築研究家) @mori_arch_econo

KYAデザイン会議の4回目は、世界的な評価と影響力をもつ建築専門誌GAの二川氏をお招きしてのレクチャーでした。 pic.twitter.com/rHJm3sIce4

2017-04-02 23:03:00
拡大
建築エコノミスト森山高至(漁協建築研究家) @mori_arch_econo

この「GA」というロゴはかの有名な広告製作会社ライトパブリシティのアートディレクター細谷巌さんによるものです。 pic.twitter.com/SVrzWLOIdT

2017-04-02 23:08:29
拡大
建築エコノミスト森山高至(漁協建築研究家) @mori_arch_econo

KYAデザイン会議「GAの視点」二川由夫①横河さんより建築写真家の二川由夫とお呼びになりましたが私は建築写真家とは名乗っておりません。その理由は追々解説したいと思いますが、GAという建築誌は二川幸夫が1970年に興したものです。二川は20代のころに写真家としてデビューしました。

2017-04-02 23:15:05
建築エコノミスト森山高至(漁協建築研究家) @mori_arch_econo

KYAデザイン会議「GAの視点」二川由夫②二川幸夫は20代で「日本の民家」で写真家としてデビューし大きな賞も受賞しています。しかし、幸夫は建築写真家として誰に付いて学んだとか修行したとか、そういった経験を積んだわけではありません。実家は大阪で19代続いた材木屋に生まれました。

2017-04-02 23:18:22
建築エコノミスト森山高至(漁協建築研究家) @mori_arch_econo

KYAデザイン会議「GAの視点」二川由夫③戦争で被災した家業を継ぐことを前提に工業高校に進学し建築を学んだようですが、工事会社で現場監督になるための実務的プラクティスでした。よき恩師に恵まれたのか卒業後すぐに家業を手伝うのではなく大学に進学します。しかし建築学科でなく文学部でした

2017-04-02 23:27:35
建築エコノミスト森山高至(漁協建築研究家) @mori_arch_econo

KYAデザイン会議「GAの視点」二川由夫④早稲田の文学部では美術史を専攻したようですが、そこで日本の民家に関心を持ちます。当時は「民家」などというものは、学問としては民俗学的な調査対象でしかなく、建築家が関心を寄せたり審美的評価が与えられるような状況ではまったくなかった時代です。

2017-04-02 23:31:20
建築エコノミスト森山高至(漁協建築研究家) @mori_arch_econo

KYAデザイン会議「GAの視点」二川由夫⑤各地の民家を訪ね歩き当初は写真ではなくスケッチしていたようです。幸夫の姉の夫が新聞社でカメラマンをしていた関係からカメラを譲り受け、現像方法を学んだりしたこともあり、記録方法としてカメラを身近に親しむ下地があったことが幸いしたのでしょう。

2017-04-02 23:34:58
建築エコノミスト森山高至(漁協建築研究家) @mori_arch_econo

KYAデザイン会議「GAの視点」二川由夫⑥幸夫の撮影方法は一貫していまして、予定を立て下調べをしていきなり撮影ではなく、「あの辺に行くといいだろう」と大体のアタリをつけ現地を彷徨し、土地の料理を食べ、生活スタイルや風景に接し、建築と出会う。文化的背景として建築を見ていました。

2017-04-02 23:38:55
建築エコノミスト森山高至(漁協建築研究家) @mori_arch_econo

KYAデザイン会議「GAの視点」二川由夫⑦「日本の民家」は圧倒的な存在感や迫力といった評価と印象を受けますが、今、見ると撮影技術的には未熟なのです。しかし、明暗のコントラストを含め対象に迫り、見るモノに迫ってくるそういった写真であったろうと思います。それが原点です。

2017-04-02 23:41:36
建築エコノミスト森山高至(漁協建築研究家) @mori_arch_econo

KYAデザイン会議「GAの視点」二川由夫⑧父の仕事の取り組みは見ていましたが、私は建築方面に進まなかった。大学では機械系に進み、その後は音楽活動をしていました。実は子供の頃プレゼントとして製図版と左利き用のT定規を両親から贈られるような、建築家になれと言われんがばかりの育ちでした

2017-04-03 16:29:42
建築エコノミスト森山高至(漁協建築研究家) @mori_arch_econo

KYAデザイン会議「GAの視点」二川由夫⑨私にあるとき父が「コルビュジェやミースを目指すのでなきゃ、建築家になんかなってもつまらんよ、、」と語るともなくつぶやいたことがあります。その後、父の仕事を手伝おうと決心しプリンストン大学建築学科に進みました。そして現在に至るわけですが、

2017-04-03 16:37:50
建築エコノミスト森山高至(漁協建築研究家) @mori_arch_econo

KYAデザイン会議「GAの視点」二川由夫⑩父を前にして「建築写真家」は恐ろし過ぎますから、もっぱらジャーナリストとして建築を捉え写真とは距離を置いていました。が二川幸夫の仕事のプロセスというものはテクニカルな技術は血肉として十分に理解し再現可能できるレベルにとうに達していました。

2017-04-03 17:01:39
建築エコノミスト森山高至(漁協建築研究家) @mori_arch_econo

KYAデザイン会議「GAの視点」二川由夫⑪GAはグローバルアーキテクチャー、これは初めから世界で売ることを意識して作ったもの。海外の建築事例を日本に紹介したり日本の建築家を海外に紹介する目的ではありません。グローバルな立位置から発信する建築誌がたまたま日本にあったというだけです。

2017-04-03 17:05:35
建築エコノミスト森山高至(漁協建築研究家) @mori_arch_econo

「GAの視点」二川由夫⑫晩年の幸夫は建築作品も建築家も、いわゆる巨匠の時代の終焉後、あらたな巨匠が現れる環境じゃないことを寂しく思っていたようですが、新しい作家、建築、若い建築家への関心や期待は終始失うことはなかったです。ただし最晩年「やはり庭だ!」と「建築じゃない庭なんだ」と

2017-04-03 17:13:18