デッドエンド・モダニズム / 岸和郎

要約と感想です。
建築
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はるきち @kiruhachi
岸和郎さんの「デッドエンド・モダニズム」 amazon.co.jp/dp/4864800189/… を一通り読んだ。今日は第1章の「爛熟の後に来るもの」をまとめる。
はるきち @kiruhachi
まずは、モダニズムが始まる直前の19世紀の様式主義の建築家である、カール・フリードリヒ・シンケル(1781-1841)に着目している。シンケルについて、「古典主義的な建物を手がけるかと思えば、一方でネオ・ゴシックのロマンティックな教会を建ててみたり、(続く
はるきち @kiruhachi
あるいはヴァナキュラー的とも見えるシャルトッテンホーフの毛質養樹園(1829-33)を造ったりする。そこに何かの可能性があるように、当時の私は思ったんです。」と述べている。
はるきち @kiruhachi
続いて、ケーススタディハウスを、モダニズムの理念を初めて「郊外での可能性」として読み替えたものとして、その「空間性」について着目している。さらに、モダニズム建築が疑問視され、ポストモダニズムが台頭する前後に、なおハイエンドなホワイト派を貫いた建築家たちとその作品にも着目している。
はるきち @kiruhachi
それがリチャード・マイヤー(1934-)の「スミス邸」(1967)、土浦亀城(1897-1996)の「自邸」 (1935)、マルセル・ブロイヤー(1902-1981)の「Hooper House II」(1959)、
はるきち @kiruhachi
ポール・ルドルフ(1918-1997)の「Milam Residence」(1961)である。そして「何かのイズムがグーッと上昇していくときよりは、成熟を見て悩みだした頃の方が興味深い。」と述べている。以上引用要約です。
はるきち @kiruhachi
岸さんは、強いイズムがない時代において、かつてのイズムに寄り添ったデザインが誤読され変形していく、その形態に着目している。その時代を今に重ね、現代に通づるデザイン的な根拠のようなものを、見出そうとしているのだな。
はるきち @kiruhachi
これが、ポール・ルドルフ(1918-1997)の「Milam Residence」(1961)ですね。 archdaily.com/86126/ad-class…
はるきち @kiruhachi
これはリチャード・マイヤー(1934-)の「スミス邸」(1967)です。 moderndesign.org/2012/04/richar…
はるきち @kiruhachi
岸和郎さんの「デッドエンド・モダニズム」 amazon.co.jp/dp/4864800189/… の第二講の「アメリカにおけるモダニズムの受容〔1〕」をまとめる。
はるきち @kiruhachi
この講は、1910年代~20年台後半の「肉屋の息子も貴族の息子も同じ住宅に暮らす社会が来るのではないか」というモダニズムの”理念の時代”もしくは”夢の時代”において作品を残した、コルビュジェやミース、グロピウスといった巨匠たちの、次の世代にフォーカスしている。
はるきち @kiruhachi
その中でも特に、”夢の終わりの時代”においてもなお、モダニズムの夢の可能性を追い続けた建築家たちである。
はるきち @kiruhachi
彼らは共通して、ヨーロッパからアメリカへ亡命している。その1人が、マルセル・ブロイヤー(1918-97)である。彼は緑の中に白い箱をポンと置くスタイルはあえて避け、ブスブスと埋めて高さを抑え、自然素材を用いることで、「人工とも自然ともつかないエリア」を生む。
はるきち @kiruhachi
これがブロイヤーの「Hopper House Ⅱ」(1959)だな。 dwell.com/house-tours/sl… アメリカの豊かな郊外の原風景的である。
はるきち @kiruhachi
またルドルフ・シンドラー(1887~1953)とリチャード・ノイトラ(1892-1970)は虚構の町ロザンゼルスにたどり着き、そこで緑豊かでオープンな、過剰なまでに「健康的」な作品を展開する。
はるきち @kiruhachi
これがシンドラーの「シンドラー自邸」(1922)だな。usfarcdstudio2spr2011.blogspot.jp/2011/02/preced… これがノイトラの「ノイトラ自邸」(1932)。gardenista.com/posts/gallery-…
はるきち @kiruhachi
そして彼ら3人の作品について「場所の背景や都市の雰囲気を逆照射しえた」と述べている。
はるきち @kiruhachi
つまり、”モダニズムの夢”以降もその夢の可能性に掛けた3人の作品は、逆説的にその都市の様相を語った。行き場を失ったモダニズムはスタイル化しつつも、そのデザイン理念を曲げないでいることで、思いもよらない力を得たということだな。
はるきち @kiruhachi
続いて岸和郎さんの「デッドエンド・モダニズム」の第三講の「アメリカにおけるモダニズムの受容〔2〕」をまとめる。 amazon.co.jp/dp/4864800189/…
はるきち @kiruhachi
この講では1933年にドイツからアメリカへ移った、ミース・ファン・デル・ローエ(1886~1969)とその系譜について語られている。 岸さんはミースに関して、ガラスの透明性を主張した建築家では決してなく、
はるきち @kiruhachi
「とてももの性の高いリアルな素材を使いながら、ヴォイドな空間と呼ばれる<残余>を最終的に問うていた。」の述べている。これはドイツ時代のランゲ邸(1928)やバルセロナ・パヴィリオン(1929)にてわかりやすく読み取れるが、
はるきち @kiruhachi
ファンズワース邸(1950)やIITクラウン・ホール(1956)についても、ソリッドなスティールの柱と天井の取り合いによって生まれるヴォイド空間にきわめて誠実に向き合っていると言える。
はるきち @kiruhachi
そしてそのミースの系譜として生まれた強大な存在がフィリップ・ジョンソンである。彼は「ガラスの家」(1949)にて「モダニズムにおけるオリジナリティ神話を崩壊」させた。
はるきち @kiruhachi
オリジナルでなくても構わないから、マテリアリティ/素材性を用いてヴォイドを設計しようと、ある種の開き直り・オルタナティブを提示したのである。
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コメント

はるきち @kiruhachi 2016年2月19日
まとめを更新しました。
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