そのオルタナティブのおかげで、何でヴォイドを生み出すかに力を注げる時代となった。その系譜にいるのがポール・ルドルフ(1918~97)やスティーヴン・ホール(1947~)であるという。
2016-02-11 10:37:38これがルドルフのリビア・クオリティ・ハウス(1948)。金属メッシュによる半透明空間がある。gatorpreservationist.wordpress.com/tag/ralph-twit… そしてこれがルドルフのヒギンズ・ホール(2005)。フロストガラスの塊。amassingdesign.blogspot.jp/2010/02/pratt-…
2016-02-11 10:38:20この講では、社会性については一切語られていないのが特徴である。つまりミースとミースの系譜にいる建築家たちは、ミースの背後にある社会性は排除して、その形態と空間性のみを読み取り、社会性とは離れたところにある造形スタイルを開拓した。
2016-02-11 10:38:53この2講と3講を読んで感じたのは、人工都市における象徴的な建築も、マテリアルの探求によって生まれた新たな空間も、モダニズムという強力なスタイルの受容の仕方の違いから派生したものだということだ。
2016-02-11 10:39:17とくに後者なんかはモダニズムとは別々に語られることがほとんどだと思うが、丁寧にその系譜を辿れば、モダニズムに行き着く。完全にモダニズムと遮断するには、様式主義建築に戻るしかない。こういう風に見ると、時代の機運と共鳴した建築の影響力がいかに大きいかを思い知らされる。
2016-02-11 10:39:39ミスです。✖️ルドルフの、ヒギンズ・ホール→○スティーヴン・ホールの、ヒギンズ・ホール ですね…。すみません。 twitter.com/kiruhachi/stat…
2016-02-12 11:33:36岸和郎さんの「デッドエンド・モダニズム」の第四講の「読み替えられるモダニズム」をまとめる。 amazon.co.jp/dp/4864800189/…
2016-02-12 13:31:481932年のインターナショナル展によってモダニズムの理念がスタイルに読み替えられて以降、モダニズムがどのように世界に敷衍しているのかが書かれている。 ここで注目しているのが、土浦亀城(1897~1996)である。彼はライトの事務所である「タリアセン」で働いていたという経歴がある。
2016-02-12 13:32:20そして土浦亀城による自邸(1935)について言及している。これは面白かったので、メモっておく。「ここで面白いのは、スプリット・レベルのL型プランの空間の入隅に現れる水平連続窓です。(中略)土浦邸の水平連続窓は、レベルの差を超えていくわけです。(続く
2016-02-12 13:33:16スプリット・レベルの片方のフロアだと低い場所にあるのに、別のフロアでは高い場所に出現するという構成になっている。」このような空間の重層の仕方が非常にライト的であるという。
2016-02-12 13:33:22次にアルベルト・シュペーア(1905~81)やパウル・トロースト(1878~1934)のモダニズムの理念からは離れている「ファシズム建築」を挙げ、「理念がなくても建築ができてしまい、しかもきちんとした存在感を持つことをどう受け取ればいいのだろうか。」と疑問を呈している。
2016-02-12 13:33:39「理想とすべき社会像(イズム)を形態にトランスフォームする」ことが難しくなった現代にも通づる時代において「コントロール不能な社会に対する建築」はどう生み出されていったのか。
2016-02-12 13:34:00それに対して岸さんは「とりあえず建築家としては、誰もがイコールだとする「モダニズム」を偽装するところからしか建築などつくれないのではないか。」の述べている。興味深い。
2016-02-12 13:34:19それは例えばおのれの作家性を信じてライトを独自に抽象化した土浦亀城邸、ナチズムに従わざるを得ない中で新古典主義を”引用”したシュペーアやトローストの作品から読み取れるものである。
2016-02-12 13:34:47つまりまとめると、平等な市民社会という理想社会像(イズム)が失われ、その後の社会のイズムに対応する建築の形態が存在しない1930年代以降の建築は、モダニズムを読み替えることによって生み出されたと述べているのだな。
2016-02-12 13:34:34イズムに対応する形態のない時代においては、モダニズムの形態そのものあるいは、その考え方を頼りに建築をつくっていくしかない。その結果の建築が、「理念がなくても建築ができてしまい、しかもきちんとした存在感を持つ」のである。
2016-02-12 13:35:10結局、2.3講のアメリカにおいても、4講のヨーロッパにおいても、その姿形は様々だが、そのデザインの根拠はすべて、モダニズムの形態と思想である、ということだな。
2016-02-12 13:37:02よし、今日は岸和郎さんの「デッドエンド・モダニズム」の第五講の「失速したモダニストたち」をまとめる。 amazon.co.jp/dp/4864800189/…
2016-02-13 12:19:17この講では、マルセル・ブロイヤー(1902-1981)やポール・ルドルフ(1918-97)さらにピーター・アイゼンマン(1932-)ら、「正当にモダニズムを受容し展開してきた人たち」が時代の変遷において忘れられていく理由について言及している。
2016-02-13 12:20:12まずブロイヤーとルドルフについて、「彼らは、後にコンクリートと出会って主観/具象の傾向に陥っていく。コンクリートは可逆的な素材ですから、形態は扱う人の恣意に任されます。」(続く
2016-02-13 12:20:47「もう少し抽象的な空間の方が体質に合うような人が、可逆的な素材と出会ったときに、主観的表現に取り込まれてしまった。」と述べている。
2016-02-13 12:20:58次にアイゼンマンについて、「フラクタルな構造に建築を置き換えていくことをやっていた。私には何か宗教を探しているかのような行動に見えました。」と述べている。
2016-02-13 12:21:15前者は”理念のある具体性”で、後者は”理念のある抽象性”である。1960年代以降においてこの”理念のある”というのはすでに「前時代的」で「胡散臭い話」であったのである。
2016-02-13 12:21:49