日本における木綿の始まりと東方キャラの衣料素材に関する簡易考察

これの続きになります http://togetter.com/li/104765 この話の続き http://togetter.com/li/144295
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Die @die3035

さて、この前の予告通り木綿の話をば。相変わらず長々とTLに表示されますがご勘弁を。ちなみに前の話はこんなんです http://togetter.com/li/104765

2011-03-08 19:19:42
Die @die3035

日本における木綿の始まりは、前にも述べた通り延暦十八年(799年)となる。しかしこの時の栽培は、木綿が元来アフリカ・インド原産の植物だった事から気候風土の関係上、日本には適さずに一度途絶える

2011-03-08 19:20:45
Die @die3035

その後、室町時代の後期、戦国時代になるともう一度歴史に姿を現す…が、実の所、その詳しい時期や伝来のルートに関しては、良く解らないのが現状である

2011-03-08 19:21:54
Die @die3035

先の、一度途絶えた木綿の種が、日本のどこかで局地的かつ断続的に栽培されていた可能性は捨てきれない、というのも一つの要因ではあるが、一番の問題は文献や伝承などの実物を伴わない記録である

2011-03-08 19:23:52
Die @die3035

というのも「綿」という文字は、実は魏志倭人伝の時代から文献上に姿を現す。しかし、もちろんではあるが、この時代に日本に木綿は存在しない。そう、「綿」という文字が指す物が幾つか存在するのである

2011-03-08 19:25:10
Die @die3035

一つは植物の皮を繊維状にしたものである「ゆう」という呼び名の「木綿(木緜)」であり、もう一つは蚕の繭からとった絹の綿である「まわた」という呼び名の「真綿」となる。古代の文献における「綿」の文字は大体このどちらかにあたる

2011-03-08 19:27:00
Die @die3035

しかも、この定義自体がかなりあいまいである事、研究者によって「綿」という文字が指す物の解釈がまちまちである事などから、余計に区別が困難となるのである

2011-03-08 19:28:03
Die @die3035

現状においては、永正七年(1510年)に三河木綿が年貢として収められていた事、天文九年(1540年)に京都で小妻木綿の取引記録がある事、1590年代には綿作の栽培が相当に普及していたらしい事などから、応仁の乱前後、戦国時代初期において西国にて本格的な栽培が始まったとされている

2011-03-08 19:29:22
Die @die3035

なお、この時代に木綿の栽培が普及した理由としては、戦乱の世が続き、兵衣としての需要や物資の高速輸送用に船の帆布としての需要が高まった事などがある

2011-03-08 19:30:32
Die @die3035

これにより、自給生産レベルだった綿作は産業というステージにのぼり、栽培、繰綿、紡績、織布など、それぞれの行程が分業化、専門業者も現れ、庶民の材料としても徐々に浸透し始める

2011-03-08 19:31:45
Die @die3035

文禄年間によると、1592〜1596年頃に大量の木綿の種が大陸から輸入され、当時すでに一定のレベルにあった綿作技術と合わさって一気に普及、この頃に綿作の主要生産地は関西に移る事になったとされている

2011-03-08 19:33:02
Die @die3035

その後江戸時代に入り、麻に比べて肌触りがよく保温性が高い木綿はとみに人気となり、庶民や絹を買えない下級武士などへの需要が高まって行く

2011-03-08 19:33:57
Die @die3035

特に庶民には、衣料材料として優秀なだけでなく、その柔らかさや摩擦の快さ、染色のし易さなど、麻ではなし得ず絹に近い(ものによっては一部絹より優れる)材料として、主に文化の中心となってゆくのである

2011-03-08 19:35:30
KASEN_SLAYER @ayama_g

dieさんが木綿の話を真面目にしてらっしゃるので、私も木綿豆腐の話をしようか

2011-03-08 19:35:48
Die @die3035

それでも木綿は麻よりも高い事から、まだまだ庶民には高嶺の花であった。また、米を中心に展開していた経済システムゆえに、稲作と栽培時期が競合する綿作は田んぼでの栽培は禁止され、散田(荒廃した土地)などにおいてのみ栽培が認められるなど、厳しい栽培制限もかけられていた

2011-03-08 19:37:30
Die @die3035

特に、気候風土の関係上消費量に比して栽培に適さない東北地方などは、生産量の関係から農民の木綿使用が禁止されたほどである。なお、この事から東北地方では麻と木綿を複合した特色ある作品が生まれたりもする(津軽ごぎんなど)

2011-03-08 19:39:11
Die @die3035

そんなこんなでこういう時代が長く続くと、需要が非常に高い木綿は利益を生み易く、木綿という存在自体が一つの大きな商品として、貧富の差や綿作農民VS綿買商人or幕府の構図を生み、訴訟事件まで発生し始める

2011-03-08 19:40:37
KASEN_SLAYER @ayama_g

@die3035 すいません、ジョークです。私が話せる木綿豆腐の話なんてにがり成分の地域性と温度による模様のつき方くらいしかネタが無いのですよ

2011-03-08 19:41:14
Die @die3035

特に、木綿の着物を着ていれば金持ち庶民、麻を着ていれば貧乏庶民、という見た目的にも性能的にも解り易い差があった事も感情を悪化させる一つの要因であったろう。パルパル

2011-03-08 19:42:20
Die @die3035

@ayama_g 豆腐は食べるのは好きなんですが、どういう代物なのか良く知らないのですよねぇ。せいぜい大豆から出来てる、ぐらいで

2011-03-08 19:43:41
Die @die3035

そういう流れや、江戸後期になると幕府自体の財政が逼迫してきた事もあり、木綿を年貢として回収し財政を再建するという考えもあってか、寛政三年(1791年)には稲作や菜種と同様に綿作も、他の作物より格別の配慮を持って生産せよ、というお達しが出る

2011-03-08 19:44:10
KASEN_SLAYER @ayama_g

@die3035 前の仕事で接してた関係で、豆腐については割りと初歩的な知識があったりします。あれも化学的に楽しい代物ですよ。全国で凝固剤の比率に一定の分布がみられたりとか

2011-03-08 19:46:05
Die @die3035

これにより、江戸後期には全国でさかんに綿作が行なわれ、田んぼの数割が綿作を行なう、という事態にもなる。特に歴史ある関西圏の「河内木綿」はその高品質さで日本中に名声を轟かし、「天下の台所」の名称に一役買ったのである

2011-03-08 19:46:09
シェルン @Shrn1009

木綿、豆腐で余談というと…なんか聞いた話だと今日のように絹ごし豆腐が普及したのは化学の発展に伴うものであり実は戦後らしい。ソースないのであってるかは微妙ですが

2011-03-08 19:47:27
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