シネマや映画論から映像論や美術の映像などにつなげるルート探し

主に自分用のまとめ。
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@ttt_ceinture

映像と合成の問題を扱っていたのが、レイモン・ベルール、ジャン=ポール・ファルジエ、エドモン・クーショ、あたりだったって印象があり、ベルールはスティグレールと絡んだりもしてるけど、この一帯がどうも無視されすぎてて…。オクトーバー界隈でのヴィオラやヒルってどういう評価だったんだろう。

2009-12-15 13:23:58
切り取り線 @kiri_tori

✄------------ 3/10(木) -----------✄

2011-03-10 00:00:00
@ttt_ceinture

『シネマ』を索引横断的に読んでいるが面白い。『アメリカの実験映画』を編纂したA・シトリーが要所で出てくる。レトリスムの「拡張映画」に高い地位を与え、ノーマン・マクラレンも2巻第8章で再登場し、脳のプロセスの展開に即したものとして議論される。ジーバーベルクの扱いもこの線上っぽい。

2011-03-10 01:25:07
@ttt_ceinture

自分で索引と引用文とリンケージマップのようなものを作りながら読んで痛感するのは、90年代のユリイカシネマ特集に付されていた映画監督・映画作品の索引は、シネフィルバイアスがかかりまくったものではないかということだ。二次言説を挟んで議論を発展させているので、二次言説マップが必要。

2011-03-10 01:26:57
@ttt_ceinture

まあ、「日本人が知らない『シネマ』」といったインパクトを与えるべく、botを作れるように引用メモを大量に作りながら読んでおこう。いつ作れるかはかなり未定。

2011-03-10 01:28:48
@ttt_ceinture

これは、マッピングしながら出ないと可能性の種がどこまで詰まっているのかがわかりにくい本なのではないかと思えてきた。同じ章のなかでも節の区切りによってバキーンと別の主題系が始まるので、普通に線的に読んでると気づきにくい、章を隔てた連関が多い。

2011-03-10 01:32:59
@ttt_ceinture

たとえば、先の実験映画の作品群を扱う2巻8章の第2節は、1巻5章「知覚イメージ」第3節といくつかの反復にも見える箇所がある。マイケル・スノウ、ブラッケージ、シトリーの議論が再登場する。ここでの「気体上のイメージのプログラム」は2巻後半部につながっているのだろう。

2011-03-10 01:36:16
@ttt_ceinture

"フィルムはこうして映画的プロセスを記録するとき、必ず脳のプロセスを投影する。点滅し、様々な環を再結合し、作り出す頭脳、それこそが映画なのである。"

2011-03-10 01:42:05
@ttt_ceinture

"レトリスムはこの方向においてすでに、はるか先を進んでおり、幾何学的な時期と、「フィルムにじかに刻む」時期の後で、カメラも、スクリーンも、フィルムも使わずに拡張する映画を宣言していた。主人公の身体または観客の身体さえも、すべてがスクリーンになりうる。"

2011-03-10 01:42:11
@ttt_ceinture

"瞼の裏側、頭の中にしか存在しない潜在的映画において、映写室で必要にしたがって採用される音源とともに、すべてがフィルムにとってかわりうる。揺さぶられる脳の死だろうか、あるいはスクリーンであり、フィルムであり、カメラであり、そのたびに外部と内部の膜であるような新しい脳だろうか"

2011-03-10 01:42:25
@ttt_ceinture

これがマクラレンなどを挙げたあとでレトリスムも加えられ語られるくだりだけど(邦訳第二巻、p.298)、これがもはや普通の意味での「映画」ではないことは一目瞭然だろう。クーショやスタインバーグを引いている箇所とつなげれば、データと脳の話にも関連していると読める。

2011-03-10 01:44:38
@ttt_ceinture

やっぱシネマ後半部って『消尽したもの』の言語IIIやイメージにかんするくだりと関わってるなあ。テレビ作品、ビデオ作家としてのベケットが焦点に合っているというか。

2011-03-10 20:36:14
@ttt_ceinture

運動イメージから時間イメージへの移行という焦点に気を取られると、1巻と2巻を横断している議論がかなり見えづらくなるように思った。

2011-03-10 01:45:53
@ttt_ceinture

ア、ルールズオブプレイヨマナキャ

2011-03-10 02:12:53
@ttt_ceinture

シネマからルールズオブプレイに無理矢理架橋することができないかなあ

2011-03-10 02:15:44
@ttt_ceinture

ルールズオブプレイがゲーム「デザイン」をめぐる議論の多いものだったことを失念していた…。映画理論は、映画をデザインするような方面では必ずしも無いので、つなげにくいのか…。観客論とプレイヤーについての議論はどうなのかしら。

2011-03-10 03:54:01