鉄コレの阪和社形(元・阪和電鉄)から改造や流用が出来る車両、出来ない車両

鉄コレ25弾の阪和社形からや流用して作ることが出来る車両、または出来ない車両に関する情報
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靖間 誠 @SEI_YASUMA

このTDK-528系電動機はこの東武5700や東急3700も採用していた、と言えばご記憶の方もおられよう。東海地方への集中が目立つが、首都圏でも規格形電車の標準電動機指定で多数採用されたものであった。 pic.twitter.com/sjqKOzbJZX

2017-04-17 00:51:41
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靖間 誠 @SEI_YASUMA

ちなみに標準軌私鉄が多く、200馬力・230馬力電動機搭載車もまた多い関西でのTDK-528系の採用例は極少で、南海鉄道が三菱電機MB-146SFR系と比較する意味でTDK-528-Eを1251形に試験的に採用したのみに留まっている。

2017-04-17 01:01:41

阪和電鉄(南海電鉄)の国家買収エピソード

靖間 誠 @SEI_YASUMA

日中戦争勃発後の関西私鉄の車両故障状況を見ていると、特にそれまでぎりぎりの車両数でやりくりしていた阪和電鉄を筆頭に、相当厳しい故障率で文字通り綱渡り状況で車両運行を続けていた会社が多かったことがよく判る。

2017-04-13 16:40:32
靖間 誠 @SEI_YASUMA

ちなみに大阪市営地下鉄はその中でも相当マシな部類だったのだが、これには理由があった。16両発注した400形を途中で10両キャンセルして、その分の機器は引き取って全て検査・補修用の予備品としたからだ。100~400形の総数は39両だから粗製濫造でも10両分の予備があればかなり違う。

2017-04-13 16:45:59
靖間 誠 @SEI_YASUMA

大阪市の車両故障は代用材使用に起因する問題が頻発した位で、阪和のように運転不能車続出なんて事にはならなかったようだ。なお阪和は南海合併後、惨状を見かねた南海本社が資材を最大限投入して状況改善したが、国家買収の際に帳簿外の資材を阪和由来のものも全て回収したため余計ひどい事になった。

2017-04-13 16:55:18
靖間 誠 @SEI_YASUMA

南海社史曰く「電報一本で呼び出されて」(それまで莫大な資材・人員を投下して苦労して建て直した)山手線の国家買収を一方的に宣告されたのだから、その意趣返しの要素はかなりあったのだろうけど、戦後阪和線の阪和形電車が機器の大半を短期間で国鉄制式品に換装してしまったのはこれが原因だった。

2017-04-13 16:59:13
靖間 誠 @SEI_YASUMA

何しろ阪和独特の(南海電車では使用したことのない)三菱電機P-900-Aパンタまで多数持ち帰って戦後天下茶屋で腐らせたというのだから国の横暴に対する南海側の怒りが知れよう。実際、南海が合併後山手線に18両の電車と2両の電機を優先投入していたことを考えればそれも無理ない話ではある。

2017-04-13 17:05:00
靖間 誠 @SEI_YASUMA

余談だが、その天下茶屋に野積みされてた阪和由来のP-900-A、戦後大和川検車区のトラバーサ端に待機する入替車(TR1)を新造する際に「これ使ったらどうか」という話があったらしい。もっともあまりに大形で重く、しかも空気圧上昇式でCPが要るので搭載止めたとのことだった。

2017-04-13 17:11:43
とさろく/31日-東イ48a @ef651036jrf

昭和7年4月改正の阪和電鉄時刻表 特急801レと803レに注目してほしい。 驚異の阪 和 間 4 8 分である。決して平成に入ってからの時刻表ではない。 ちなみに現在の特急くろしおでも阪和間は45分前後。これ1932年だよ……… pic.twitter.com/YtL4MzKQe9

2017-04-15 00:05:46
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甘木@欅道居士 @profenigma

RT>そしてここから更に3分縮めた。阪和電鉄の伝説たるゆえんだが、それにしてもその立役者だった阪和形電車が、「鉄コレ」で発売されるとは……模型趣味者ではないが「これは大変だぞ」

2017-04-15 20:48:44
靖間 誠 @SEI_YASUMA

阪和の「超特急」は所用時分45分で阪和天王寺-阪和東和歌山間61.2kmを走破し表定速度81.6km/hを記録した。いかに輸入の100ポンドレールを使用して軌道状態が良かったとは言え、メーカー公称自重53tと超重量級のモタ300やモヨ100で良くそんな記録を出したものだと思う。

2017-04-15 21:11:13
靖間 誠 @SEI_YASUMA

加えて言えば、その記録は紀勢線直通客車を連結した「黒潮」列車でも達成されている。さすがに、モヨ・モタ2両で省形客車(17m級のオハ31など)4両を牽引してそのダイヤを維持するのは厳しかったか最後尾にもう1両電動車を連結した7連の写真が残っているのでMT比3:4となるが。

2017-04-15 21:14:56
靖間 誠 @SEI_YASUMA

「黒潮」列車のオハ31は省貸し出しで頭端式ホームで構造的な制約のある阪和天王寺駅への杉本町からの推進運転による列車送り込みの必要から、頭端になるオハフの車掌室にマスコンやM23ブレーキ弁を設置し全車に制御線引き通しが行われたが、これらは元々東鉄局配置でDC1500V電暖車だった。

2017-04-15 21:21:03
靖間 誠 @SEI_YASUMA

つまりこれらの紀勢線直通客車群は電暖線と制御線が引き通され、あるいは元空気溜め管も引き通されていた可能性があるのだが、前にも言った気がするが残された写真を確認してもアングルの関係か端梁部分が鮮明に写ったものは未だ管見出来ていない。

2017-04-15 21:23:07
靖間 誠 @SEI_YASUMA

ついでに言えばこれらの客車は台車がTR11のままで、最高速度が(回復運転の必要もあって)120km/hに達したと伝えられる阪和車の運転状況からすると、戦前戦後を通じ、TR11として最高速度記録を達成したことになる。

2017-04-15 21:26:23
靖間 誠 @SEI_YASUMA

同じTR11装着の60系客車が戦後、(接客設備差を考えたら当然の話だが)極力急行運用から排除され、充当する際にはオハニ63→36の様に新型台車へ振り替えたことを考えると意外な感もあるけど、ともあれ阪和ではTR11や(元筑波車であるクタ800の)TR14が容赦なく高速運転された。

2017-04-15 21:32:03
靖間 誠 @SEI_YASUMA

これは軌道条件が良ければTR11の系統でも充分高速運転に耐えたことを示す(特に乗り心地が悪かったという記録も無い)。台車の評価ではどうしても最悪値で印象が決定されがちだが、こういうケースもあったことは覚えておきたい。

2017-04-15 21:35:48
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