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自由律俳句は俳句なのか? ブログ記事が再燃させた議論の一部始終

自由律俳句は俳句なんだ信じてくれ、と主張した記事がおもしろい議論を呼んだのでまとめました。
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家登みろく@森の座(旧・萬緑) @miroku_cat

社会を変えるために行動する俳人。日本共産党員。何をいかに詠むかは、どう生きるか。俳句結社「森の座(中村草田男主宰の「萬緑」後継誌)」同人&編集部。いいねは常にポジティブな意味(そうだねとか、教えてくれてありがとうとか)/句材と猫とドジっ子エピソード/JAPAN MENSA/保護猫ボランティア/忌野清志郎

youtube.com/channel/UCSIFO…

関青院 庚 @Sekiseiin_Kou

自由律俳句って、なんで俳句を名乗るのかっていう話、確かに前から気になってはいたけど、やっぱりそこは既に膨大に生まれてる五七五にぶら下がらざるを得なかった部分もあるんじゃないの、とは思う。「例外」と定義することでより輝くというような。

2017-04-24 00:03:37
みろく@森の座(旧・萬緑) @miroku_cat

「575は短い、だから季題のような共通感覚あるものを重心にしたらいい!」ってのが俳句なわけで、「それには限界がある!リズムも内容も刷新!」なら、それは新ジャンルでもいいのでは…? スポーツでも文芸でも、そういうのが新しいジャンルを作るんじゃないかな…悪いことじゃないと思うけど。

2017-04-23 23:50:03
みろく@森の座(旧・萬緑) @miroku_cat

ケンカ売ってるわけではなくて、表現は自由だからこそ自分の表現のために聞きたいという興味からです。

2017-04-23 23:37:44

議論始まる

すなば @comebackmypoem

これは俳句の本質をどこに見出しているかという問題で、季語があり5・7・5の形をとる詩は間違いなく俳句と言えるけど、字余り字足らずもまた俳句。ならば形式をどこまで崩した詩を俳句と呼ぶか。その問いに「俳句とは季語でも定型でもない」と答えた者が無季自由律句を詠む。 twitter.com/miroku_cat/sta…

2017-04-23 23:49:15
みろく@森の座(旧・萬緑) @miroku_cat

同意する。俳句はこう、からの飛躍が見られる。十分条件と必要条件の違いみたいな、認識のズレがある気がする。 実は、無季や自由律または無季自由律を作る人が、なぜ「俳句」にこだわるのかも分からない。一行詩、じゃだめなの? twitter.com/ist_wasichbin/…

2017-04-23 23:29:39
みろく@森の座(旧・萬緑) @miroku_cat

俳味とか内容を言い出した時点でわりとこの議論て終っちゃう印象あるんですが、私が気になるのは、藤田湘子が言ってた「字余り字足らずは、575を下敷きにしているから活きる」、つまりその長短が内容とリンクして、レトリックとして働いているからok、ってことなんですよね…。 twitter.com/comebackmypoem…

2017-04-23 23:54:30
みろく@森の座(旧・萬緑) @miroku_cat

字余り字足らずは俳句の範疇だけど、「よっしゃ575には囚われんぞ」って作り出したものが俳句に還る必要あるのかな… 結果的に俳句に似ることはあるかもしれないけど。 新ジャンルだめ?私はすごくいいと思うんだけどなぁ。

2017-04-24 00:06:11

俳句って何だ?

すなば @comebackmypoem

@miroku_cat 俳句がそもそも575を前提として成立している事は疑いようもありません。しかし俳句という文芸が今日帯びている身体性は、575の定型を逸脱したところに俳句の本質を生じ得るのではないか? という試みが自由律俳句だと僕は思っています。

2017-04-24 00:21:21
みろく@森の座(旧・萬緑) @miroku_cat

@comebackmypoem 「定型を逸脱したところにも生じ得るのではないかという試み」なるほど! ところで、すなばさんが考える本質って何ですか?

2017-04-24 00:26:28
すなば @comebackmypoem

@miroku_cat 端的に言えば「前後の切れ」です。散文的な日常の中に前触れなく現れる「リズムのようなもの」を捉えることが俳句だと考えています。散文を散文のまま置き換える詩や、散文を韻文に組み替える和歌や短歌との相違点もそこにあります。僕の中で俳句とは、韻文として生まれ韻文として出力されるものです。

2017-04-24 00:30:49

※切れ: 文の流れが絶たれること。俳句では切れが余情を生むとされる。切れを作る「切れ字」として「や」「かな」「けり」が有名(編者注)

みろく@森の座(旧・萬緑) @miroku_cat

@comebackmypoem なるほどー。俳味やかろみのことかと思いました。無季についてはどうですか?

2017-04-24 00:32:49

※俳味: 俳諧のもっている情趣。軽妙・洒脱な味わい。俳諧味。(三省堂 大辞林)
※かろみ(軽み): 芭蕉が晩年に到達した俳諧の理念。日常卑近な題材の中に新しい美を発見し、それを真率・平淡にさらりと表現する姿。(小学館 デジタル大辞泉)

みろく@森の座(旧・萬緑) @miroku_cat

ちょうどいま、無季の俳句について調べていて、松尾芭蕉がいう「名所が入ってれば季語なしも可かなぁ」とか、有名俳人さんの「歳時記にないだけでこれを季節の語ととらえたよ」みたいな句など、例外がないわけじゃないんだよね。 だから私も一概にダメとは思わなくなったんだけど。

2017-04-24 00:11:35
すなば @comebackmypoem

@miroku_cat 季語には、形而上の意味を超えて付帯する感情も伝える力があります。無季の句は「全ての語が季語である」あるいは「句自体が季語である」という事だろうと思います。歳時記の普遍性ではなく鑑賞者の記憶の中にある言葉と結びつき、情景を呼び起こすことで季語のような働きを持たせているのではと。

2017-04-24 00:46:16

無季自由律句は有季定型句の上位概念?

みろく@森の座(旧・萬緑) @miroku_cat

わかった! つまり、「無期自由律は、俳句のある形と言うよりは、有季定型(575季語あり)の上位概念にある」イメージだ!!すべてが切れ字で、全てが季語と同じ役割ね。ある種の記号論か。 だから新ジャンルじゃだめなんだな!!なーるほど。@comebackmypoem さんへ

2017-04-24 07:59:12
すなば @comebackmypoem

@miroku_cat おはようございます。全てが切れ字というか、俳句の一字目の前、最後の文字の後にある「散文と韻文を引き離す切れ」こそが俳句であるということですね。句中の切れは技巧の一つであって特にこだわるものではないと思っています。ともあれお付き合いいただきありがとうございました。

2017-04-24 08:11:51

おまけ: 尾崎放哉の自由律俳句

尾崎放哉 @housainow

大空のました帽子かぶらず #housai

2017-04-24 15:01:17

おまけ: 松尾芭蕉の俳句