>「きょうは数学の試験なり。余は数学的白痴なれば高等数学のごとき、初めから投げて授業中、講義の声をきいたことなし。されど一科目にても五十点以下のものあればら、落第せしむるとのことにて、五十点はおろか一点もおぼつかなきゆえ途方にくれいたるなり」 戦時下だろうが大学生である
2017-04-24 22:45:20>「試験中空襲ありたらば如何と学校に談判せるところ、学校にても種々考えた末、その場合は諸君を信頼して無試験合格すとの確約を得たり」 >「されば、明朝B公来ないかな、などとつぶやきて高須さん夫婦を怒らしめたるは昨夜のこと」 空襲警報=無試験合格という条件に食いつくこの学生
2017-04-24 22:49:16>「本日、高等数学の試験の日、よりによってこの時刻に来る。我が顎緩まずんばあらず。朝飯を食いつつも笑い、奥さんに叱らる」 やだ、この人、単位しか頭にない
2017-04-24 22:53:01>「十時半解除、登校す。路上みな帰り来る。果して試験はなしと。みな「万歳だ」と両手をあげて見せる。頗る上機嫌なり。余も大東亜戦争は余のこの日のために勃発したるにあらずやと感涙にむせぶ」 東京医学専門学校の学生たちのこの様子よ
2017-04-24 22:56:26昭和20年3月8日 >「午前十時警報発令」 >「ちょうど化学、医化学の試験始まりたるところにてみな騒然となる。柳の下に二匹目のどじょうを得たる心地なり」 もう空襲=無試験やったー!感しかない。
2017-04-24 23:00:10>「しかるに敵三機、静岡より東進、ただし帝都に入ることなく去り試験続行さる」 >教授「一機くらいなら、入って来ても試験はやります」 >学生「爆弾で死んだらどうします」 >教授「私も死にます。諸君と一緒に死にましょう」 空襲だろうが試験を行うことが決まった瞬間である。
2017-04-24 23:03:20>学生「冗談じゃない。お爺さんと心中させられてはたまらん」 >教授「試験中に死ねば、これは学生の戦死です。諸君も本懐というべきでしょう」 >学生「戦死したあとで答案を見たら、デタラメばかりじゃ、あんまり勇ましくないなあ」 草
2017-04-24 23:06:28昭和20年3月10日 >午前零時ごろより三時にかけ、B29約百五十機、夜間爆撃。東方の空血の如く燃え、凄惨言語に絶す >まさか今日の「胎生学」「組織学」「生物学」の試験はあるまじとおもいしに。教室に入れば行われつつあり。 周囲が焦土と化しても、定期試験を続行する東京医専ェ
2017-04-24 23:12:57昭和20年4月1日 >本日、エイプリル・フール。 >夜、外に出て、扉をドンドンたたき「高須さん、電報ですよ!」と叫びたてるに、便所にありし高須さん蒼くなって飛び出し来る。召集かと思いたり、三年のいのちが縮んだりとて大いに怒る。 戦時下だろうが他人をおちょくる山田風太郎青年……
2017-04-24 23:34:55この間、ミーティング・ハウス1号作戦、同2号作戦(東京大空襲)、硫黄島陥落、米軍沖縄上陸と絶望的な戦況が続き、国民生活が疲弊していく様子も描かれています。
2017-04-25 00:00:58山田青年がラジオや新聞の情報、そしてB29に反撃できる術を持たない状況から「日本は戦争に負けている」という現実を直視しつつ、一方で「それでも戦い続けなければならない」と書く。あの時代を知る一つの道しるべとしてぜひ読んでほしい。
2017-04-25 00:14:11空襲下の大学生活が描かれている貴重な記録。 山田風太郎『戦中派不戦日記』をみんなも読もう。 amazon.co.jp/dp/404135658X/…
2017-04-24 23:14:56