正義の効用(独り語り)と自律/他律について。

少し前の発言ですが、忘れがちなので。
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きまぐれ(不燃) @S_uekai

【一度は批判されたのにほぼ無修正の意見】正義の効用について。正義は社会によって異なり、極端に言えば個人によっても異なる。自らの正義と社会の正義とにズレが生じることもある。そのなかで、なお社会の正義を守る必要があるのはなぜか。正義の効用を説く。

2011-02-22 03:45:35
きまぐれ(不燃) @S_uekai

【社会の分類】社会は次の3つに分類される。①身辺的社会(=自分が身体的に所属していると言える共同体)②他者的社会(=自分とはおよそ関係の無いと思われる社会)③社会的社会(①と②の社会を一緒くたに包み込む社会)。社会的社会だけはレベルが異なる。

2011-02-22 03:49:27
きまぐれ(不燃) @S_uekai

【社会の正義】それぞれの社会には人々がいて、彼らの行動のうちその社会に資する行為が正義として定義され、各個人の身体に蓄積されていく。この場合、社会にとって正義が異なる、というのは、それぞれの社会にとって「資する」とされるものに解釈の幅があるためである。

2011-02-22 03:52:46
きまぐれ(不燃) @S_uekai

【独善】私は私個人(しかも「今」の私)に資すると思われる行為をしさえすればよい。そもそも「善い」という言葉は「資する行為」と結びついた形容詞である。ここで注意すべきは、私にとって「社会に資する行為」は必ずしも善いことばかりではないということ。

2011-02-22 03:57:33
きまぐれ(不燃) @S_uekai

【正義の効用】それでも私が社会の正義にかなう行為をするのは、私が社会に承認されたいがためである。社会に資する行為をすることで社会から祝福されるためである。これが社会と正義の分かちがたい結びつき方であって、社会は形をなしていく。

2011-02-22 04:02:55
きまぐれ(不燃) @S_uekai

【具体例】よそ者を見かけたら殺すことが正義とされる村があるとすれば、その村(身辺的社会)に属す(属していたい)人々は、その正義にかなう行為をすることで、社会に貢献し、祝福され、承認される。

2011-02-22 04:06:29
きまぐれ(不燃) @S_uekai

【正義の無効化】しかしこのような村が日本国(社会的社会)にあるとすれば、一つレベルの高い正義からの報復を受けるだろう。社会的社会の正義は自分より下位の正義を無効化することができる。

2011-02-22 04:09:47
きまぐれ(不燃) @S_uekai

【形式的関係】ただし、この無効化は形式的なものにとどまる。なぜなら社会的社会ー身辺的社会の結びつきじたいが形式的だからである(あの村が日本国に属していることは、あの村にとって本質的なことではない。日本でなくても良かったのだから)。

2011-02-22 04:11:19
きまぐれ(不燃) @S_uekai

【正義の革命】そのため、より下位の社会で妥当する正義が、上位の正義に劣るという考えかたは誤っているし、いずれ正義の優劣関係が転覆することも考えられる。この現象は個人と社会のレベルでも言えることである。

2011-02-22 04:13:31
きまぐれ(不燃) @S_uekai

【正義の成立】正義が成立する瞬間などというものはない。正義は社会と同じく、徐々に人々へと浸透していき、少しずつ強度を増していく。

2011-02-22 04:17:14
きまぐれ(不燃) @S_uekai

以下の議論で、では正義とは何か?という所は空欄にしてあります(あまりわかってもらえないのだけど)。つまりどのような道徳律(功利主義でもなんでもどうぞ)が「ふさわしい」のかは全く論じていない。

2011-02-22 04:21:09
おさ茶犬 @rappappa

ルーズ・ベネディクトは『菊と刀』で言った。欧米は個人の道徳から自律的に善悪を判断し行動する「罪の文化」である。それに対して、日本は周りの人々に恥の無いようにと他律的に行動する「恥の文化」である。

2011-02-25 03:47:06
おさ茶犬 @rappappa

これが大方は正しいとすると、もともと日本は共生の社会という傾向が他に比べて強いと言える。

2011-02-25 03:55:04
おさ茶犬 @rappappa

しかし、日本は驚くほど無宗教の国家であるため、欧米化がもたらした科学の影響をまともに受けてしまった。それによって、現代の日本は科学的なものだけを求めるようになり、カルヴァニズム的な性向を強めてしまった。

2011-02-25 04:02:15
おさ茶犬 @rappappa

あっ、カルヴァニズムっていうのは、人間を神の道具として機械のように扱い、人間の生命を尊ぶ美徳を消し去り、神のためにどれだけ仕事が出来たか、効率よく(科学的に)働けたかという考え方です。ただし日本の場合、神は消えて、科学を信仰しています。

2011-02-25 04:08:37
おさ茶犬 @rappappa

もし日本がもともと「恥の文化」でなく「罪の文化」だったら、無宗教であるがために、最も残忍で暗い国になっていたかもしれない。しかし、その場合の日本は世界で最も経済的に豊かで発展した国になってるだろう。

2011-02-25 04:13:48
おさ茶犬 @rappappa

お風呂に入りながら、ヴェーバーの『プロ倫』にルーズ・ベネディクトの『菊と刀』の考え方を援用して自分なりに考察してみました。日本が「恥の文化」で良かったぁ〜、なんて思いました。おしまい。

2011-02-25 04:16:18
きまぐれ(不燃) @S_uekai

自律的に善悪を判断するだと…。RT @rappappa: ルーズ・ベネディクトは『菊と刀』で言った。欧米は個人の道徳から自律的に善悪を判断し行動する「罪の文化」である。それに対して、日本は周りの人々に恥の無いようにと他律的に行動する「恥の文化」である。

2011-02-25 04:35:30
おさ茶犬 @rappappa

@S_uekai ここにそう書いてあったよー。言ってることはあながち間違いではないかなーなんて。http://bit.ly/dKQIvX

2011-02-25 04:38:28
きまぐれ(不燃) @S_uekai

個人の道徳とはつまり、自らの信じる神が定めた法則のことでしょう。すると、それに基づいて行動するなら、それは明らかに他律的。

2011-02-25 04:37:59
きまぐれ(不燃) @S_uekai

自律的な善悪の判断というのは、もう不可能と言ってもいいくらいじゃないだろうか。

2011-02-25 04:41:25
きまぐれ(不燃) @S_uekai

どんな道徳的法則であろうと、それに従うという形を取る時点で他律的になると思う。それはどんな道徳的法則も、社会というものを前提にしなければ成り立たないから。善い社会になるように合わせる、というやり方なのだから。

2011-02-25 04:44:22
きまぐれ(不燃) @S_uekai

きっかけが内面的だろうと外面的だろうと、それが善行であれば事情はおそろしく変わらない。社会を善くし、そのことで結果的に自分が善くなる。

2011-02-25 04:51:25
きまぐれ(不燃) @S_uekai

罪の意識とか、誰もいないところでそんなの感じるわけがないと思う。

2011-02-25 04:55:10
おさ茶犬 @rappappa

この場合の他律っていうのは他人律ってことで勘弁してください。RT @S_uekai: 個人の道徳とはつまり、自らの信じる神が定めた法則のことでしょう。すると、それに基づいて行動するなら、それは明らかに他律的。

2011-02-25 04:42:55