病院が病気や怪我を100%治せるわけではないということは現在確実に間違いのない真実であるので、これに対しこれを覆さんとするような"批判"なんて吟味する必要ないんですよ。
泉州堺の真言宗寺院住職なのにアバターは伝教大師最澄たん。デスマスク。近頃隠居することばかり考えている。
news.livedoor.com/article/detail… うーん、これ、気分としては判るけど、これを意見・批判として受け取って記事にする方が問題とちゃうか。
2017-05-10 12:14:26気分としては判るやん。仮に人はみんな死ぬもんや、病気は必ず治せるなんてことはあらへん、いうのは厳然たる事実やけども、それを自分に突きつけられた時、それに折り合いをつけるまでに時間が要るやん。その折り合いがつくまでに、まぁこういう気分になるのはよくあることで。
2017-05-10 12:16:02んで確かこの人子供が病気なんじゃなかったっけな。せやから将にそういう気分の真っ只中におるんやろう。そういう気分になることは仕方あらへんやん。んでこういう食って掛かり方することも、まぁその場におる人には迷惑やけど、あるやろう。
2017-05-10 12:18:08それを「批判」とか「意見」いうて拾う方がどうかしてると思うんよね。気分は気分として認めるけど、そういう気分の人の話の内容、理路を追おうとする必要あるかね、と。そういう最中にある人は妄言を吐くもんやっていうのも、死ぬとか必ず治るわけやないとかと同じ厳然たる事実とちゃうんかいな。
2017-05-10 12:19:42喪失の四段階とか五段階とか七段階とかいうのがありますやん。死別や失恋で落ち込んでから回復していくまでの過程を分けたやつ。一般的には五段階とされてるけども、孰れの分け方にしろ「否認」と「怒り」が入ってるやん、早い段階で。それが将に妄言を吐く頃なんちゃうかな。
2017-05-10 12:29:18この事件はくわばたが「妄言を吐いた」が正しい認識で、それを「猛批判」と書いてしまうことに問題があって、じゃあどう書けば良いかというと、書かないのが正しいと思うよ。
2017-05-10 12:42:28便宜的に手前はくわばたが「妄言を吐いた」と書いているが、当たり前の良識から判断すると、そういうことは思っても口には出さない方が良いんだよ。
2017-05-10 12:50:01これを「批判」といってしまうと理路を確認して内容を吟味せなアカンようになるけど、病院が病気や怪我を100%治せるわけではないということは現在確実に間違いのない真実であるので、これに対しこれを覆さんとするような"批判"なんて吟味する必要ないんですよ。時間の無駄。
2017-05-10 12:52:42多分これが現代の大きな問題で、かかずらうべきではない妄言の類を"意見""批判"と呼んでしまって、時間の無駄を繰り返してるんだよな。
2017-05-10 12:55:04同じように苦しみの只中にある者は妄言を吐くもので、それを一々取り上げる方がどうかしてて、それに"意見"とか"批判"なんて理窟が通りそうな名を与えてはいけないのよ。
2017-05-10 12:57:02