【連雀庵、とある日】
- honyakushiya
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「真砂さんは尽きませんし、ならば盗人に」「ちがうわ、そうではないの」 「では、なんと」「お客さん、本を忘れてるわ」「あ」 「お昼飯にしましょうか」
2017-06-02 00:16:55結局、その日のうちに娘が連雀庵に戻ることは無かったという。 お昼飯の席にて、あの客はどこか恥じらっていた気がするなどと黄連雀夢人は思いかけ少し叱られるのだった。 先に断っておく。浮気話という邪推が入る余地はなかった。そう余人には伝えておく。誰が疑うのか。ぼんやりしていただけだ。
2017-06-02 00:19:08時に、これは余談となる。 数日後、連雀庵で黒電話が鳴った。 「黒い鳥は本に目が無いのです。先日は失礼しました」 「はい、カラスさんですね」
2017-06-02 00:19:41彼女が企図したことであったかはわからないが、否応にも印象に残ってしまった娘に他ならない。 放り出した本に挟み込まれた一筋の髪は、栞紐か、もしくは鴉の濡れ羽に似通っていたのだから。 謝罪の言葉と、続いて訥々と語られた言葉はあくまで読者としての熱情を籠めたものだったが。
2017-06-02 00:20:16特別な読者云々の話は、一昼夜では決着のつかない問題ということでひとまず干戈を収めることにしたらしい。 「私はおこがましい女です」「はい」 「ゆえに、今からする注文を断っていただいても結構です」 住所を告げた後に、娘は電話口から重ねて言うた。鴉のだみ声ではなく、綺麗に囀るのだ。
2017-06-02 00:21:34「連雀庵さんの目録を三冊送って下さい。内訳は、鑑賞用に一冊、保存用に一冊――、」 丁度、目録を更新したばかりだったのが功を奏した。 三冊目、悩んでいる。言うべきか言うまいか。 きっと、それが娘の正体であろうと夢人も当たりを付ける。
2017-06-02 00:22:07「もう一冊は、味わう、用で……」 そこで語彙が尽きたのか、弱々しく受話器を置く音が会話を締めくくった。 着物の上からパーカーを羽織ったその男は溜息をひとつつくと、梱包の作業を開始することにする。
2017-06-02 00:22:57「本の虫? いや……、本の鳥か?」 とても残念なことに、黄連雀夢人は推理作家ではなかった。 追記。彼が真の用途を知ってどのような反応を示すか、それを筆者が記すことは今はまだできない。
2017-06-02 00:23:24代えて、作家は宛名の書かれていない本の存在を思い出す。 なにかの本歌取りが思い起こされた。だから書こうと思った。 黄連雀夢人は己の言葉が、百には届かずとも九十九は残るよう願う。 ゆえに、作家は八十五という半端を切り捨てるべく筆を執った。 【終】
2017-06-02 00:25:21