生物にとっての最大の命題は自己保存であり、さらにこの自己保存とは、コード1 自分自身の生命と肉体の保存、コード2 子孫を残すことによる遺伝情報の保存、の二つに分かれる。ここで生命体においてコード1とコード2のどちらがより優先されるのかは重要な問題である。
2017-05-28 18:17:56コード2がコード1に優先するという考え方は、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」後の世界においてはある程度広く受け入れられている。個体は代々受け継がれる遺伝情報の乗り物に過ぎず、生命体が示すあらゆる行動の究極的な目的がすべて子孫の確保に収束するのであれば
2017-05-28 21:00:53子孫を残せなかった個体の生き様は無駄になり、これを避けるために個体は自らの生(コード1)を犠牲にしてもコード2の実現につとめるはずだという仮説がそこには成り立つ。この裏づけとなる現象としては、例えばメスのカマキリとの繁殖行動を終えた後、本能の働きで進んでメスカマキリに捕食され
2017-05-28 21:08:07メスカマキリが卵を産み育てる上でのエネルギー源と化すオスカマキリの行動や、あるいは身近なところでは、猛獣あるいは暴徒が放った銃弾などから我が子の命を守るため、自らその盾となる人間の自己犠牲などがあげられる。生命体は実際に時として子孫を残すために自らの身体と生命を投げ捨てる。
2017-05-28 21:10:36とはいえこれらの事実だけを持ってコード2がコード1に優先するとは言い切れない。例えば人間にせよ、あるいは単細胞生物の次元であっても、親となるべき個体が飢餓状態に陥った際は、繁殖(細胞分裂)へ向けての行動及び衝動は、この問題が解消されるまでストップされる。
2017-05-28 21:12:34子孫を残すという営為の主体たる個体自身が生命の危機に陥っていては、繁殖も何もあったものではないためこの抑制は合理的なものであるといえる。飢え、あるいは疾病が即生命を脅かすほど重篤なものであろうと
2017-05-28 21:21:18「これでは命の残り時間も計算できないのだから残された全エネルギーを費やしてもさっさとコード2を達成してしまおう」ということにはならない。命の危機にあればこそ繁殖は身体のメカニズム的にも難しくなり、ましてその欲求などはるか彼方へ遠のく。個体はただじっとして回復を期待するのみである。
2017-05-28 21:25:29またコード2がコード1に優先するのであれば、近年日本などで、決して少数派ではなくなりつつある、「一生家庭も子供も持ちたくない」という意思を持つ人々の存在が説明しきれなくなる。嬉々として自分の手を炎に突っ込もうとする人間や、同じく進んで摂食を絶とうとする(コード1からの離反)人間は
2017-05-28 21:36:07あまり想定できないが、自らの自由意志のもと生涯未婚を貫く物の数はこれとは比較にならないほど多い。コード2への反逆は、コード1からの離反ほど、本能的なブロックがかけられていない。
2017-05-28 21:38:57コード1とコード2の間に、このような扱われ方の差異が生じる背景には、それぞれの命題が、どれだけ短絡的な衝動で処理できるか否かがある。人間が火にさらされたり、猛獣に襲われたり、飢えに陥ったりした場合、その精神を埋め尽くすのは恐怖や苦痛といった強烈な感情であり、人は当然この状況から
2017-05-30 07:49:11解放されようとすぐに行動を開始する。その内容もシンプルである。火は避ければよく、猛獣からは逃げればよく、飢えれば食料を探せばよい。ではコード2の場合はどうか。子孫を介した遺伝情報の保存であっても、例えば単細胞生物が見せる分裂などの場合は、
2017-05-30 07:52:45もはや生理現象の一環にも等しく、そこに何らかの意思の関与があるかどうかも疑わしいが、これが人間の場合ともなると、恋人の探索から、相思相愛関係の構築、婚姻するかどうか、その上で子供をもうけるかどうかの意思及びそれが可能であるかどうかの人生設計の確認等々と
2017-06-04 16:24:01何重もの過程をクリアしたはてにようやく子孫の確保は実現できる。そしていずれのプロセスにおいても、短絡的な衝動よりも思考のほうが果たす役割は大きい。人間の子供は自立できるまで生物学的にも社会的にも最低十数年の期間を要するため、生半可な見通しと覚悟でこれを持つ事はできない。
2017-06-04 16:30:53親はどうすれば子育てを無事成功させられるのか、常時熟慮の任を課せられる。この思考は煩雑である反面、子供の生存とさらなる次代(孫)の確保をより確実にする上で有利に働くため、他の生物種に対して比較的少産(一回あたりの出産でもうけられる子孫はほぼ一個体)傾向のある人間にとっては
2017-06-04 17:00:09戦略的に必要なものである。しかしこの思考の介在は、コード2の実現に思わぬ弊害を与える。短絡的な衝動ではなく複雑な思考の積み重なりの果てに子育てがあるなら、そこには本能による強制力がかかりにくい。ある人間が自分の現状を材料とし逆に「どうも経済面で自分に子供の確保は難しそうだ」だとか
2017-06-04 17:15:35「自分には子供を得ることに何の意味があるのか分からない」などと考え出せば、その人間は武器であったはずの思考が重しとなってコード2を放棄することも十分ありえる。この場合、問題の人間が最も価値を見出しているのは、自分(あるいは生まれ来る子供)の幸福、または苦痛発動の芽を摘む事にある。
2017-06-04 18:00:47自らの生存や健康にとってネガティブに働く事象事物に対して人間が覚える苦痛と、これとは待遇関係にある幸福という感情が、コード1と密接な関係にあることは先に述べた通りである。ここで、もしコード2がコード1に優先する命題であるのならば、
2017-06-04 18:33:03仮に子供の確保が本人、あるいは子供に苦痛を生じさせることが予見できても、これをものともしない本能由来の強制力が働き本人を子孫獲得へ向けて駆り立てるであろう。しかし現実として、人は子孫確保という命題をかなえる上で武器となるはずであった思考の働きにより、
2017-06-04 18:42:44これを思いとどまることがある。ならば少なくともコード2が、コード1に優先しているということはない。個体が世代間をつなぐ遺伝子の器に過ぎないとしても、あくまで個体は自らの幸福と苦痛の回避を第一に行動することを許された、主権を有する存在である。
2017-06-04 19:44:55世でもてはやされるネオダーウィニズム、あるいは派生した思想は、生物というものをあたかも子孫を残すためだけに存在するマシーンであり、自らの遺伝情報を残すことができなかった者は淘汰圧に敗れ生き物としての一大命題を果たせなかった負け組みと規定しがちであるが、
2017-06-05 06:55:08経済的、人格的原因などにより、結婚や子供の確保をあきらめざるを得なかった者であっても、この事実を気に病む必要はない。生物にとって最大の命題はまず己自身が苦痛から解き放たれた幸福なる存在であることであり、これが満たされるならコード2からの離反も許されるのである。
2017-06-05 06:59:48