- misonikomioden
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足立「では日中戦争から太平洋戦争時代はどうだったのか?そして戦後はカストリ時代で肉体の時代と言われる。右の画像はおのさせおが表紙をかいたカストリ雑誌
2017-06-09 19:41:36[修正]
おのさせお→小野佐世男
足立「裸をヌード、つまり美術としてみることはアジアではなかった。春画は裸そのものというより「行為」だ。肉体そのものでなく行為を描くもの。右端(仇英)は韓国で春画を描いた人。中央の絵は中国の春画。どちらもあまりやらしいというより行為にしかみえない
2017-06-09 19:43:57足立「官能的な女性の裸体を公共的な場所で鑑賞する、これは西欧の視線であり、これはそれを内在化させ初めて可能となる。ヌードの始まりは近代美術の始まりであり尚且つポルノグラフィーの始まりであった。
2017-06-09 19:45:06足立「黒田清輝が内閣勧業博覧会でヌードを展示したときの騒ぎをビゴーが風刺したものだ。なかなか定着しなかったものの黒田は政治家でもあり徐々に定着しはじめる。
2017-06-09 19:47:42足立「ヌードは危険なものとして捉えられる。左は黒田清輝作品。右は白馬会でその作品が展示され腰巻きをされてる展示風景だ。
2017-06-09 19:48:49足立「公衆の面前に晒してはいけない、というそんな状況が日本にあった。それと同じく規制されていたのが社会主義。どちらも権力の取り締まり対象であった
2017-06-09 19:49:29足立「韓国ではヌードが日本からモタラされる。左の絵は当時の文展で賞をとった。これは日本で学んでいた韓国人の作品で、すでに韓国は植民地とされていて、賞を取ったことから話題になるものの韓国ではまったく絵が出回らなかった。儒教思想の強さが影響してたいだんだろう。
2017-06-09 19:51:51[修正]
モタラされる→もたらされる
足立「この絵は黒田清輝と構図が似ており、つまり西洋を内在化した日本をさらに韓国が内在化したという入れ子状であろう。韓国ではこの作品はずっと展示されなかったようだ。
2017-06-09 19:52:43足立「中国でも1920年代までヌードを展示することはできなかった。中国は韓国と異なり直接西洋を学んでいたので学校の中でヌードは学んでいた。その状況を右の絵は描いてる。上海美術学院の外で小さな展示をしただけで大問題となり先生がクビになりかけたそうだ。
2017-06-09 19:54:11足立「右の絵は中国で最も初期のヌード絵画。日本にも留学しており、日本経由でヨーロッパへ渡った人で、中国は現代美術は盛り上がっておりその成果で近代美術も盛り上がり、この作品も高い値段で競り落とされたようだ(贋作疑惑もあるようだが
2017-06-09 19:55:27足立「美術ではモデルが必要だが、当時は娼婦がつとめていた。そこに日本の近代化も関わる。日本の場合は芸者、娼婦でありつつ芸を売る人でそれは制度であり習慣。
2017-06-09 19:57:32足立「1900年に娼妓解放令が出た、これは借金をチャラにして自由にしていいよと、そんな法律で、それほど多くが開放されたわけでないが、国家としてはそのような態度を示した。
2017-06-09 19:57:34足立「そして娼婦登場以前の芸者時代から、それでは食っていけないのでモデルをしていたようだ。 左の画像はビゴーがその状況をしめしたもの
2017-06-09 19:58:22