- ShuheiYamazaki
- 1025
- 6
- 0
- 1
土岐さん: 詩のパートにも短歌のような認識や把握が見られる。強いて言うと、この一連の中でキメの歌はどれなのだろうか、ということ。 珂瀾さん: 歌人が詩と短歌を融合させると、長歌の延長になっているのでは? #wm関西
2017-06-24 14:01:55楠さん: 「紫陽花を踏む」の30枚を、一首の短歌として読んで、五つの区分を見出した。(最後は1音分空白か?) #wm関西
2017-06-24 14:07:44龍翔「紫陽花を踏む」30枚の写真で構成。初句は5枚目まで、と区切る楠誓英さん。依存、愛惜、決別をテーマとして読んだ。見られているという自己愛も。#wm関西
2017-06-24 14:08:36楠さん: 「読者」の視点を強く意識した動作や「型」を用いて、紫陽花を踏む動作を見せている。それゆえ、美的ナルシシズムが作中に強く香っている。 #wm関西
2017-06-24 14:09:34門脇さん: 短歌として「紫陽花を踏む」を読んだ時に、振付師や作者として龍翔さんがいて、ダンサーや写真は第三者なんだ、ということが驚きだった。#wm関西
2017-06-24 14:20:26土岐友浩さん。短歌として提示されたら何でも短歌か。読者が短歌として読もうとするとき、その向こうに詠み人があらわれる。「ギリギリの現代短歌」とは、短歌の批評用語で語ることのできる作品のこと。 #wm関西
2017-06-24 14:28:05土岐さん: コンピュータによる演算結果であるが、漢字変換などに槐さんの作者性が出ているのでは? と思って自分も試しに自分でも「変換」してみた。#wm関西
2017-06-24 14:34:14土岐さん: 31文字の演算結果であるにも関わらず、敢えて破調を盛り込んだ歌も見られる。作者の任意性と、誰がやっても同じになりそうな部分との拮抗。旧仮名による「和歌っぽさ」。 #wm関西
2017-06-24 14:36:31「オートマトン短歌2016 はろき間は」はアルゴリズムにもとづいて作成された31個のひらがなによる文字列を任意に変換したもの。「変換」に作者性があらわれる、と土岐バージョンの変換も読ませてもらいました。かなり違う歌に。 #wm関西
2017-06-24 14:36:43「オートマトン短歌2016 はろき間は」黒瀬さん。韻律がないものを無理やり定型にはめこむ面白さ。呪術性。 #wm関西
2017-06-24 14:47:12「地霊花抄」地霊の声を呼び覚ましている。「われ」は誰か。なにを弔うのか。時代、場所はどこか。(わたしは、自身の内なる声が自身を弔っていると読みました) #wm関西
2017-06-24 14:57:31門脇さん: 「夏の跳弾」は違和感なく読める作品。「黒瀬珂瀾」の存在そのものが読みの補助線になる(読経→職業詠、など)。作者像が使われている作品が少ない冊子においては目を引くオーソドックスさ。#wm関西
2017-06-24 15:34:51黒瀬さんの「夏の跳弾」門脇さん。短歌としての違和感のなさ。黒瀬さん自身の姿を補助線として読める。短歌史上の果実(今までの蓄積)を使って読まれている。オーソドックスである分、ギリギリの現代短歌とは。 #wm関西
2017-06-24 15:37:44門脇さん: 自分自身がそれまでの歴史を受けて最前線に立っているという意味での「ギリギリ」なのでは。むしろ総合誌にこれらがあったら、秀歌が多いのに見逃してしまうかも。 #wm関西
2017-06-24 15:38:08ゆふぐれを眺むるほどに疲れゐて火を焚きぬ剣の穂を焦がす火を 黒瀬珂瀾「夏の跳弾」 火の剣のごとき夕陽に跳躍の青年一瞬血ぬられて飛ぶ 春日井建 #wm関西
2017-06-24 15:38:17