雪崩は湖にそそぎ、城はそのまま水面に浮かんでただよい、岸辺にたどりつく、みるみるうちに氷は溶けてゆく。 女が娘のもとへ駆け寄ると、凍てついた壁から花嫁衣裳に包まれた華奢な身体がはがれ、落ちかかってくる。片手で抱きとめると、かすかな喘ぎが聞こえる。
2017-01-14 23:12:24とうとう城は筏ほどの大きさになり、すっかりなくなる。 あちこちで次々にかわいらしい悲鳴があがり、結晶のうちに閉ざされていた嫁御寮が一人また一人と目覚めていく。 「おかあ…さん…?」 娘が問いかけるへ、母は隻腕でしっかり抱きしめる。 陸にあがった少女らは戸惑って見つめ合う。
2017-01-14 23:14:57長袍の名残であるぼろをまとった少年は、きらびやかな娘等を退屈そうにながめわたすと、あくびをひとつして立ち去ろうとする。 「待って」 女は娘を抱いたまま呼びかける。 「お前も一緒に」 雪男だった童児は牙の生えそろった口を三日月にして笑った。周囲で悲鳴が上がるのも気にせず
2017-01-14 23:17:54顎をかき、小さな手を打ち鳴らし、地面を転がってから、女に別れの挨拶をするうなずいて、笑いながら立ち去って行った。毛皮をまとっていた頃に比ぶべくもないが、猿のような敏捷さだった。 「お母さん…手…お母さんの手が…」 「…ああ…いいんだ…いいんだよ」 娘の心配に女はそう答えながら
2017-01-14 23:20:19しばらくして山々のあいだのいくつかの村では季節外れの祭りに沸いた。魔物にさらわれた花嫁達が戻ってきたのだ。 無茶をしでかすと閉じ込められていた、齢十五の花婿は、作法もしきたりもものかは、幼馴染の花嫁を抱きしめて口づけの雨を降らせ、泣いたかと思えば笑った。
2017-01-14 23:23:48もっとも麓のにぎやかさなど山々の奥深くには届かない。銀世界を今日も雪男は飛び回る。相変わらずぼろをまとった貧相な子供の姿ではあまり恰好はよくないが、溌剌としたさまは変わらない。 いつものように、散歩道にある深い谷を一跳びに越えようとしたところで、眼下の雪渓に人がいるのに気づく。
2017-01-14 23:30:06隻腕の女が裘を抱えて立っている。粉々になった毛皮を縫い合わせた不格好なずた袋のようだが、いちおう元通りにはなっている。 「やあ」 挨拶すると、少年は嬉しげに吠えて崖にしがみつき、巧みに降りてそばへよる。 「こいつを返そうと思って。片手じゃうまく直せなかったけど」
2017-01-14 23:32:07童児はさっそく受け取って着こむ。たちまち縫い糸ははじけ飛び、継ぎはぎは消えてむっくりと毛むくじゃらの巨躯があらわれる。 あどけない容貌に代わってあらわれた異相を、女は満足げに見上げる。 「やっぱりその顔がいいね…ところで…腕のとこがちょっと痛むんだ。湯治をさせてくれない?」
2017-01-14 23:37:18雪男はうなずくと掬い取るように客を抱え、なじみの温泉へと運んでゆく。 女はまるで赤子のように腕に抱かれながら、やれやれと鼻息をひとつして、白い毛皮に顔を寄せると、そっと頬ずりをした。
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