川内が吹雪のことを"特型"と呼ぶ理由

ラスカる @Not_Araiguma

潮風の当たるウッドデッキに行くと、その日は川内さんが煙草を吸っていた。別に珍しくもない光景だ。比叡さんも青葉さんも隠れて吸っていると知った今なら。 「川内さん」 だから私は何気なく声を掛けたから、 「んげぇ！？」 酷くバツの悪い顔をして変な声を上げた川内さんに驚いてしまった。

ラスカる @Not_Araiguma

川内さんは怖い顔をして私を睨んだ。 「…見たな？」 「み、見てません！」 「見たな！？」 「見ましたぁ！」 「見られたなら仕方ない…」 「何する気ですか！？」 「…お願い、吸ってるのは秘密にして」 「へっ？」 てっきりランニング百周とか言い出すものと思っていたのでこれまた驚いた。

ラスカる @Not_Araiguma

「お願いだから。ね？」 「わ、分かりました」 "あの"川内さんが私に頭を下げるなんて。唯我独尊と傍若無人の四文字熟語が似合う、あの川内さんが。 「一応、訳を聞いてもいいですか？」 「いいよ。答えないけど」 「そんなぁ」 「逆に聞こうか。なんで知られたら駄目なんだと思う？」

ラスカる @Not_Araiguma

「…分かりません」 「だろうね」 川内さんがふぅ、と煙を吐いた。 「特型は知らなくていい」 「もうひとつ聞いてもいいですか」 「何？」 「私のことを名前じゃなくて"特型"って呼ぶのはどうしてなんですか」 「…もっと知らなくていいことだ」 川内さんは目を合わせることなくそう答えた。

ラスカる @Not_Araiguma

「さぁ、行った行った。秘書艦なのにこんなとこ居ていいの？」 「…さよなら」 「夜の訓練、忘れないでよ」 「はぁい」 「…行ったか」 吹雪が立ち去った後、川内は二本目の煙草に火を点けた。 川内は喫煙者であるが、人前では決して吸うことが無い。吹雪に見られたのは完全に失態だった。

ラスカる @Not_Araiguma

川内が煙草を吸うには理由があった。 （また思い出しちゃったじゃない…） 昔、自分の目の前で沈んだ仲間の弔い煙である。彼女らの死を偲び、こうして一人、誰にも見られることなく煙を捧げている……というのは表向きの理由だ。

ラスカる @Not_Araiguma

（……） 本当は忘れられないのだ、彼女らのことを。配下の駆逐艦だった彼女たちのことを思い出す度に、救えなかった後悔と後戻りが出来ない事実に身を焦がされるのだ。 煙草を吸うのはそのことを少しの時間でもいいから思い出さないようにする為だ。

ラスカる @Not_Araiguma

しかし、煙草の効能は弱い。忘れるには力不足が否めないのを川内は自覚している。 酒、薬。本当に忘れたいのならそれらに頼るという選択肢も取れるはずである。だが川内はそうしない。出来なかった。それらに浸かれば最後、見るに堪えない無惨な最期を遂げると知っていたからだ。

ラスカる @Not_Araiguma

酒や薬は怖くて手が出せない。だが何かに頼らなければ忘れることが出来ない記憶がある。 だから川内は煙草を取った。真綿で締められる緩やかな死を、彼女は選んだ。 （名前で呼ばない理由、か） 特型の彼女にそう言われ、殆ど無自覚になっていた"名前呼びを避けている"事も思い出した。

ラスカる @Not_Araiguma

（名前でなんて、呼べないよ） 逝ってしまった仲間と川内は最高の戦友と呼んでもいいような関係だった。良き友であり、そして理解者であった。そんな彼女らを亡くした時に川内はある誓いを立てた。 （呼んだら、愛着が湧いてしまうじゃないか） 別れが辛くならないように、誓ったのだ。

ラスカる @Not_Araiguma

（そうだってのに、あの子はなんで突っかかってくるかなぁ…） あの子とは吹雪のことだ。訓練教官としてここへ赴いた川内は着任初日、彼女に酷い訓練メニューを押し付けた。 そうすれば彼女は自分を嫌う。必要以上に仲も深まることはないだろうと考えて。 だがそれは大きな間違いだった。

ラスカる @Not_Araiguma

吹雪は想像以上に"しつこい"艦娘だった。過酷な訓練を課しても、日常生活で突っぱねても、どうにかして自分のことを知ろうとしてくるのだ。 厄介極まりない。踏み込んでくるのを完全に遮断することも出来ない。 （…似てるから、かな） 最も親しかったあの駆逐艦の姿を重ねて見ているのだろうか。

ラスカる @Not_Araiguma

（…ああ、私の馬鹿。思い出すな、忘れろ……） まだ声も表情も、何もかもを忘れられずにいるある駆逐艦の姿を必死に脳内から引きずり出そうと腐心しながら、川内はその日三本目となる煙草に火を点けた。 （終）