
1997年の著書「インターネットは空っぽの洞窟」にて、既にトゲッターコメ欄実在か!という話

「インターネットは空っぽの洞窟」という著書が目の前に転がっていたので、気になったところを読んだ所、昔も今も掲示板論争は変わっていない様子が見れましたので、そこをピックアップしてまとめました。
2017-07-24 02:47:31
ゴーストライターに本を書いて貰ったのでしょう? と濡れ衣を着せられるくだりが面白かったなあ。ネットは黎明期から変わってないよね。「1997年の著書「インターネットは空っぽの洞窟」にて、既にトゲッターコメ欄実..」togetter.com/li/1132744#c39…
2017-07-23 19:01:32
媒体は変われど「使ってるのは人間」ってところだけは変わらねえしなあ、次は何が主流になるが分からないけどやっぱ同じような問題で揉めるな「1997年の著書「インターネットは空っぽの洞窟」にて、既にトゲッターコメ欄実..」togetter.com/li/1132744#c39…
2017-07-23 19:24:26インターネットは空っぽの洞窟
1997年 クリフォード・ストール著 倉骨彰-訳 草想社
アマゾンで 中古 新品で買えて 電子書籍はない。
欲しい人は好きな形でどうぞ。
私は一冊所有しています。
アマゾンでは
冒頭16P と あとがきが確認できます。
今回たまたま見開いたら?その項目を発見したわけです。
カッコウはコンピューターに卵を生む
の著者のエッセイ。
「電子井戸端泥沼合戦」の一節に いまのトゲッターと思われる懸念が既に起きていたことを、見ることが出来たので紹介しようと思う。
第12章 電子井戸端泥沼合戦
P 369から 抜粋
1997年の 米当時でもありがちだった ネットの実態
そうなんだ。僕なんか、たいして内容のないフォローアツプのやりとりに目を通していたりすると・目がしょぼしょぼしてくる。巨大なやまびこ渓谷のような USENETでは・自分の投稿への反響を聞きたい人だけが、いつまでも同じ問いかけを繰り返している。
USENETは、昨日投稿された質問に誰かが今日答え、そのフォローアツプが一週間続き・それがあってから一カ月もたたないうちに、誰かがまた同じ質問を投稿してくるという・どうどうめぐりの世界なのだ。
人類の一〇〇人に一人が変人だったら、利用者五〇〇〇万人のインターネツトには変人が五〇万人もいることになる。まあ、大方はおとなしいタイプだろうから、実際にがたがた騒いで人に迷惑をかけているのは、ほんの数千人なのかもしれない。
しかし、そういう人問がいるから、人種差別発言や反ユダヤ菱言がニューズグループに投稿されたりする。そういう馬鹿な奴がいるから、インターネツトは似たりよったりのフォーラムや電子コンフアレンス会議でいっぱいになる。
そういう「ネクラ人間」が、コンピュータウイルスに感染させたソフト
ウェアをアーカイブ・サーバにアツプロードしたりする。そういった連中が、匿名をいいことに、インターネツト・チャツトラインや電子メールで女性にセクハラしたりする。
※USENET とは?
昔でいう パソコン通信時代の、BBSのようなものと思えばいいでしょう。
(違ってたらすいません)米もその辺りが結構1997年代は全盛だったようですよ?
こういう連中に近づかないすべを実社会では心得ている僕らも、ネットワークとなると完全にお手上げだ。やっらはいきなり目の前に現われる。そういえばジョン・シーブルツクが、電子メールで初めて侮辱されたときのショックについて、『ニューヨTカー』誌に書いていたが、僕なんか、もう何百通もそういうメールを送りつけられたから、だいぶ平気になった。
インターネットでは、コンピュータ使いになった学校のいじめっ子が自分に従わない子を文書攻撃したり、礼儀知らずが初心者のささいなミスをやり玉にあげたりしている。こういった運中のしていることは、交通渋滞にまきこまれたドライバーが、その怒りを他人に向けて発散しているようなものだ。
それもインターネットという、高速道路よりもっともっと公の場で。意図的に挑発的なメッセージを投稿して面白がる馬鹿もいる。そんな連中は、「国税局から数百万ドルの還付を受ける方法を説明しているファイルの入手方法を教えてください」といった質問をしてニュービーは、ニヤニヤしながら待っているのだ。そのファイルを欲しがる新参者からの投稿や、ファイルの存在を否定するきまじめな投稿が現われるのを。思うに、バーチャル・コミュニティには、他人を受毛入れる懐の深さというものが不足しているんじゃないか?
※ トゲッター コメント欄じゃね?と思える部分はここから
例えば「庭から アライグマ を駆除する方法は?」
と言った単純な質問を投稿すると?
その日のうちにも
「フェンスに電流を流せばいい」
「罠を仕掛ければいい」
「散水ホースで追い払えばいい」 といったごく当たり前の指摘が帰ってくる。すると、それに対するフォローアップの形で別の投稿者が参加してきて、
「電流フェンスは動物虐待だ」
「アライグマは罠にかかるほど馬鹿じゃない」
「散水ホースなんて水の無駄使いだ」と始まる。
そしてそうなってしまうと、新たな投稿に対する新たなフォローアップが、
「何の罪もない動物を虐待するなんて、あなたは何を考えているのですか」
「何を根拠に私が水を無駄使いしてるというのですか」
「アライグマなんぞとっとと処分してしまえ!」
といった感じで、次から次へと押し寄せてくる。
※ (もろ 地獄のコメント欄でしょ?www
コメント欄の イイね合戦を 再現してみました(笑)
フレイムウオーで、数日もすると、数人の投稿者のあいだで個人攻撃中心の誹誘中傷合戦が始まっていて、それを
みんなが当惑ぎみに見守っている。かくいう僕自身も、ささいなことをああだこうだと言い合うフレイムウォーを、最初のうちは笑いながら見ていた一人なのだが、何カ月後かのある日、ふと気になったのだこんなやりとりを見てて、なにか得るところがあるのだろうか?
そう思ったら、なんだか聴取者電話参加ラジオ番組のやりとりを原稿で読んでいるみたいで、この
バーチャル不協和音を体験するたびに頭痛がするようになってしまった。だから最近の僕は、USERNETにアクセスしても投稿メッセージを読む一だけで、投稿はほとんどしなくなった。
USENETのような
バーチャル・コミュニティでいろいろディスカッションすることに魅力を覚えるのは、現実の世界でそれができなくなってきているせいかもしれない。
しかしこれが、友だちとの食事とか、ジョン・グレイディとの洞窟探検の代わりになるかというと、なんとももの足りない。