《2011年3月から4月。福島県民の県外避難を妨害したのは当時の政府ではない》

自己ツイートをまとめました。 福島県民に当時寄り添っていなかったのは、 福島県庁幹部でした。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年3月14日以後、福島県住民の県外への避難を妨害し、 福島県外から福島県住民への避難受け入れ申し出情報を遮断し、 福島県内での放射性物質防護を妨害したのは、 当時の民主党政権ではない。 以上は全て、福島県庁が、当時の福島県知事佐藤雄平と副知事内堀の指示の下に実施した。

2017-08-09 19:25:30
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

例えば、県内メディアが「住民の一部からは放射性物質による健康被害を心配する声もないわけではない」などと報じると、 メディアの幹部が福島県庁に呼びつけられ、知事又は副知事から言われたのだ。 「県は、福島県民が前向きになれる報道だけを希望している」と。 怒るべき相手を間違うな。。

2017-08-09 19:28:51
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

もう一つ、既に複数のメディアが報じていること。 2011年3月15日に、菅直人首相(当時)が佐藤雄平福島県知事(当時)と電話会談した際に、菅首相が「妊婦と子どもだけでも県外避難を」と打診したのに対して、佐藤県知事が「私の仕事はこれ以上一人でも福島県民を減らさないこと」と拒絶した。

2017-08-09 21:15:37
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

さらにもう一つ。 2011年夏に、福島市の近くの小学校でたった1校だけ、屋外プールを使用させる為に、効果が定かでない「除染」を執拗に行い、却って周囲への放射性物質再飛散をさせたのは、田中俊一氏(その後原子力規制委員長に就任)と細野豪志氏(先日民進党を離党)が中心だった。

2017-08-09 22:18:24
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

簡単に、2011年3月から4月にかけての、福島県内に残った人の気持ちの一部分をまとめておく。 「原発事故で放射性物質で汚染された地域に住んでいる福島県民を、避難先として受け入れてくれる所などないのだ。避難を受け入れてくれるところがあれば、テレビや新聞やラジオが伝えてくれる筈だ」

2017-08-09 22:32:52
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「県外に避難した福島県民は、差別され、いじめられるのだ。マスコミもそう伝えている。私たちは県外の人から見捨てられたのだ。」 実際には、県外からの避難受け入れ呼びかけを、福島県庁がシャットアウトしていた。新聞やテレビも県庁の方針に従った。 SNSだけが避難受け入れを伝えてくれた。

2017-08-09 22:36:16
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

福島県民が県外に避難する事を妨害することについては、 福島県庁が主犯ではあるのだが、新聞社、テレビ局、ラジオ局も共犯なのだ。 2011年3から5月、福島県から県外に避難する事が出来なかったのは、福島県の一般県民の意思ではないし、責任でもない。 「見捨てられた」と私達は話し合った。

2017-08-09 23:08:23
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

NHK以外の、福島県内の新聞社・テレビ局・ラジオ局に関しては、 全く弁護すべき余地がないわけではない。 在京キー局や全国紙ならば、政府からの広告出稿がないとしても生き残れるだろう。しかし、福島県内の新聞社やテレビ局は、福島縣庁からの広告出稿などがなければ、即、経営の危機なのだ。

2017-08-09 23:11:29
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

たった200万人の県民に対して、民間放送テレビ局が4社。地方紙が2紙。 しかも、県の面積が広く、全域にテレビ電波を届けることも、全戸に新聞を配達することも困難な福島県だ。 多すぎたのだ。それを県や自治体、電力会社の広告料で維持してきた。 そのアンバランスに県民も気付いていなかった

2017-08-09 23:15:47