ぐだぐだ文アル帰省旅 その3 ー湯田川・羽前水沢・湯野浜編ー
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鶴岡の奥座敷と呼ばれてて、いろんな文人墨客が来てますね。この正面湯は公共浴場です。 目の前に足湯もあるでよ pic.twitter.com/aZ28NQYxKN
2017-08-15 11:16:54この地域の神社、由豆佐賣神社 鳥居くぐった瞬間世界が変わったように涼しい pic.twitter.com/l41udCpW80
2017-08-15 11:24:02新徴組が江戸からやって来た際に、一時期滞在にしてた場所でもあります 本部跡の隼人旅館 pic.twitter.com/nc13kHHm8Y
2017-08-15 11:27:41大きいホテルとかは無くて、小さい旅館が建ち並んで鄙びた感じの温泉地です。 りーちがここで書いた戯曲が「笑つた皇后」ですね。 さて時間が無いから次行こう
2017-08-15 11:33:02ここは、利一さんが新婚当時の頃に滞在し「笑つた皇后」という戯曲を書いた温泉地です。
「女湯から見えている足にドキドキしてたら、それは奥さんの足だった」という微笑ましいエピソードが残っている温泉でもあります。詳しくは「夜の靴」を読んでね!
さて、次の目的地なんですが…
加藤清正でおなじみの、加藤家の終焉の地です ひたすらここに何があったというのを紹介するだけでほぼ原っぱ pic.twitter.com/eu7nrAHn68
2017-08-15 12:08:50そして…本命の旧日向家住宅こと楽朋館なんですが… >>開館日土日祝だけ<< pic.twitter.com/8NSFLkpZo0
2017-08-15 12:53:04まさかの大本命が開いてない!!
この後何とか次の日に開けてもらうことになった話はまた次のまとめで…
傷心のままに行ったこちらもまた別でまとめます…
そして昼過ぎの涼しくなった辺りでこちらへ
利一さんの最晩年作、今までもたびたび名前を出していた「夜の靴」の舞台である羽前水沢の上郷地区へ。
「夜の靴」は、利一さんが疎開をして帰るまでの100日間の日記を小説としてまとめた作品で、生前最後に刊行された作品でもあります。
そして疎開先がこの上郷地区、当時の西目村です。
さてこっから夜の靴 駅から西目に向かう一本道。確かにこれは心折れそう… 向かって右の眺めがこんな感じ pic.twitter.com/B1Qvh8PQrs
2017-08-15 15:40:17さっきの道を奥さんが歩いてくるのを見つけて、待ってた橋 ここからなら普通に見つけられるのがよくわかる pic.twitter.com/MfaNx6YbQI
2017-08-15 15:44:50この道は約1.2kmほどの一本道。
利一さんはここを考え事をしながら歩くのが日課だったようです。
この田んぼの風景は、厨房日記で
「この風景に包まれて生まれ、この稲穂に養われて死ぬものならば、せめてそれを幸福だと思いたかった」
夜の靴で
「ここが一番日本らしい風景だと思った」
と書かれた風景でもあります。
今でも十分綺麗ですが、稲刈りまでの初秋辺りが一番黄金色していて綺麗です。
今は車で上まで上がれるようになってます。 昔はここも石段だったのかな…杉並み木も無くなっているようです pic.twitter.com/GN3wVWTdxM
2017-08-15 16:16:19石段の名残が残ってるところ 上がっていくと夜の靴の文学碑があります pic.twitter.com/v4yWt3K4G7
2017-08-15 16:18:38「夜の靴」のタイトルの由来にもなった石段のある東源寺。ここに、夜の靴の文学碑が建立されています。
石段は僅かに残るばかりですが、足音を聞きつつ下へ降りて次へ
移動して山口公民館へ。夜の靴の文学碑二ヶ所目。 公民館の奥の方だけど普通に入れます。散策マップもあるみたい。 pic.twitter.com/qx2YbqADPp
2017-08-15 16:24:49