さやわか × 佐々木敦「『10年代の想像力』第一章冒頭を記述せよ」【ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第3期#6】
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〈現実〉のもっと近くに―演劇化するセカイの想像力 – 新・批評家育成サイト school.genron.co.jp/works/critics/… #批評再生塾 @genroninfoさんから また後で読もう。面白い。
2017-09-07 19:14:08太田さんの「恥ずかしげな過去形で〜」は「してみた」のテンプレ化という論点が面白いと思った。ぼくなりに理解すると、「してみた」だらけの世界は、抑圧的な規範からの逃走線に見えるけど、その実、一つのダンスがN次創作を生むプラットフォーム(お手本)として規範化している。 #批評再生塾
2017-09-07 20:19:40谷さんの半匿名的なつながりを象徴する「フード」を被る酸欠少女さユりのファッションスタイル論は、まろんさんの「演劇化するセカイ」と合わせて読むと10年代に舞台表現や音楽シーンを横断してポスト初音ミク〜2.5次元的な複製と分身のシミュラクルが現れてくる時代性が興味深い。#批評再生塾
2017-09-07 20:37:47太田さん、続き。【踊ってみた】の元になるダンスは完結した表現態じゃなくて、「振り」のデータベース的集積(としてイメージされる)から、そのサンプリングで遊ぶみたいな【踊ってみた】が20年代的になるのかな。20年かけて、ウィリアム・フォーサイスが大衆化する? #批評再生塾
2017-09-07 20:42:42"酸欠少女はなぜフードをかぶるのか? – 新・批評家育成サイト school.genron.co.jp/works/critics/… #批評再生塾"
2017-09-07 20:52:16"〈現実〉のもっと近くに―演劇化するセカイの想像力 – 新・批評家育成サイト school.genron.co.jp/works/critics/… #批評再生塾"
2017-09-07 20:52:36北出さんの「媒介者の発見〜」の、ディスプレイ接続環境(というのか?)の変化から、メディアに触発される「想像力」を分析するという視点を、僕は結構、北出さんから学んでいる。演劇で言い換えれば身体=メディアに触発される「想像力」の分析、ということになるけれど。 #批評再生塾
2017-09-07 20:55:56北出さん2。演劇も、体験ツアー型演劇のようなものが出てきてから、身体=メディアへの接続環境が変わった、と言えるかもしれない。俳優の身体が(仮想現実を立ち上げる)想像力の媒体から(現実理解の)ツールとして使われるようになったのと類比的かな? VR/ARに対応する。 #批評再生塾
2017-09-07 21:01:14北出さん3。何にせよ、時空間的連続性を持たずして「点在」するアクセスポイントの擬似同期から、ネットワーク的集団の経験をコモンセンス化しうる、というAR技術への洞察には感嘆します。タイムラインを現実に埋め込む(ヴァーチャル化)ことが可能になったんですね! #批評再生塾
2017-09-07 21:16:28北出さん4。アレントを参照すれば、公共圏は時間的連続性を担保する物語をプラットフォームとして必要とするけど、AR的に公共圏を介せば、〈公共圏〉の別のあり様も考えられる? あと『Kanon』が懐かしい。友達に初めて借りたギャルゲが、これだった。鍵っ子だったんですね。 #批評再生塾
2017-09-07 21:20:19#批評再生塾 谷頭さんの論稿は自分の論稿と相互補完的になっている気がするな。彼はスカイツリーのようなランドマークの形態そのものに「視点によってさまざまな様相を露にする構造」を見出し、単一視点的・遠近法的な歴史観=大きな物語への抵抗可能性を読み解くのだが、
2017-09-07 21:23:53#批評再生塾 自分は情報技術の側に着目し、「ズレをはらんだ同期性」によって現出する仮想のランドマーク…円盤=ARの可能性を解く。「時間(タイムライン)が複数化されている」という現状認識は共有しているし、これ以上ないくらいに表裏一体だ。
2017-09-07 21:26:08山下さんの「ガチとフェイクの皮膜論」で、ぱっと思うのは、じゃあ「演劇化」と「プロレス化」って何が違うの? という論点です。そもそも演劇は儀礼からはじまるわけだから、アニミズム的想像力に基盤を持つ。自然を擬人化して「振る=増やす」身振りは、「役」の原型だ。 #批評再生塾
2017-09-07 21:27:43谷頭さんにはぜひ僕も著書を参照させていただいている清水高志さんのご自宅「s-house」の写真を見てほしいですね。 yuusukekarasawa.com/works/2014/05/… #批評再生塾
2017-09-07 21:33:51山下さん2。プロレスの「メタコミュニケーションへの逸脱」は、理想を相対化していく「虚構の時代」と並走した「つかこうへい」的な規範破りを笑いに変える感性を思わせる。確かにつかの芝居は『熱海殺人事件』にしてもプロレス的な”あえて”の露悪性がとても濃い。 #批評再生塾
2017-09-07 21:40:14山下さん3。うーん。プロレスの「パフォーマンス」が嘘/本当の「真実」を問題にするのではなくて、説得力があるか/ないかの「レトリック」を問題にするんだったら、それはもう「アニミズム的想像力」と多分言えて、プロレスじゃなくて演劇じゃないか?と言ってみます。#言ってみた #批評再生塾
2017-09-07 21:53:34北出栞さんの文章。 媒介者の発見、あるいは時空間を超越する経験について ~『2010年代の想像力』序章 – 新・批評家育成サイト school.genron.co.jp/works/critics/… #批評再生塾 @genroninfoさんから
2017-09-07 22:36:46みなみしまさんの「ポップなき〜」は、椹木野衣に依拠して、大衆性を批評的に反映している―シミュレーショニズムの美術様式として顕在化する―反映のポップと、状況に対する態度を持たない鵺的な日本の大衆性へ還元している―「悪い場所」を反復する―ネオポップを対置する。 #批評再生塾
2017-09-07 23:06:54まろんさんのコメントにより「プロレスは演劇を内包した(本質とした)スポーツ/格闘技である」という弁証法が起きた。 #批評再生塾 twitter.com/yamemashitaa/s…
2017-09-07 23:58:45昭和のプロレス批評ではレスリングは古代ギリシャから始まる神聖な儀式であり、みたいな語り方も紋切型としてあったみたいなのでつなげて展開するのは容易だと思います。バルトのプロレス論もヒール(悪役)と古典劇の登場人物との類比になってました twitter.com/z_z__z/status/…
2017-09-07 23:03:29みなみしまさん2。論点は「マイクロポップ」の潮流は、大衆が小さな分衆(?)へ島宇宙化したポストモダン的状況を反映、あるいは抵抗を示しうるマイクロポリティクス的想像力として「ネオポップ」―悪い場所の反復―から抜け出せているのか? ということかなーと思います。多分。 #批評再生塾
2017-09-08 00:31:27みなみしまさん3。別役実・内野儀の用語で言い直すと、結局「マイクロポップ」は「空気と自分を同一化させることがアイデンティティになる非-在の私」からなる日本的主体の磁場から脱出できていない、ということになるのか。 #批評再生塾
2017-09-08 00:38:49みなみしまさん4。しかしチンポムは、スクラップ&ビルドのバラック=悪い場所?に、「見に行けない」帰宅困難区域の作品展を中継的に「サテライト展示」してみせることで、「ニッポンの空気」に還元されない「政治的主体」の行為を示した。どうも「まとめてみた」になってますが・・・ #批評再生塾
2017-09-08 00:54:40@nao3_desuyo @z_z__z 入不二基義さんによる〈本物〉論も「単純に「在る」とも単純に「無い」とも言えない、特異な在り方をしているということであり、プロレスはその特異性をつねに呼吸し続けている行為だということである。」と言っているのでなかむらさんのプロレス観と重なる認識ですね。 #批評再生塾
2017-09-08 19:49:24