編集部イチオシ

横綱大関否定論

全国3000万人の横綱大関マニアの一人である貴方に向けて
8
バッツョ @badzdyo

否定説2を採れば、問題は解決するように見える。しかし注目したいのは、実際問題採用するものはいなかったということである。

2017-09-16 00:00:02
バッツョ @badzdyo

なぜ採用しなかったか。関脇の場合、前頭5枚目の8勝だろうが、より優れた力士がいなければ、関脇に上がる。しかし、大関の場合に、同じケースで昇進させるのは不当である。この点については、肯定説を採る者も否定説1を採る者も当然の前提としていたから、否定説2を採らなかったのである。

2017-09-16 00:00:20
バッツョ @badzdyo

この、否定説2が不当だという前提をもう少し明確に表現したい。 どのような成績であれば昇進させてよいか。よく持ち出されるのは、3場所33勝だろう。単に相対的な順序関係にとどまらず、一定の星数を残さなければ大関に昇進できないことになる。

2017-09-16 00:00:35
バッツョ @badzdyo

つまり、大関昇進は、関脇以下とは異なり、一定の成績を残さねばならない、ということが要求されることを意味している。このような考え方を、大関責任ルールと呼びたい。

2017-09-16 00:00:52
バッツョ @badzdyo

番付というのは実力の順位表であることが大前提だが、大関責任ルールは、順位では大関になる力士を大関にしないという意味で、順位以外の要素を大関という地位に見出していることになる。

2017-09-16 00:01:05
バッツョ @badzdyo

7.以上をまとめると、横綱大関における3説の対立は、必置ルールと、横綱と大関の分離と、大関責任ルールを同時に満たすことができないというトリレンマをどう解決するか、という問題ということができる。

2017-09-16 00:01:21
バッツョ @badzdyo

8.しかし、この3要素には軽重がある。横綱大関問題の核心は、必置ルールと大関責任ルールの矛盾である。

2017-09-16 00:01:34
バッツョ @badzdyo

必置ルールは、欠員が生じたときは、成績にかかわらず相対的に優れた力士を大関に昇進させるべき、という思想が背景にある。 他方、大関責任ルールは、大関には一定の成績が求められるものであり、一定の成績に満たない者は、大関になるべきではない、という思想である。 両者の思想は矛盾している。

2017-09-16 00:02:15
バッツョ @badzdyo

これに対し、横綱と大関との分離は横綱大関問題の核心ではない。大関に一定の成績を要求しようと、大関を東西に一名置こうと、横綱と大関を分離することには何の支障もないからである。

2017-09-16 00:02:34
バッツョ @badzdyo

9.必置ルール大関責任ルールの両立は可能か。大関責任ルールにおいて大関昇進の成績を、大関に空家が生じた場合に関脇以下の最優秀力士があげる成績の下限を常に下回る成績に設定した場合には、両者の矛盾は生じない。

2017-09-16 00:03:07
バッツョ @badzdyo

とはいえ、「大関昇進の成績の下限は平幕で8勝以上が求められる」という主張はされない。現実に大関昇進に必要と主張されている成績を前提とするならば、必置ルール大関責任ルールに矛盾の生じる場合があると言ってよい。

2017-09-16 00:03:38
バッツョ @badzdyo

この矛盾が核心だとすれば、横綱大関の主たる問題は、否定説1否定説2といずれを採るかだろう。

2017-09-16 00:03:57

10削除

バッツョ @badzdyo

11.実際に発生した議論である、否定説1肯定説の当否から検討したい。 否定説1は、必置ルール大関責任ルールの矛盾を認め、必置ルールを劣後させたもの、肯定説は、必置ルール大関責任ルールとを両立させるために、横綱と大関の分離を崩したものと位置づけられるだろう。

2017-09-16 00:08:31
バッツョ @badzdyo

12.では、横綱と大関との分離という本来別種のものを持ち出してきた肯定説は、うまい説明になっているだろうか。私は失敗していると評価したい。 肯定説が、横綱は大関を兼ねるとしているのは、横綱の力を有している者は、当然大関の実力を有しているとみているからだろう。

2017-09-16 00:08:45
バッツョ @badzdyo

横綱のハードルをクリア―している以上、大関のハードルは当然クリアーしているというイメージから、これをハードル論といいたい。

2017-09-16 00:09:25
バッツョ @badzdyo

しかし、番付の最も基本的な性質は順位表である。横綱は大関でないという含意があるし、大関は横綱でないという含意があるというのが通常の理解だろうし、先の協会と吉田司家の合意事項でもある。

2017-09-16 00:09:46
バッツョ @badzdyo

両者の差異は、大関に、横綱ではないという含意があると認めるかどうか、ということになる。私は後者が正しいと思うが、ここでは前者のハードル論を基に話を進める。

2017-09-16 00:10:07
バッツョ @badzdyo

横綱が大関の実力をも有しているのは、大関が欠けている場合も欠けていない場合も変わらない。 では、大関が欠けていない場合に、肯定説では横綱をどのように表記するか。当然、横綱とのみ表記する。

2017-09-16 00:10:43
バッツョ @badzdyo

ここに肯定説の欠点がある。つまり、ハードル論では、常に横綱が大関の実力を有しており、大関の人数が欠ける時にのみ、表記が変わるということの説明にはならないのである。

2017-09-16 00:10:57
バッツョ @badzdyo

このような理屈では、横綱と表記されている者がいる時点で、既に大関の実力を有する者がいることは明示されており、あえて横綱大関を設けて大関という名称を付す理由は乏しいことになる。

2017-09-16 00:11:16
バッツョ @badzdyo

13.ハードル論批判に対する肯定派の反論は、「横綱が大関の実力を有していたとしても、番付の表記上大関がいことこそが必置ルールの内容を示すものである」というものだろう。

2017-09-16 00:11:32
バッツョ @badzdyo

先ほど肯定説は、一般的な理解に反して横綱が大関の実力を包含しているという理解をしながら、他方で、必置ルールでは横綱と大関は分離すべきとし、必置ルールは番付表記上のみのルールであるから衝突はない、とするのである。 番付における「地位」と「表記上の地位」を分離するものといえよう。

2017-09-16 00:11:46
バッツョ @badzdyo

ここで話は、「表記上の地位」概念の導入及び地位そのものとの分離の是非に移る。 詳しい方は即座に反応するかもしれない。番付上の地位というのは、番付にそう書いてあるからその地位として扱われるのである。そもそもは分離できるものではない。

2017-09-16 00:12:26
バッツョ @badzdyo

だから、専門的には、大関の側に横綱と添えられている時代は「大関横綱」と称してきたし、横綱の側に大関と添えられている時代は「横綱大関」と称してきた。 全く同じものと言ってよいのに、別の言葉で表してきたのである。それは、番付の記載こそが地位を現しているからである。

2017-09-16 00:12:52