佐藤正美Tweet_20170901_15

0
佐藤正美 @satou_masami

凡人が情熱を持つと厄介だわなあ、、、情熱の溢れた平凡なヤツは、相手を圧倒して自身の強さを認めて悦びを感じる。オレなんぞ、まさに そうだわ、、、。なんで こんな性質になったんだが、、、。

2017-09-02 17:12:00
佐藤正美 @satou_masami

じぶんが思っているようには、世間は私をそう見ていないようだ。オレを話上手だって!? 講師を長い間やっっているから話上手だって訳じゃない。私は(長男が高校生の時に)その高校のPTA会長を務めた。卒業式、壇上で祝辞を述べた後で長男に言われた――「(声が震えて)噛んでた」と。

2017-09-02 17:20:16
佐藤正美 @satou_masami

私は井原西鶴の作品を読んでいた、「一日まさりになじめば、人ほど かはいらしき者はなし」。頭がいいとか、いい人だとか人は云うけれど、魅力があるか退屈か、人間なんて、そのどちらかだ。

2017-09-02 17:22:49
佐藤正美 @satou_masami

ほんとうの躁鬱病・認知症と対面して御覧なさい。こちらの誠意を見せれば相手にわかってもらえるという様な期待は脳天気である事を思い知らさる。他人の心中(しんちゅう)などわからないという事実を改めて承認せざるを得ない。

2017-09-02 17:26:12
佐藤正美 @satou_masami

Twitter を綴る事、それは時間を潰すのに一番愉しい。自分宛の手紙を認(したた)めている様なものだから。文を綴る事は思考を促し、思考はまた文を調える。その適度な習慣は精神を慰め世間の喧騒から精神を回復するが、その過多な傾倒は一人芝居となって逆に毒される。

2017-09-02 17:29:58
佐藤正美 @satou_masami

仕事の計画に時間を費やすのは、たいていの場合、仕事に向かうのが おっくうな時である。そして、計画を立てたら、あたかも仕事をやった気になってしまう。それは、きっと怠惰の一種に違いない。実際に仕事した時間を量ってみればいい。不足しているのは、いつも、仕事をする時間である。

2017-09-02 17:32:49
佐藤正美 @satou_masami

「美しくあれ、而してつねに汝の心の命ずるところをなせ」(ルナン)、そう言い切るためには、よほど自意識と向きあって来た人でないとできない――勿論、脳天気な個性賛歌ではなくて、自意識に悩まされて、自意識と戦い抜いた末の独白の筈である。

2017-09-03 14:57:50
佐藤正美 @satou_masami

「世に一つとして同じ物は存しない」、あらゆる物が確然として存して「現実」を、言語の公共性と論理の公共性のうえで計らおうとしても計らい切れないものがある事を覚って語っているかどうか、語り手の知性が顕れる。思想を整然と語るヤツを私は信用しない。

2017-09-03 15:01:07
佐藤正美 @satou_masami

他人(ひと)の思考を促さない、あるいは行為への情熱を導かない文(ことば、あるいは「あや」)は文字にすぎない。私が他人の書いた文に動かされる時は、彼らの文を彼らの心として感ずる時である。「文は人なり」とも云うけれど、そういう文に遇うのはめったにない。

2017-09-03 15:04:58
佐藤正美 @satou_masami

対象について汎化できるのは、対象を構成する条件(あるいは、形式的構造)であって、対象自体の性質ではない。性質と条件の混同は悪質な誘惑である。

2017-09-03 15:08:34
佐藤正美 @satou_masami

「論理」は非個性である。そして、それを使って我々は身を以て論説を制作する。数学の証明式の様な高度に抽象的な制作物でも、個人の頭脳が、個人の手が、それを作る。(多量生産の)規格品も最初の一つはそうやって作られる。この単純な確かな起源に因って作品は個性を持つ。

2017-09-03 15:14:39
佐藤正美 @satou_masami

[改訂] 私がスーツを着て高価な鞄を下げて歩いている格好はうわべから見れば、いかにも立派なビジネスマンみたいけれど、気持ちは惨めな状態、自分が社会の中で座標のない外点だと思っている。自分の才識を四六時中 疑っている。野良で生きる事は、逞しいと同時に、とても惨めな事なのだ。

2017-09-04 13:42:04
佐藤正美 @satou_masami

「作の出来栄えこそ作家の心を隅々まで語ってくれるものだ。凡そ作品というものの唯一の興味はその出来栄えにある。世の中を眺めて遥かに愉快で有益な事象が無限にある時、世人はヘッポコ小説を読む寛度を持たぬ」(小林秀雄、「アシルと亀の子ⅴ」)。

2017-09-04 13:47:06
佐藤正美 @satou_masami

「作品の出来栄えを最大の関心事としない文士は、如何なる社会状態においても、文士たる存在理由はないのである」(小林秀雄、「アシルと亀の子ⅴ」)。

2017-09-04 13:49:05
佐藤正美 @satou_masami

「少なくとも近代文学が発生して以来、社会における己れの作家たる必然性を、冷然たる自己批判をもって確信しなかった大作家は、一人もいない」(小林秀雄、「アシルと亀の子ⅴ」)。

2017-09-04 13:51:16
佐藤正美 @satou_masami

「近頃、知識階級の没落という事が喧(やか)ましいが、知識階級が没落なんぞされては堪らない。没落するのは なまけもの階級だけである」(小林秀雄、「アシルと亀の子ⅴ」)。

2017-09-04 13:54:15
佐藤正美 @satou_masami

「知識階級の没落だとか、スポオツの階級性だとかと堂々と論文が書けるようでは、学者も中々暢気(のんき)な商売止められなかろう。私は現代日本の なまけもの階級の存在は確信しているが、知識階級の存在はあんまり確信していない」(小林秀雄、「アシルと亀の子ⅴ」)。

2017-09-04 13:57:55
佐藤正美 @satou_masami

有島武郎氏は、「或る女」を発表したあとで、作家として彼の最大の性質(特性)を刻む作品を執筆できなくなったようです。言い換えれば、社会のなかで作家であった彼は、この時点で、作家としての座標を喪った。

2017-09-06 17:15:28
佐藤正美 @satou_masami

有島武郎氏が社会において座標を喪ったときに、波多野秋子さんとの恋愛が生じた。波多野さんのほうが、かねてから「心中」を願っていたようです。社会のなかで座標を喪ったときに「死を覚悟した愛」が純粋であることは、有島氏が自殺に向かう列車のなで記していたとおりでしょうね。

2017-09-06 17:18:44
佐藤正美 @satou_masami

有島武郎氏の作品(「カインの末裔」「或る女」)は、自分の感情に対して正直に [ 野性的に ] 振る舞った [ 逆に、社会のなかで、自分の座標(生きる目標)を見いだせなかった ] 人間が最後には破綻するというテーマを扱った「悲劇」です。そして、私は、こういうテーマに惹かれる、、、。

2017-09-06 17:22:51
佐藤正美 @satou_masami

「彼(チェホフ)の描いた知識人は、知識と心中した知識人だ。彼らは知識の貧弱に斃(たお)れてはいない。知識の過剰に斃れているのだ。チェホフの歌の重点は、処世における知識の無力ではなかった。知識そのものの悲劇が彼の歌となったのだ」(小林秀雄、「アシルと亀の子ⅴ」)。

2017-09-06 17:31:41
佐藤正美 @satou_masami

「なるほど、こんな事を言い出しては、身も蓋もなくなってしまうだろう。だが、理屈とは元来たどって行けば身も蓋もなくなるものだ。そして私の言いたい事は、チェホフは、正にこの身も蓋もない処から、その作家たる生涯を始めた人物ではなかったか、という事だ」(小林秀雄、「アシルと亀の子ⅴ」)。

2017-09-06 17:37:28
佐藤正美 @satou_masami

「問題は、ただ、虚無からの創造を確信するためには大作家たる熱烈な資質を必要とするという点のみではないのか」(小林秀雄、「アシルと亀の子ⅴ」)。――文学青年には、この「熱烈な資質」(あるいは、覚悟)が明らかにない、、、。

2017-09-06 17:40:16
佐藤正美 @satou_masami

「彼の心底は絶望的な忿懣(ふんまん)に燃えていたに相違ない。処世と制作とは自(おのずか)ら別個であるという苦しい意識に生きていた。微苦笑とは彼の一処世術に過ぎぬ、それも俗眼には容易に看破出来ない処世術であったろう」(小林秀雄、「アシルと亀の子ⅴ」)。

2017-09-06 17:44:50
佐藤正美 @satou_masami

「作品」には、隅々に至るまで、「作家の面貌」が刻まれている例として、八木重吉を読んでみればいい――彼は、大詩人ではないでしょうが、質実な詩人でしょうね。八木重吉が歌った対象は ささやかな物ばかりですが、その詩の一文一文には、静かだけれど確乎たる「作家の面貌」が刻まれています。

2017-09-08 19:10:32