怖がられる評論家・怖がられない評論家

推理小説評論家の巽昌章さんによる、評論家のスタイル/あり方に関する呟きをまとめました。
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巽昌章 @kumonoaruji

こわがられる評論家というのがいるらしい。小林秀雄や吉本隆明はそうだろう。推理小説界隈では佐野洋とか笠井潔とかか。こわがられるといっても、さらにタイプが分かれるようにも思える。笠井さんより下の世代ではこわがられる人はすっかりいなくなった。

2013-03-12 19:57:53
巽昌章 @kumonoaruji

畏怖される評論家出でよ!などと頑固オヤジ待望論みたいなバカげたことを考えているわけではない。「こわがられる」というのは、ひとつの評論家のタイプであり、より正確にいえば評論家が他人と取り結ぶ関係のタイプである。それをヒントに、評論家のあり方を考えられないかなということだ。

2013-03-12 20:01:49
巽昌章 @kumonoaruji

千野さんが、小林秀雄の批評的身振りをマウンティングと評していたけれど、それと似たような発想だ。

2013-03-12 20:03:00
巽昌章 @kumonoaruji

逆に、怖がられない評論家というのは何だろう?と考えるとこれもいろいろ面白い。

2013-03-12 20:04:15
巽昌章 @kumonoaruji

私は「無常といふこと」以降の小林にあまり興味がないので、骨董品を前に「分からんやつには分からん」的なことをうそぶく「こわさ」もぴんとこない。しかし、「アシルと亀の子」や「私小説論」や「マルクスの悟達」みたいなもの言いで嫌味をいわれたら凹むと思う。こわさもいろいろだ。

2013-03-12 20:16:45
巽昌章 @kumonoaruji

笠井さんはサシで議論するとこわいっすよ、ほんとに。

2013-03-12 20:23:05
巽昌章 @kumonoaruji

「怖がられる評論家」というと、虚勢や権力志向を思い浮かべる人がいるかもしれないが、それは通俗なストーリーにすぎない。私が考えているのは、たとえば、「怖い」と感じる物言いとはどんなもので、その言葉が機能する場とは何かといったことを積み重ねてゆきたいということだ。

2013-03-12 20:34:08
巽昌章 @kumonoaruji

誰か私を怖がってください。

2013-03-12 20:41:02
巽昌章 @kumonoaruji

じゃなくて、私たち評論家を自称する人間が怖がられなくなっているのは、何かしら言説空間の変容を示唆するのではないか?

2013-03-12 20:45:57
巽昌章 @kumonoaruji

「笠井さんはサシで議論するとこわいっすよ、ほんとに」と書いたが、これだと私がサシで議論してたみたいである。議論というほどのものはしてません、実は。

2013-03-13 19:02:07
巽昌章 @kumonoaruji

そうそう、個人的に「怖い評論家」のイメージをもっていたのは小鷹信光氏だった。推理作家協会賞のスピーチでも触れたのだが、初めて読んだ小鷹氏の文章が「パパイラスの舟」第2回で、こちらは中学生だったから真価はわかりようもないが、「この人はなんでこんなに不機嫌なのだろう」と思ったものだ。

2013-03-13 19:29:30
巽昌章 @kumonoaruji

『私のハードボイルド』にも、当時小鷹氏が不機嫌にならざるを得なかった状況が少し触れられていたと思う。その後、氏のハードボイルドに対する厳しい探究に畏敬の念を抱くことになったが、やっぱり私にとっては「不機嫌な人」のままである。

2013-03-13 19:33:10
巽昌章 @kumonoaruji

不機嫌というのも、やはり、評論家と外界とが関係を取り結ぶひとつのあり方なのだ。もともと、評論などを書きたいと思う根底には、小説、その小説に対する他人の評価、あるいはそうした事象を含む世間一般への違和感があるはずなので、この違和感の現れ方のひとつが「不機嫌」なのだろう。

2013-03-13 19:36:19
巽昌章 @kumonoaruji

昨日の話の逆だが、怖くなく不機嫌でない評論家ってだれだろう?純文学、思想方面には暗いので間違ってるかもしれないが、山口昌男、篠田一士、丸谷才一あたりだろうか。ミステリでは植草甚一、瀬戸川猛資あたりか。これも、外界との関係の持ち方や批評のスタイルの問題として考えることができる。

2013-03-14 19:05:50
巽昌章 @kumonoaruji

自分と世界の違和感を基盤とするのでなく、多様なものに対する健啖家としての姿勢を宗とするということだ。多彩なことを面白がりながら語るので、読者は楽しみやすい。瀬戸川氏に対するミステリ界隈の人気はそういうことだろう。

2013-03-14 19:08:57
巽昌章 @kumonoaruji

私も『夜明けの睡魔』には刺激を受けたけれども、実のところ、瀬戸川氏とは目指すところが違うと思っている。たとえば、瀬戸川氏はデクスターの面白さを発見する。それをいかにも面白そうに語り、読者にも一緒に楽しもうと招きかける。しかし、そこまでなのだ。

2013-03-14 19:15:53
巽昌章 @kumonoaruji

デクスターの面白さには、我々の推理小説に対する見方を変更させるヒントがあって、瀬戸川氏の文章を読んでいても、そこにヒントのあることはよくわかる。しかし、ヒントを辿って推理小説とは何かという問いに直面する手前で、彼の思考は立ち止まる。彼にとっては面白がることの方が大事だからだ。

2013-03-14 19:21:32
巽昌章 @kumonoaruji

瀬戸川氏の立ち止まった地点から出発したい、というのが私の望みだ。いうまでもなく、これは、「読者がミステリ評論に何を求めるか」ということと裏腹である。瀬戸川氏の評論が好きな人にとって、たぶん、私の書くものは無用の理屈であろう。それはそれでよいと思っている。

2013-03-14 19:24:12
巽昌章 @kumonoaruji

むろん、瀬戸川氏と私では、読者の評価に大きな差が付いているのは承知の上だ。しかし、それでも、私が瀬戸川氏と違うものを目指していると書くことが傲慢だとはぜんぜん思わない。

2013-03-14 19:46:04
巽昌章 @kumonoaruji

結果が出ているか出ていないかはまさに読者の評価にゆだねるべきことだろうが。

2013-03-14 19:46:45
巽昌章 @kumonoaruji

要するに、推理小説なら推理小説に面白いものを見つけながら、それを読者と一緒に面白がる方にいくより、自分と世界との違和感の方に引きつける(私にとって「推理小説とは何か?」という問いはこの違和感とほとんど同義だ)方に行きたいのである。

2013-03-14 19:55:33