「戦後沖縄の生殖をめぐるポリティクス」から考える出生力について

読みながら感想を呟いていくスタイル。末尾に感想付けてフィニッシュです。 他に読んだ本はこちら→ https://togetter.com/li/1144604
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波島想太 @ele_cat_namy

沖縄の伝統的な慣習は父系継承主義に基づく。沖縄には門中という父系親族組織があり、次のような四つの禁忌がある。 ①タチイ、マジクイ(他系混合):父系でない者は継承、相続できない(婿養子の禁止)。 ②チャッチ、ウシクミ(嫡子押しこめ):長男を差し置き次男以降に継承できない。

2017-10-02 14:49:59
波島想太 @ele_cat_namy

③チョーデー、カサバイ(兄弟重合):兄弟の位牌(トートーメー)が並ぶことは禁止。 ④イナグ、ガンス(女元祖)女性が継承、相続するのは禁止。 例え実子でも女性に継承権はなく、長男優先に相続され、次男以降は分家する。これらを犯すと「祟り」があり、女性は嫁ぎ先で男児出産を期待される。

2017-10-02 14:53:20
波島想太 @ele_cat_namy

戦後の日本では家父長制は廃止され、家督、財産相続に男女の差はなかったし、戦前でも婿養子に継がせることはあった。だが沖縄では厳格な家父長制が戦後も明治民法をベースに残っていたのである。1950年代以降、戦没者遺族年金の支払いが始まると、位牌に付随する財産が話をさらにややこしくした。

2017-10-02 14:57:42
波島想太 @ele_cat_namy

(この辺データがかなり多くて逐一引用してるときりがないのでざっくりと、興味深いところだけ拾うことにする)

2017-10-02 15:04:32
波島想太 @ele_cat_namy

1960年に行われた琉球政府国勢調査報告に「学歴別平均出生児数」というものがある。不就学と小卒は平均4.5人、中卒で3.5人、高卒で2.7人、短大卒は2.1人、大卒は1.4人と明らかに高学歴であるほど子供が少ない。ただこの時点では中卒までが9割以上を占めていた。

2017-10-02 15:08:49
波島想太 @ele_cat_namy

その後進学率は上昇していく。沖縄では男子より女子の進学率の方がずっと高かった。 就業者で見れば一次産業が子沢山で、二次、三次と減少していく。高学歴化、三次産業化が出生数の減少に影響していたのはほぼ間違いない。

2017-10-02 15:14:27
波島想太 @ele_cat_namy

戦後も家父長制が残り、「男子が生まれるまで生み続ける」という習慣が続く一方で、女性の社会進出(つまり貧困により就業が余儀なくされる)により出産が抑制されるという矛盾した環境の中、沖縄は出生率の低下が内地よりも比較的穏やかに進んだのである。

2017-10-02 15:18:10
波島想太 @ele_cat_namy

1950年代半ば、琉球政府は壊滅した経済を前に、人口急増とヤミ中絶の氾濫対策として、本土にならい優生保護法の立法を試みたが、米国民政府によって廃止させられた。さて、沖縄における「人口問題」とは何であったか。

2017-10-02 15:25:49
波島想太 @ele_cat_namy

先述の通り戦後の沖縄は、旺盛な出生力と海外からの帰還者で人口が急増した。戦前なら海外への移民により狭小な土地の「適正人口」を維持できたが、戦後移民は減少し、人口は増える、海外からの送金は減るという悪循環に陥った。

2017-10-02 15:33:18
波島想太 @ele_cat_namy

内地では優生保護法による中絶の実質自由化で出生率が急速に低下していたが、沖縄ではそれができない。琉球政府は人口問題審議会を置き、マスコミもしきりに人口問題に言及した。

2017-10-02 15:38:26
波島想太 @ele_cat_namy

一方優生保護法を阻止した米国民政府も沖縄の人口問題を認識はしていたが、その意味合いは異なる。基地用地の確保のために沖縄各地で強制的な接収を行ったため、農地を奪われた貧しい人々が「過剰労働力」となり、反米分子となって共産主義化することを警戒していた。

2017-10-02 15:42:43
波島想太 @ele_cat_namy

琉球政府が「過剰な出生(将来の人口)」を問題視したのに対して、米国民政府は「過剰な労働力(現在の人口)」を強く意識した。米本国での中絶反対運動を意識していたのだろう、琉球政府に対してボリビアへの移民を提案する。もちろんこれは対症療法に過ぎないのだが、深入りを避けたようである。

2017-10-02 15:49:35
波島想太 @ele_cat_namy

ボリビアへ渡った日本人たち | 日本ボリビア協会 nipponbolivia.org/datos/datos_5 ボリビア移民についてはこちらを参照。移民の数に対して割り当てられる土地は狭く、疫病の蔓延など相当苦労したようではある。

2017-10-02 15:52:00
波島想太 @ele_cat_namy

米軍占領下で中絶が非合法とされたままの戦後沖縄において、ヤミ中絶が氾濫していた。貧困のために出産しても育てられない、米兵相手の売春、あるいは強姦による妊娠のための中絶需要は大きく、割の良い「アルバイト」として産科医を目指す医学生も増えたくらいである。

2017-10-03 16:23:31
波島想太 @ele_cat_namy

コンドームなどの避妊すらタブー視され公然と話題にできないために、避妊方法をそもそも知らず、妊娠と中絶を繰り返した挙げ句に不妊手術(卵管結紮)を受ける女性も多かった。本土で不妊手術を受ける比率が3.6%に対し、沖縄では14%もあった。

2017-10-03 16:28:21
波島想太 @ele_cat_namy

1960年、中絶した胎児を引き取って焼却処分していた業者が密葬罪で、関係する産婦人科医四人が堕児罪で捜査対象となった。その後に送検されたという記事は見当たらないが、ヤミ中絶が蔓延していることを改めて周知させる事件であった。これをひとつの契機に、中絶でなく避妊を望む声が高まる。

2017-10-04 10:15:11
波島想太 @ele_cat_namy

森山シズは1963年に東京で受胎調節実地指導員の資格を取得した。琉球助産婦協会も中絶や不妊手術を女性の健康を害するものとして避妊の重要性を訴えた。報道各社も巻き込み普及を進めようとするが、医師会の反応は鈍かった。ヤミ中絶による収入が減るからである。

2017-10-04 10:24:30
波島想太 @ele_cat_namy

婦人科の医師は、受胎調節(つまりは避妊)指導をする助産婦に対して、「君たちそんな呼びかけしとるから、後は本当に大変になる(仕事がなくなる)よ」と脅す医師もいたという。そんな妨害とも戦いつつ、家族計画の普及運動は進められた。

2017-10-04 10:28:20
波島想太 @ele_cat_namy

複雑な利害関係が交差するなか、本土から遅れること15年、1965年にようやく家族計画の普及体制を確立する。しかしその頃本土では、家族計画が成功してしまったがために出生率が急速に低下しており、家族計画運動に対する周囲の視線は冷たくなってきていた。

2017-10-04 10:43:07
波島想太 @ele_cat_namy

米軍からは放置され、琉球政府も表立っては動けない中、民間主導で進められてきた沖縄の家族計画であるが、ヤミ中絶が産科医の副収入であったように、受胎調整指導も助産婦たちの新しい職業領域であった。医療化する出産により助産婦の介助は減少していたのである。

2017-10-04 10:47:01
波島想太 @ele_cat_namy

さて具体的にはどのように受胎調節指導を、つまりは「性教育」を行っていたか。中核にいたのは受胎調節指導員となった助産婦である。各保健所単位で、産みたい人と産みたくない人に分けて、妊娠しやすい期間(排卵日)などを講習で指導していく。時には個人指導まであり、指導員たちは多忙を極めた。

2017-10-04 10:54:03
波島想太 @ele_cat_namy

排卵の機構を知らないので、これを知るだけでもだいぶマシになったようである。それでも男性や姑舅の関心は低く、コンドームを装着したらセックスの意味がないと「おとしよりや男性の方から大変なお叱りを受けました」という。そのため指導は集団から個人にシフトしていく。

2017-10-04 10:59:27
波島想太 @ele_cat_namy

助産院で妊婦を見舞いに来る同世代の男女に声をかけて指導することもあった。身近な話題であればあるほど関心もあるだろうということである。こうした地道な活動の結果、女性に連れられて夫や両親世代が指導を受けに来る機会も増えていった。中絶が女性に与える悪影響が、ようやく周知されていく。

2017-10-04 11:03:40
波島想太 @ele_cat_namy

続いて少し遡って終戦直後の女性の就学状況についてのデータがある。聞き取りもあり、全般的には「女に高等教育は不要」という雰囲気が支配的だが、その中で教育を志す娘や、それを促す親(特に母親)の姿もある。自身が無学で苦労したがゆえに娘には教育を受けさせたいという母もいる。

2017-10-04 11:13:20
波島想太 @ele_cat_namy

兄の大学進学と時期が重なり、金銭的に高校には進学させられないと言われた少女がいたが、それを聞いた中学校の教師たちが入れ替わり立ち替わり保護者を説得したという話もある。少女が学校一成績優秀だったということもあろうが、意識変革の途上であることがうかがえる。

2017-10-04 11:16:26