2017年9月22日

「戦後沖縄の生殖をめぐるポリティクス」から考える出生力について

読みながら感想を呟いていくスタイル。末尾に感想付けてフィニッシュです。 他に読んだ本はこちら→ https://togetter.com/li/1144604
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⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

【本棚登録】『戦後沖縄の生殖をめぐるポリティクス: 米軍統治下の出生力転換と女たちの交渉』澤田 佳世 booklog.jp/item/1/4272350… #booklog

2017-09-22 13:47:03
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

父系主義から男児が生まれるまで産み続ける風潮と「戦後、米軍統治下におかれた沖縄では、優生保護法が施行されず、…刑法堕児罪と…国民優生法が有効な中、「日本復帰」まで「健全者」の中絶や不妊手術は非合法であり、避妊も積極的に推進されなかった」ことが沖縄の出生率の高さの背景にあるという。

2017-09-22 13:51:45
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

戦争で多くの命が失われたことによる「命どぅ宝」の精神が中絶への抵抗感に繋がった可能性もある。また第三子、四子が全国に比べて多いことから「産む人は多く産む」傾向、10代と35歳以上の出産が多く「早く産み、遅くまで産む」傾向がある。

2017-09-22 14:01:46
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

また核家族化が他県ほど進行しておらず、親類のサポートが受けやすいということもある。 復帰前の沖縄に関する出生動向に関する調査は少なく、あまり多く語られてこなかった。本書は沖縄の元々の特殊性に加え大規模な地上戦を経て米軍植民地政策という本土と全く異なる歴史から考察するものである。

2017-09-22 14:07:11
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

(面白そうなんだがいつものように読んでいくにはちょっと重そうだなァ……)

2017-09-22 14:07:59
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

沖縄は離婚率が高い。これは悪い意味でとらえられがちであるが、ある意味では女性の自己決定権の強さの現れでもある。先述の親族などの相互扶助体制があるために、結婚にしがみつく必要がないのである。また家父長制の強い沖縄では、跡取りが生まれれば結婚の持続にこだわらないのである。

2017-09-22 14:48:40
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

もちろん近年では他県との文化的混合が進み、いまの若者たちにはそのような意識はあまりないかもしれないが、昭和まではそうした傾向が意識的にせよ無意識的にせよ残っていたと思われるし、薄まっているにせよ現在への影響も皆無ではないだろう。

2017-09-22 14:52:46
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

薄妙子(1997)によれば、沖縄の離婚率の高さは女性の自立や解放を示すものではなく、むしろ地位の低さの現れで、シングルマザーの増加と養育費不払いによる貧困化の深刻さと指摘する。再婚率の高さも結局一人では生きづらいがための選択とも言える。

2017-09-22 15:36:53
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

出生力決定要因は経済的合理性に基づくとすれば、「子どもの需要」「子どもの供給」「出生抑制コスト」によって決まる。需要は親が望む子どもの数で、家族の所得や子どもの養育コストで決まる。供給は夫婦の自然出生力と子どもの生存確率。抑制コストは避妊や中絶の費用や心理的抵抗感である。

2017-09-22 15:47:38
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

人口学者コードウェルによれば、「子どもの需要」は、富の流れが子→親から親→子に逆転するときに、出生力低下が始まると結論付けた。つまり子どもが労働力として、あるいは身売りのタネとして親へ富をもたらす時には需要が増し、教育など育児のコストが増加していくと需要は減ずる。

2017-09-22 16:16:31
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

特に近代化、人権意識の向上により身売りはできなくなったし、独立後の子どもが親を必ずしも支える必要はなくなった。後者は年金など福祉政策の充実による部分もあるだろう。国が老後の面倒を見てくれるなら、子どもに期待する必要はない。

2017-09-22 16:19:50
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

(最近検討されているという、子どもに親の老後を見させようという制度作りは、長期的には多産に繋がるかもしれない。だがそんな長期的時点で考えられる余裕は、特に今の若者世代にはないだろう。個人の権利を尊重する風潮とも逆行する)

2017-09-22 16:24:14
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

(十分に福祉(特に高齢者向け福祉)が充実すればするほど、子どもの需要は実需に基づくプル型でなく、見込みを期待するプッシュ型になる。「子どもはかわいい」「育児のやりがい」あるいは「国家の発展」とかそういう話である。他に人生の楽しみがいくつもあるなかで、そうした需要はどうしても弱い)

2017-09-22 16:37:55
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

(現状では、自分ではコストのかかる子どもを持たず、他の人が産み育ててくれた子ども達が納める税金から福祉を受けるのが、コスト的には最も「合理的」である。子どもを産み育てることが「合理的(せめて許容範囲の赤字)」にならなければ、出生率の改善は望めないのである)

2017-09-22 16:49:36
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

ここまで一般的な出生力要因をかなり端折って整理してきたが、次から沖縄独特の要因について考えていく。

2017-09-22 16:53:55
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

(性的な話題を聞き取りしようとしても、なかなか正確な声は集めにくい、という赤松先生や宮本先生が体感してきたことをものすごく真面目に分析している人口学者さんすごいな。昔も大変だったろうけど今はもっと難しそうだ)

2017-09-25 11:16:44
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

本書は戦後沖縄における生殖状況に関する学術者に近いもの(そのもの?)で、調査の条件が非常に詳しく整理されていて、重要ではあるが複雑なのでここでは割愛。ある程度結論付けられた部分を追っていく。

2017-09-25 11:19:02
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

沖縄の人口は1880年の31万人から1944年に59万人へ増加している。65年で30万人増。沖縄戦で33万人まで減少した後、1950年に70万人へと激増した。この5年の年平均人口増加率は15.2%で、特に終戦直後の一年は56%と爆発的であるが、これは主に復員兵や引き揚げ者である。

2017-09-25 11:27:47
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

帰還はその後も続き、1950年までの五年間で約15万人が沖縄に帰還したとされる。これらの帰還者を除いても1946年から56年までのわずか10年で30万人増加した。 人口変動は転出入と出生、死亡によって決まる。戦前は出生数とともに移民が多く、県の人口は60万人近くで安定していた。

2017-09-25 11:36:29
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

1899年にハワイへ官約移民として27人が送り出されたのを皮切りに、1938年までに総計72,772人がハワイ、カナダ、南米などに移住し、その数は県民の12%にも達した。第一次大戦による好景気を受けて日本本土への出稼ぎも増えた。1935年には32,335人が内地に移住している。

2017-09-25 11:40:33
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

海外移民と合わせれば総人口の約16%が沖縄を離れていた。 しかし戦後、海外移民は減少する。1948年にアルゼンチンへの移民が再開されたが、48~62年の15年間で14,822人であり、数は大きく減った。れでも終戦から移動が困難だった52年までを除けば、一貫して転出超過である。

2017-09-25 11:45:57
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

海外の代わりに増えたのは本土行きである。1960年代の高度経済成長期、集団就職など労働力として多くの県民が転出した。 終戦直後の沖縄で人口が急増したのは、帰還者に加え、もともと出生数が高かったのに海外、県外転出が困難で県内に留まる者が激増したからであろうか。

2017-09-25 11:50:57
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

沖縄の死亡率は戦後から急速に低下して、55年には5.5‰となり、その後も90年頃まで5‰近くで推移している。日本全体では55年に7.8‰でその後も7‰近くで推移している。 これは平均年齢が若かったこと(沖縄戦で多くの高齢者が死亡したため?)、米軍指揮下の衛生改善が挙げられる。

2017-09-25 11:59:58
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

コードウェルは死亡率低下の条件は産業革命でなく「強さと知識、効率性を持ち合わせた植民地政府」であると述べ、宗主国による飢餓管理、感染症予防などにより、英国植民地下のインドや日本植民地下の台湾と韓国でも死亡率が急速に低下したとしている。

2017-09-25 12:03:02
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy

これは終戦直後の沖縄の男女別年齢階級別人口である。20代から40代の男性が極端に少なく、生産年齢人口の約八割が女性であった。男女同権を基礎にした法整備の遅れと、家父長制的な慣習は、男性の欠如した戦後沖縄の女性に「長男を生む」という役割をより強く求めたのである。 pic.twitter.com/1xGfn5YHfU

2017-10-02 14:44:48
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コメント

夜更至ヒルネスキー @hiruneskey 2017年9月22日
《47.7万人から沖縄県生活福祉部の戦没者数122,284人を当てはめると率にして26%となり、全県民60万に対する生存者は477,716人となる。だが、昭和25年の国勢調査では沖縄県民の人口が70万人と一気に増加している》 沖縄戦における統計(兵員、戦没者、生存者)https://blogs.yahoo.co.jp/kusinakayone/47646085.html 人口が減り過ぎたから出生率を増やす事に抵抗が無くなった……というには増え過ぎてる気がした。分からない。
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ひろっぺ@ゆっくりマスク&手洗い&うがい @hiroppe3rd 2017年9月22日
アメリカに接収されたときに「アメリカの暮らしができる」って移住したやつも少なからずいただろうし、他にもいろんな理由で移住したやつがいただろう。
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波島想太∈PPMP∋ @ele_cat_namy 2017年9月22日
hiruneskey まだまだ先は長いですので、今後の追記にご期待ください。
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波島想太∈PPMP∋ @ele_cat_namy 2017年9月22日
hiroppe3rd 本書では移民と生殖による増減は区別して考察されているようです。これから追記していきますので一つ宜しくお願いします。
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ひろっぺ@ゆっくりマスク&手洗い&うがい @hiroppe3rd 2017年9月22日
あ、あと、戦前の沖縄の人口推移はほぼ横ばい、これから推測されるのは出稼ぎで内地へいった。戦争が終わった後に、海外に移住していた日本人や日本兵がいっぺんに却ってきて失業者続出した影響で、出稼ぎに行っていた沖縄県民が帰ってきた。というのも考えられる。
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波島想太∈PPMP∋ @ele_cat_namy 2017年10月18日
まとめを更新しました。末尾に感想付けてフィニッシュです。
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波島想太∈PPMP∋ @ele_cat_namy 2017年10月18日
hiroppe3rd 遅レスですみません。戦前も65年かけて30万人増加しています。出稼ぎで内地に行ったり海外に移民したりでこの数字ですから、出生数としてはもっと多かったのでしょう。戦後は移民も減り復員兵や帰還者でドカンと増え、さらに移民の減少、植民地化による内地への移動制限、そして内地と異なり中絶が合法化されなかったことでその後も人口が増え続けたようです。
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