骨喰籐四郎の写し比較

骨喰籐四郎の写し比較
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斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

とある方のRTから作ってみた骨喰藤四郎写し二作と本歌の比較画像と、康継系譜改修版。康継の骨喰模は二代作と言われており、重高は初代康継の門人です。同じ寛永を中心に活動した刀工が同時期に作ったものの比較はみていると大変面白いです。現在の骨喰、写真じゃなくて押形にそのうち差し替えます。 pic.twitter.com/MPVKmLOiW1

2017-07-24 21:08:19
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斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

本歌と康継の彫り物の違いも。本歌も写しも彫ったのは刀工ではなく別の方なのですが、どちらも個性が出ていますね。重高と康継の骨喰模の彫り物を彫った人は同じ人物で、初代康継の彫り物も一部手掛けています。 pic.twitter.com/kw4JEGaqsq

2017-07-24 21:11:53
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斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

@gatagoto_ @kirik_nya あと、重要刀剣図譜の重高の部分をおまけでつけておきます。川口氏の文献では重高初代以降の越前での系譜はありましたが、特に骨喰模の図画や言及はありませんでした。 今の現行終わったら現存の骨喰の押形探して、差し替えます。質問やほかに必要な資料があればお知らせくださいね。 pic.twitter.com/VwcdSvvBkW

2017-07-24 20:58:34
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斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

@kirik_nya @gatagoto_ まずは返信が遅れてしまい申し訳ありません。蔵書を色々と当たりましたが重高についてはもう少し調べたく思います。 kirik様のご質問?から、初代康継と二代目は自身でも彫りを行い、二代は彫りの上手とは言われています。ただ、骨喰模の彫りには喜内という金工の手によるものと言われています。

2017-07-26 23:46:38
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

@kirik_nya @gatagoto_ また、重高の彫物はほぼ喜内によるとする刀工辞典が多く、骨喰模二振には康継親子、重高、喜内の四人が関わっていたといえます。 本歌は細直刃、康継作は細直刃刃中の働きが豊か、重高作は中直刃に近くなっていますが、帽子等理想通りとはいかずとも関鍛冶作写しとしては非常に良い出来なのでしょう。

2017-07-26 23:52:41
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

@kirik_nya @gatagoto_ ちなみに一期等大阪焼失刀の焼き直しは1615年6月15日に命じられ、ここから数か月で再刃、二年の間に模作が作成されたとされています。一期・鯰尾が初代、骨喰が二代と区別する文言が2015年に出した私の刀剣本に記載されているのですが、元の文献の引用元の付箋がなく、元文献を確認中です。

2017-07-27 00:01:14
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

@kirik_nya @gatagoto_ 初代は60歳近く、二代はこの頃30歳、銘こそ当時の当主初代康継のものが全てに切られていますが共作と言って差し支えないと思われます。安宅貞宗は二代の銘ですので、区別の根拠となる文献をもう一度洗います。重要刀剣図譜には銘から判断した初代の記載もあるのではっきりさせます。

2017-07-27 00:11:53
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

@gatagoto_ @kirik_nya がた様へ。そういって頂けて大変幸いです。刀工辞典などでは作刀が確実な年代を記載しますが実際はそこを含んでもっと長い間作刀している人が殆どですので。自分の知らない作刀技術で作られた刀を自分の技術で写すことは偉業です。焼ける前の骨喰を焼き付けて作った一本、重高も誇らしい一作でしょう

2017-07-27 00:18:14
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

@kirik_nya @gatagoto_ 康継に関しては、詳細な研究を寒山先生がされていて「康継大鑑」という本になっています。作刀の変化から分析されたのだと思います。私のうっかりに対する調査は、おそらく月内の原稿を終わらせてからになると思いますので、ちょっと気長にお待ちくださいますとうれしいです(大阪城も掘りたいw)

2017-07-27 14:53:26