創作荘東京オフ会小説『絡めた指、唐草模様』その29、その30
#創作荘 東京オフ会小説 絡めた指、唐草模様 29 障子で仕切られた畳敷きの部屋に、木でできた細い灯台があり、それに乗せられた灯明皿が明かりをもたらしていた。渓流を描いた掛軸が飾られた床の間を背に、小袖姿の女性が座っている。良く見ると眉を落としていた。
2017-09-30 19:37:19私から見ても小柄で、それでいて静かな威厳があった。三十代くらいかな。その真向かいには良く知っている女性が座っていた。後ろ姿からでもすぐ分かる。 「雅さん!」 「あれっ、藍斗さん!」 「この者、いつの間に……」 「私の朋輩にございます」 すかさす雅さんがとりなした。
2017-09-30 19:44:44「忍びのような……。話を戻しましょう。本当に、仁王行平を渡せばいくさにはならぬし所領も安堵されるのですか?」 仁王行平なるものが何なのか、私は知らない。あとで詳しく聞こう。 「はい」 「少し考えたいです。あなた達もお疲れでしょう。部屋を用意しましたゆえ、今夜はお休みなさいませ」
2017-09-30 19:45:34「ありがとうございます」 雅さんが頭を下げたので、私も慌てて応じた。二人で部屋を出ると庭に面した縁側になっていて、石灯籠から送られる光が植え込みや池を照らしていた。 「綺麗……」 「失礼致します。お客人を寝所までご案内致します」 しずしずと一人の女性が現れてお辞儀した。
2017-09-30 19:46:22手には燃えている蝋燭を立てた短い台を持っている。 私と同世代くらいだろうか。さっきの女性よりずっと地味な格好をしている。 「はい、お願いします」 雅さんがお礼を述べると、彼女は私達を導いた。大して歩かない内に寝所なる部屋についた。案内役は膝を折って座り、障子を開けた。
2017-09-30 19:47:12昔の旅館のような部屋があり、布団が二組敷かれている。枕元には朱塗りの盆と黒く四角い急須と小さな盃もあった。灯明皿は床に置かれていて火が灯っている。 「それでは、翌朝までごゆるりと。何かございましたら、私をお呼び下さいませ」 「ありがとうございます。お名前は……」 「桜と申します」
2017-09-30 19:48:07桜さんは正座したままお辞儀してゆっくりと障子を閉めた。私達は布団の脇に膝を投げ出して座り、互いに顔を眺め合って満面の笑みを浮かべた。そしてたちまち真顔になった。 「雅さん、どうやってここに……」 「分からない。気づいたら、この屋敷のすぐ前にいた」 遂に私以外にも犠牲者が。
2017-09-30 19:50:01「で、通りがかった行商人にこの屋敷にいる白梅局って人に仁王行平を渡せば所領安堵で和睦すると伝えろって言われた」 「白梅局って、さっきまで雅さんと一対一だった人ですか?」 「うん。具体的にどんな背景のある人かまではとても聞けなかった。行商人に言われた通り、ありのままに伝えはしたよ」
2017-09-30 19:50:47下手な質問は文字通りの自殺行為だから、雅さんの判断は的確という他ない。 「今、何時代なんでしょう」 実のところ、質問攻めはするのもされるのも大好きな方ではない。それを押して情報を共有するのは当然としても。だからといって遠慮してもいられなかった。
2017-09-30 19:51:37「なんか、戦国時代らしいよ。豊臣秀吉が攻めてくるって。ここは北条氏の味方の屋敷だよ」 「北条氏って、関東にいた北条氏ですか?」 小学校の頃の記憶を必死に掘り返して、私は確かめた。 「うん。横浜に近いね」 「仁王行平って、なんのことか分かります?」 「知らない」 続く
2017-09-30 19:52:55#創作荘 東京オフ会小説 絡めた指、唐草模様 30 凸凹があるにしても、危険が迫らない範疇で様々な内容を聞き上げた雅さんの情報収集術は素晴らしい。問題は、北条氏は秀吉に滅ぼされる点だ。 「さっさと逃げ出したいのは山々だけど、さっきの桜って人、油断できないよ」 「え……?」
2017-10-01 20:02:44「足音をたてにくい歩き方をしていたのと、着物が少しだけ余計に膨らんでいた。それこそ忍者かも知れない」 「函館オフ会よりずっと厳しいですね」 あの時は、ますなんとかっていう人……アマチュアの無名作家らしいけど……の遺体から始まり、二日かけて歩き通して難破しかかっただけで解決した。
2017-10-01 20:03:59今回は、そうはいかない。仮にこの屋敷を出られたとして、どこをどう進めば良いのか。戦国時代ならその辺に浪人や山賊がごろごろしているだろう。女性二人でどうにかなるとは到底思えない。 「素直に寝ます?」 敢えて、私は安直な質問をした。
2017-10-01 20:04:59「そうだね。殺すつもりなら、とっくにそうしているだろうし」 「殺す……」 今までにも、危ない場面はそれなりにあった。寝る時まで用心が必要な状況は初めてだ。 「急須の中身、なんだろうね」 「まさか、毒!?」 「そんな周りくどいことしないって」 雅さんは、盃に急須の中身を注いだ。
2017-10-01 20:05:53一杯になった盃をしばらく眺めてから、鼻に近づけた。ほんの一口、舐めるように含んで、難しい顔をする。 「麦焦がしを入れたぬるま湯だね」 「麦焦がし?」 「煎った麦を挽いて作った粉だよ。お茶は私達の世界みたいに手軽に飲めないからね」 そう説明してから、一息に飲み干した。
2017-10-01 20:07:02「特におかしくならないね」 「じゃあ……あ、ごめんなさい」 「いいよいいよ、どっちみち飲まないと確かめられないんだし」 雅さんは明るく手を振って、もう一つの盃に急須から麦焦がし湯を入れた。飲むと、麦茶をかすかに甘くしたような味がした。時代劇のセットのような部屋で、雅さんと
2017-10-01 20:08:25寝泊まりする前にさしつさされつするなんて、明日をも知られぬ命でなければとても楽しいのに。 「他に話しておきたいことってある?」 「白梅局さんって、独身なんでしょうか」 「そうだね……この時代にあの歳なら、少なくとも一回は結婚していそうだとは思う。身分が高いならなおさら」
2017-10-01 20:09:23「じゃあ、もし結婚していたら、夫のことも知りたいですね。聞く機会があればですけど」 そこで、雅さんが、手で口を抑えて欠伸した。 「ごめんごめん。そろそろ寝よう」 「はい」 私達は、上着だけ脱いでお布団に入った。夜中にどんな問題が起こるか分からないし、寝巻きもないから、
2017-10-01 20:10:17起きてすぐ動けるようにしないといけない。服に皺が寄るのは気に入らないけど。雅さんが灯明皿の火を吹き消すと、そのまま私達は眠りについた。 「失礼致します。朝のお膳のご用意ができております」 障子の向こうからかかった桜さんの声で、私ははっと目を覚ました。
2017-10-01 20:11:42まだ夜が明けてからそれほど経っていないのが光の具合で知られた。雅さんももぞもぞしている。 「ありがとうございます。顔を洗いたいです」 「かしこまりました。ご案内致します」 「雅さん、顔を洗いましょう」 私が呼びかけると雅さんは布団の中でもう少しとかなんとかぐずっていた。 続く
2017-10-01 20:13:50