桓温の第三次北伐 -枋頭の戦い-

東晋の太和四年(369年)四月から九月までの間に敢行された大司馬桓温による北伐の全容を『資治通鑑』ではなく『晋書』ベースに再構成した考察です。 「枋頭の戦い」は魏晋南北朝時代屈指の好カードであり、その後の前秦による華北統一をアシストしてしまうことになる重大な戦役でもありました。
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小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

枋頭の戦いの時系列を『晋書 海西公紀』をベースに再構成してみようと思います。 ところどころ『資治通鑑』で補足してますけど、桓温が東武陽に展開したところはカットしてます。 胡三省には悪いんですけど、桓温が東武陽に行く理由が全く見当たらないから仕方がない。 #枋頭の戦い #桓温 pic.twitter.com/CQQWLUtkI9

2017-10-09 15:29:22
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小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

四月庚戊 大司馬桓温 衆を帥いて慕容暐を伐たんとす。 『晋書 海西公紀』 (桓温の)軍は湖陸に次し、慕容暐の将慕容忠を攻めると之を獲らえ,進めて金鄉に次した。 『晋書 桓温伝』 六月辛丑 (桓)温金郷に至る。 『資治通鑑 晋紀 太和四年』 #枋頭の戦い #桓温 pic.twitter.com/QcgLRnbVNP

2017-10-09 15:42:34
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小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

(続き) 晋大司馬桓温・江州刺史桓沖・豫州刺史袁真 衆五万を率いて暐を伐たんとす。前兗州刺史孫元これに応じて起兵す。温の部将檀玄湖陸を攻め、暐の甯東(将軍)慕容忠を執らう。 『晋書 載記慕容暐』 『通鑒』が桓温の金郷進出の後に湖陸の戦いを入れている理由が分からん。 #枋頭の戦い

2017-10-09 15:48:43
小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

毛穆之(虎生)がひたすら運河を開鑿させられます。 三百里って晋里が400mだとしても約120kmぐらいになる距離ですよ。 『水経注 巻八 濟水』にはこの時開鑿された洪水が別名として桓公瀆と呼ばれていた記事が載ってます。 #枋頭の戦い #桓温 pic.twitter.com/pUdjyUXq6x

2017-10-09 15:57:43
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小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

突如として寝返って来た前燕の前の兗州刺史孫元さんについて この人は陽平郡の出身でもとは後趙に仕えていた人物です。 後趙滅亡前後のドサクサに紛れて前燕に降伏した模様 本当に後趙の連中は信用なりませんね。 #枋頭の戦い

2017-10-09 16:08:10
小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

(慕容)暐は慕容厲を派遣して桓温と黄墟において戦わせましたが、厲の軍は大敗を喫し、単騎で落ち延びざるを得ませんでした。高平太守の徐翻が郡を以て桓温に帰順しました。 『晋書 載記 慕容暐』 『通鑒』によるなら慕容厲の軍は約二万 …典型的な戦力の逐次投入だにゃー。 #枋頭の戦い pic.twitter.com/Gs5Pxs1bYl

2017-10-09 16:17:29
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小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

この時期の豫州刺史袁真はひたすら譙郡と梁國の平定作戦に明け暮れています。 まあ、豫州を慕容評に陥落させられた責任の一端は袁真にもありましたからねえ。 なお、桓温からは糧道の通運を目標として明示されていたみたいなのですが、それは達成できなかったみたいです。#枋頭の戦い

2017-10-09 16:29:13
小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

秋七月辛卯 慕容暐の将慕容垂衆を帥いて桓温を拒せがんとするも 桓温撃して之を敗る。 『晋書 海西公紀』 『晋書 載記 慕容暐』には記述が無く『通鑒』ではこの時期慕容臧が桓温に敗れたことになっています。『十六国春秋 前燕録』の記述が滅茶苦茶気になる。 #枋頭の戦い pic.twitter.com/RrXNUxJyRI

2017-10-09 16:39:10
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小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

『通鑒』では桓温が慕容臧を撃破した後に東武陽(陽平郡)に入ったことになっていますが、黄墟の戦いのあった陳留郡から陽平郡まで直線距離で200kmぐらいあるのにわざわざ来た道戻って東武陽に入る必要性がイマイチ分からんのですよ。 #枋頭の戦い

2017-10-09 16:51:43
小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

胡三省が「秋七月、桓温が武陽に屯した。」という地の文に「此東武陽也 漢属東郡 魏・晉属陽平郡 唐改曰朝城縣 属魏州」とか注釈入れるから変な話になっているだけで、桓温が屯した地域が河南の陽武県なら結構自然な流れになるような気がする。 #枋頭の戦い

2017-10-09 16:58:35
小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

桓温が陽武県まで進出したことにすると、燕の豫州刺史の李邽から後方連絡線に攻撃受けたり、苑陵県の林郷近傍にあった林渚で傅顔らとの遭遇戦が生起したりしていることの説明がかなり容易になる。 『通鑒』の黄墟・林渚の戦い→東武陽へ移駐の流れは強引過ぎる。 #枋頭の戦い

2017-10-09 17:09:34
小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

第三次北伐における桓温のもともとの作戦構想は泗水水系~汴水水系を経由して滎陽郡あたりに進出し、そこから渡河して河朔に転戦するプランを描いていたような印象を受ける。 郗超は緒戦の感触から速戦論に転向して一挙に鄴を突くプランへの変更を具申した感じだろうか。 #枋頭の戦い

2017-10-09 17:19:20
小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

九月戊寅 桓温の裨将である鄧遐と朱序は慕容暐の将の傅末波(顔)と林渚において遭遇し、ふたたび之を大いに破った。 『晋書 海西公紀』 暐の将慕容垂・傅末波ら衆八万を率いて桓温を拒せがんとし、林渚にて戦う。温之を撃破し、遂に枋頭に至る。 『晋書 桓温伝』 #枋頭の戦い pic.twitter.com/TE3do5kK69

2017-10-09 17:33:54
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小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

(桓)温の前鋒硃序 又(慕容)暐の将傅顏を林渚に破る。温軍大いに振るいて、枋頭に次す。暐懼れて和龍に奔らんと謀る。 『晋書 載記 慕容暐』 慕容厲や傅顔クラスの将領を次々と撃破したことにより慕容部に敗北感を叩き込むことに成功している。 #枋頭の戦い

2017-10-09 17:55:46
小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

桓温伝の林渚の戦いにおける慕容垂は言い訳のしようがないくらいボロ負けしてます。和龍への撤退論の後だとしたら余りにも間抜けすぎるし、その前だとしても「私を桓温と戦わせてください、和龍に逃げるのは私が負けてからでも遅くはあないでしょう。」発言が質の悪い冗談にしか見えなくなってくる…。

2017-10-09 17:41:29
小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

『通鑒』ではここから慕容部の反撃が始まるんだけど『晋書』では全部カット 桓温を正面から撃破できてなくて、しかも兵数が出撃時の五万からいつの間にか減っているんじゃ、そりゃおかしいと誰しも思うわな。 #枋頭の戦い

2017-10-09 17:59:05
小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

九月戊子 (桓)温枋頭に至る。 丙申 糧運の不継を以て舟を焚し而して帰らんとす。 『晋書 海西公紀』 桓温も突出しすぎだが、袁真も梁國の石門開鑿に梃子摺りすぎだろう。 ここをさっさと制圧できていたら、慕容徳に乗ぜられることも回避できたろうに。 #枋頭の戦い #袁真 pic.twitter.com/vrvVw1MSGB

2017-10-09 18:12:59
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小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

ちなみに 慕容垂 南討大都督と為る。→今の暦で8月頃 林渚の戦い→今の暦で10月17日頃 桓温 枋頭到達→今の暦で10月27日頃 枋頭撤退開始→今の暦で11月4日頃 になる見積もり。 桓温は枋頭に至るまでの間ずっと補給線に攻撃受けながら戦っていた感じかな。 #枋頭の戦い

2017-10-09 18:20:09
小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

図では林渚の戦いと慕容徳の石門攻撃の時系列を分けているけど、おそらく慕容徳の南侵は林渚の戦いと並行的に行われていたと思う。 桓温としては這う這うの体で枋頭まで辿り着いたのに袁真は補給線確保できてないとか前秦が前燕の援軍として後方に現れるとか割と踏んだり蹴ったり。 #枋頭の戦い

2017-10-09 18:26:14
小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

九月辛丑 慕容垂 追敗温後軍于襄邑。 『晋書 海西公紀』 温 焚舟歩退、自東燕出倉垣、経陳留、鑿井而飲,行七百余里。 垂 以八千騎追之、戦於襄邑、温軍敗績死者三万人。 『晋書 桓温伝』 何が凄いかと言うとわずか六日間で280km以上を踏破している両軍の機動力 #枋頭の戦い pic.twitter.com/OXjTPepwRD

2017-10-09 18:41:25
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小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

ちなみに燕軍は基本的に騎兵編成だが、桓温軍はほぼ歩兵でこの機動力である。不要な輜重はパージしての行軍速度だとは思うけど、敵領内を兵糧不足&水も井戸頼みで欠乏という状況下で、よくもまあ二連戦やってのけたものだよなあ。 #枋頭の戦い

2017-10-09 18:58:02
小川・F・茂樹 @DasimafuOpDiary

「枋頭の戦い」として世間に知られているのはこの襄邑の追撃戦にほぼ限定されると言ってよいのだが、「桓温の第三次北伐」として全体像を捉えようとすると「前燕滅亡へのカウントダウン」にしか見えない桓温の大攻勢として浮かび上がってくるのが面白いところではある。 #枋頭の戦い twitter.com/DasimafuOpDiar…

2017-10-09 20:08:52