ソウルにあった私鉄・京城軌道の夢を検証する

京城軌道が1930年代に夢見た延伸構想を、検証してみました。場合によっては、ソウルにも日本の都市近郊私鉄のような路線が成立していたのかも…
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せき のりかず @kotonoha_s

広州、利川、そして驪州や龍仁にかかる鉄道路線の図。 グレーが現在のKORAILの鉄道線で、南仁川~水原~龍仁~利川~驪州の青系ラインが朝鮮京東鉄道で1930年開業(1972年廃止)、紫がかった細めの線が最近開業した京江線、そして赤実線が京城軌道、赤点線がその延伸構想。 pic.twitter.com/agVTI8sX0O

2017-10-12 15:03:19
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せき のりかず @kotonoha_s

青系ラインのうち、水原~龍仁~利川間の朝鮮京東鉄道が1930年に開業(翌年に驪州まで延伸)、水原で朝鮮鉄道と接続することで物流ルートを切り開き、1937年の水原~南仁川間の開通で、利川・驪州の農産物を仁川港へ運びだし、仁川で作られる塩を内陸へ運ぶという総合的な物流を築いたそうな。

2017-10-12 15:10:35
せき のりかず @kotonoha_s

朝鮮京東鉄道は広域物流、そして仁川港から日本本土へつながる「ながれ」を強く意識していたのは路線の形態を見れば明らかで、朝鮮の近代的経済が整うにつれ、それではカバーできない流動も太くなってきたのだろう。それに対応するのが京城軌道の利川延長構想、だったんだろうね。

2017-10-12 15:17:55

せき のりかず @kotonoha_s

京城軌道の延伸構想、名物料理のある昆池岩から改めてバスに乗り、利川の街を目指します。また緩やかな丘越えの峠道を進み、陶磁器の販売所がチラホラ現れたら、いよいよ利川の勢力圏。長閑な景色を見ながら、バスは進みます。 pic.twitter.com/N6sZKx8mtC

2017-10-11 23:27:44
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せき のりかず @kotonoha_s

利川を代表する産業の陶磁器、昆池岩と利川の街の間には陶芸村もでき、産業であり観光素材にもなっています。 そしてそこから、もうひとつ丘を越えれば、いよいよ利川の街です。この丘も、緩やかな勾配。鉄道敷設には全く問題なさそう。 pic.twitter.com/0lzFnSkA5k

2017-10-11 23:37:06
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せき のりかず @kotonoha_s

陶芸村を越え、丘を下れば、もうそこは利川の街。バスは賑やかな市街地を走り、バスターミナルに到着。ここは、利川市街地の南の玄関口にあたる場所。数多くの近郊・都市間バスが発着し、周辺道路は市内バスが集中する、一大ターミナルです。 pic.twitter.com/m2gvHrGwpj

2017-10-11 23:50:53
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せき のりかず @kotonoha_s

利川の街は、意外なほど「しっかりとした街」でした。 pic.twitter.com/NbOwlRuxN7

2017-10-11 23:58:26
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せき のりかず @kotonoha_s

利川ターミナル、ちょっと古臭いけど、それがまた味のあるターミナルビル。 「地方私鉄のターミナル」というキャプションを付ければ、そう見えるのではないでしょうかね… pic.twitter.com/2tTG5UDjAX

2017-10-12 00:05:51
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せき のりかず @kotonoha_s

利川の街には、水原から延びる水驪線というローカル線が、1970年代まで走っていました。この路線は元私鉄で、経営者は京城軌道と同じ岩崎眞雄氏。となれば京城軌道は、この路線の利川駅を目指したはず…。 その駅はバスターミナルではなく別の場所だったそうな。旧駅付近は今こんな感じ。 pic.twitter.com/gfRviaeB4h

2017-10-12 00:35:24
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ということで、ソウル市内から順に、延伸構想ルートを辿ってみました。
南漢山城経由の山越えルートは、たとえ一部区間をトンネルにするにしても勾配がきついうえに建設費も嵩むため非現実的、本当に作るのなら千戸から漢江支流の谷筋ルートを経て広州市街に至り、そして利川へ向かうルートとなりそうです。

あぁ、もし、この路線が、本当に開業していたら、どんな感じだったのでしょう…

せき のりかず @kotonoha_s

ソウルの京城軌道、もし延伸が実現していたら、どんな規格だったんだろう…。 昭和初期~10年代の電鉄構想なら、もう1,500V電化が当然かな。 でも東大門付近に併用軌道があるから600Vかな?しかし、これを機に専用軌道化して1,500Vの大型電車化、というのが自然な流れだよな… pic.twitter.com/TtouuDGfFw

2017-10-12 16:43:08
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せき のりかず @kotonoha_s

日本で同時期開業の私鉄を考えると、1920年代に阪和電鉄や新京阪鉄道がアメリカンサイズの本格的高速電車を採用していたり、明姫電鉄(今の山陽電車)も1,500Vの大型電車で開業してるし、朝鮮でも金剛山電鉄が阪和・新京阪ばりのゴツい電車で開業してるんよな…。

2017-10-12 16:53:35
せき のりかず @kotonoha_s

とはいえ、当時のソウル(京城)の都市規模、及び既存路線の規格を考えたら、さすがにアメリカンなフルサイズ、ほぼ今の電車そのままといった大型車の導入は考えにくいかな。それに漢江の架橋を単独で行うとなると資金にも限界があるだろうし、少し小型にして諸施設をコンパクトにしないと厳しいか…

2017-10-12 16:56:44
せき のりかず @kotonoha_s

京城軌道の近代化、延伸とか関係なく、考えてみるのも面白いかな…

2017-10-12 17:33:07
せき のりかず @kotonoha_s

京城軌道の規格は… ○併用軌道は東大門駅付近の500m程度と中浪川の城東橋のみ ○大幅な規格改良なく大型のロス市電が入れた となると、日本の軌道発祥の都市近郊私鉄クラスと同様の規格だったのかな。大昔の京王線的、な。 keio.co.jp/train/museum/h… pic.twitter.com/sy6yZbwkBW

2017-10-12 17:46:47
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せき のりかず @kotonoha_s

歴史に「if」は厳禁なんだけど、もし、朝鮮戦争がないor被災が軽微で、日本から引き継いだ資産をうまく回せる状況にあったら、京城軌道はどうなっていたのかな…。 それこそ日本と同じような経緯で順次大型化したのかな、京王線のように… (画像3枚目は京王線初の本格的大型電車の地方移籍後) pic.twitter.com/mcG7p6FGfU

2017-10-12 17:56:55
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もしかしたら、こんな電車が走っていたのかも…と妄想すると、もう止まらないのです。本当に、ちょうどいい事例として京王線があるだけに…