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ソウルにあった私鉄・京城軌道の夢を検証する

京城軌道が1930年代に夢見た延伸構想を、検証してみました。場合によっては、ソウルにも日本の都市近郊私鉄のような路線が成立していたのかも…
架空鉄道 京城軌道 ソウル 電車
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せき のりかず @kotonoha_s
京城軌道の延伸妄想、改めて、やってみようかな… pic.twitter.com/PPP3dqO8e0
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ソウルにあった私鉄・京城軌道が1930年代に企画した延伸構想を、追ってみようかと思います。開業線の検証・廃線跡めぐりは、別個のまとめを作っています。

ツイートまとめ 消えた都市交通の夢を追う -ソウル・京城軌道 日本統治時代から1968年まで、ソウルに都市近郊私鉄が走っていました。その痕跡と、当時の夢を、追ってみました。 3592 pv 29 1
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軌道特許で軽便鉄道的な路線として1930年に開業した京城軌道は、1932年に経営母体が変わってからソウル市街地への乗り入れや支線建設、1935年には本線を電化するなどなど積極的な運営で、1936年には市街地近辺の複線化構想も発表している。 pic.twitter.com/jjW18R8jgT
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そして1937年には、壮大な構想が相次いで発表される。 漢江を渡り、広州郡の山を越え、陶磁器と温泉の街である利川への延伸と、沿線の観光開発。朝鮮王朝時代には重要な山城・行政都市だった南漢山城に遊園地を設け、終点の利川を朝鮮の宝塚として開発する、という構想。 pic.twitter.com/chwrVH4WCE
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1920~30年代は、朝鮮半島の日本統治も軌道に乗り出した頃で、各地で私鉄ブームが起こっていた様子。当初は対日本での物資輸送を強く意識した拠点港への路線や、国内亜幹線となる路線が多かったのですが、30年代になると朝鮮半島内での「生活路線」的なものも、企画・開業するようになっていました。

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京城軌道の利川延伸構想、50kmを超える長距離だけど、途中には朝鮮時代の陶磁器生産で栄えた広州郡の諸集落があり、利川は陶磁器生産の新拠点として大いに賑わい、温泉も湧いており延伸先としては魅力的だけど、問題はソウル・トゥクソムと広州市街地の間の山岳地。南漢山城は、その頂上部にある。 pic.twitter.com/2CVYnAnP0k
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京城軌道の延伸構想、古刹の奉恩寺や山上都市である南漢山城を通り、陶磁器の産地群を経て温泉の湧く利川の街に至る、と書けば響きはいいけど、当時の奉恩寺周辺は川辺から切り立つ丘陵地で、漢江は大氾濫を起こしたばかり(1925年)。南漢山城は先述のように山岳地。線路を敷くのは、難しそう… pic.twitter.com/EBQT1BdpYK
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1925年7月の漢江大水害は、沿岸に甚大な被害を残している。京城軌道が走っていたトゥクソムの街も被災し、中洲の新川里や蚕室里、南岸の松坡里などは「街が全て流される」ほどの濁流に見舞われ、漢江自体の流路が変わるほどの大規模な氾濫だった。

1925年の大洪水については、ソウル市松坡区ホームページに日本語の解説があります。

リンク japanese.songpa.go.kr 松坡区庁 ホームページ
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漢江の大水害、トゥクソムは何とか復興できたものの、中洲の新川里や蚕室里、南岸の松坡里などは漢江の流路処理などの関係もあり復興が遅れ、松坡里は集落ごと内陸に移転。このエリアが水害から正式に復興したのは、なんと1970年代になってから。漢江の流路変更・固定で、ようやく再開発が可能に。
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京城軌道の延伸構想、大水害からの復興策という意味では事業化の価値もあったのだろうけど、先述のように漢江南岸の市街復興策が決まらない状態では延伸できるはずもなく、また南漢山城へのアプローチも勾配を考えると無理がある。実際には広壮里から架橋し漢江支流の谷筋ルートが現実的なところかと… pic.twitter.com/pBvYwvIfTs
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どうなんだろう?というときは、現地を見るのが一番。
百聞は一見に如かず。現地を訪れてみました。

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トゥクソム、今の聖水洞から漢江の南岸を見る。 1970年代の漢江流路変更・固定と大規模な団地造成で今は丘も切り開かれ、往年の雰囲気は感じられない近代的な「都市の一部」に。 pic.twitter.com/cuaOZtrohp
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まずは延伸構想の発表時に言及があった、奉恩寺・南漢山城経由のコースを辿ってみます。

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奉恩寺。21世紀の今も、参拝者が絶えない古刹。 なるほど、橋を架けてでも「ここへのアクセスルートを開拓したい」と思わせるに相応しい場所。往年を思わせる樹林と、近代的な高層ビルの対比が、眩しい。 pic.twitter.com/2ISfSE7ZMx
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新松坡(可楽)から、元の松坡里を見る。今は中洲から移った蚕室を名乗る旧松坡には、超高層タワーが。その下にある石村湖は、漢江の旧流路の名残。 松坡は漢江渡河の拠点に立った市場で賑わった場所。その市場は再び、新松坡・可楽の地に近代的な総合卸売市場として、復活。 pic.twitter.com/yTQJAvnt3u
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新松坡から南漢山城への登山口までは、丘陵地を切り開いた団地群が連なるのだけど、この道が途中からアップダウンが激しくなり、その傾斜は「これは鉄道では厳しいかも…」と思わせる箇所も。とはいえ、地形はかなり改変されているのだろうから何とも言えないが… pic.twitter.com/5Fn4AMpGnM
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いよいよ、山城へと山岳へ分け入ります。結構な、ヤマですよコレ…。一般の鉄道で登るのは、かなりキツいのではないかと… pic.twitter.com/EHKWGPzQYG
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S字・ヘアピンカーブを繰り返し、山を登りきると南漢山城に到着。朝鮮時代から日本統治時代初期までは、山城の城郭都市が広州郡の行政拠点に転じていた様子。そして稜線に延びる城郭からは、ソウルの街が一望できるそうな(時間が無かったので行ってない)。なるほど、遊園地を作るには絶好の土地か。 pic.twitter.com/BUZp0iEz1L
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山上の城郭都市、南漢山城の様子。山の中に突然現れる、小さな城郭都市。都市、とまで言えるかどうかは分からないけど、市街地は、ありました。 pic.twitter.com/fA5EYMwNLr
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昔は山城が転じて広州郡の行政拠点となっていた南漢山城から広州の実質的な市街地となる慶安(京安・現在の広州市街)へは、小川の谷筋に沿って、そこそこの勾配で降りてゆくルート。これなら、まだ頑張って鉄道を敷ける程度、かな…。でもソウル側が急峻すぎてダメか、やっぱり。 pic.twitter.com/lTpkUOUqSk
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小川に沿った谷を下ると、漢江の支流が作る広い谷筋に合流。こちらは、かなり余裕のある地形で勾配も緩やか。沿道にも、生活の匂いが漂います。この光景なら、田舎電車が似合いそう… pic.twitter.com/pMimLH2O7M
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京城軌道の延伸構想検証、さすがに南漢山城そのものを経由するのは山が険しく無理があること、大水害の復興策が定まらない漢江南岸地区へ鉄道を先行して敷くのはリスクが大きすぎること、架橋するなら安定した流路で川幅が狭い地点が有利、ということを考えると、やはり現実的には千戸・谷筋ルートか。 pic.twitter.com/VFVZxWEFZD
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