元禄大地震の津波記録

1703年12月31日に起きた元禄地震の記録に関する@kin_mokuseiさん訳による解説です。 当時の様子、今にも通じるものがあるような気がします。
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金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

死んだ人は(略)〆て三十五人、この通り地頭様へ申し上げた。

2011-03-25 22:12:33
金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

そのほか怪我をしたものが多かった。夜中時分のことだったので慌て騒ぎ、予想外のことだったので(逃げる)方角を間違え、とにかくあっという間もなく家が倒れ、一家ともに沖に押し流され、或いは(無事に)出ても川へ落ちて死ぬのもあった。

2011-03-25 22:12:40
金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

老少不定というものだが、十日後十五日後のうちは浜・磯へ死人が多数海から打ち寄せられ、昼夜分かたず犬共がこうべ手足を食いちぎり、門戸口までもくわえ歩き、恐ろしくて浜へ出さえもしなかった。たいへん見るのも無残。

2011-03-25 22:12:54
金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

浜辺の家は引き波に四方の壁、柱の木、竹が崩れ壊れ、野バラのごとくになった。哀れ無常の次第である。波は三つ打ち寄せ、二つ目と三つ目は沖より山のごとくに打ち来たった。やぐら下(結構小高い場所である)まで波が打ち寄せた。これによって打ち寄せられた死人もあった。

2011-03-25 22:13:10
金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

○○屋敷の松、幹回り二尺四、五寸もあるのが根こそぎになって、南の××門口に波にて押しつけられた(訳注:引き波方向である)。

2011-03-25 22:13:18
金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

また△△屋敷の田のふちは昔より竹藪であったのの中に松を二本植えてあって、幹回り一尺以上あったが、皆残らずショウガを欠いたように(訳注:松のねじくれた幹や根をショウガに例えている。それを欠いたというのは、折れたということ)なって○○の門口に波にて押しつけられていた。

2011-03-25 22:13:39
金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

二十三日・二十四日は外屋敷にて磯魚や大メバル、海老など、色々の魚を二、三十匹ほど拾って、寺屋台の小屋へ持って行かせた。(訳注:地震によって陸上に打ち上げられたものであろう)

2011-03-25 22:14:11
金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

外屋敷の畑の半分は作物に風が当たり、実入りが悪くなる風筋なので、竹藪にしておけば風よけにもなり、津波よけにもいい。これ以後は昔のように必ず竹くね(竹の生垣)にしておくべきだ。ある人の云うに、「本を忘れて末執る」と謂うが、なるほど昔からある竹くねを「とおさぬもの」と言い伝えている。

2011-03-25 22:14:22
金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

押し来たる波にて(中略)この台は内島のようになった。浜に置いてあった網は流れ、船は多く失われた。納屋(いわゆる浜小屋でも船網道具類を皆失った。○○はだいぶ山を買って木を切り下ろしてあったが、皆波に流してしまった。店も全壊した。とかく、つごう二百両の損失であった。

2011-03-25 22:14:40
金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

十二月六日に地頭の酒井隼人正様がこの胸お心に達せられて、騒動をご見分にご家中の千賀某、お代官の菅野某ご両人をお寄越しになって、高崎の有様をご覧になった。

2011-03-25 22:18:11
金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

○○土手のお宮が流れた。盛者必衰は逃れがたいもの、これは元禄十一年寅の年六月二十二日の夜の五ツ過ぎに○○土手の際へ大きなカメが上っていたところを掘り当て、浜の老人が集って酒を飲ませたところ、渚へ下って海へ行ったものを(続

2011-03-25 22:21:00
金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

とかく縁起が良いものとして同月二十四日に円正寺住職をして住吉大明神を勧請しその年のうちに宮を建てたものである

2011-03-25 22:22:53
しばくさ @sivaksa

黙々とノ RT @5thstar: 同じく ノ RT @ubitw: 読みふける RT @kin_mokusei: 元禄十六年癸未、正月もめでたく行って、夏は旱魃、秋は台風もなく、冬になった。霜月の下旬の二十二日は快晴、よく凪いで海上も静かなままであった。日も暮れた夜の九ツ……

2011-03-25 22:24:37
金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

同年七月十七日に(落成)披露中、鯛島へ鯨二本、前の島の内に鯨一本、以上三本跳ね上がり、これは村の吉事と皆喜んだのだった。

2011-03-25 22:24:40
金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

式文に「善を修すれば福を蒙る」と言ったが、向かいの姥神のお宮には何事もなかった。この宮は元禄十六年未の年の五月十五日杢兵衛がお宮を建て、(円正寺住職)が遷宮した(勧請のことか?)ものである。

2011-03-25 22:27:28
金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

(元禄十六年)十二月中は夜昼幾度も(余震が)止まらずに揺れ、年が明けても正月中揺るぎ、二月中旬に揺れが止まったのであった。去年の霜月末より皆個々人ごとに昼夜怠らず「万歳万歳世直し世直し」と言ったのであった。(本文終わり)

2011-03-25 22:29:52
金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

(付書始まり)上須賀町の金木玄貞老がこの書き付けを見て、添え書きに一首

2011-03-25 22:31:40
金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

長井氏は後のために記録を作った。これを見ると、「寿命は蜉蝣のごとし、蜉蝣の朝に生まれて夕に死す、身体は芭蕉の如し、風に従って壊れやすし」と古人の言葉を記している。

2011-03-25 22:33:13
金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

宮の落成は元禄十一年七月十七日、クジラが跳ね上がったのはその日。地震は元禄十六年十一月二十二日です。 QT @sriwygre: 鯨類が湾岸へ異常接近することと地震との因果関係ってあったりするのかな、と。

2011-03-25 22:35:12
金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

讃に曰く。身命は八十年、意は是万代に残し置、子孫繁栄に腰折れの一句 (身体と命は八十年、だが思いは万代に残す。子孫繁栄のために腰折れの一句)

2011-03-25 22:37:43
金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

あだな身に智恵を包て浮世成り このみ落てもすゑのたね哉 (かりそめの肉体に智恵を包んで浮き世に生まれた。この身が落ちても末の世の種となるのだ:ミは身と実の掛詞)

2011-03-25 22:37:54
金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

あだな身に智恵を包て浮世成り このみ落てもすゑのたね哉 (かりそめの肉体に智恵を包んで浮き世に生まれた。この身が落ちても末の世の種となるのだ:ミは身と実の掛詞)

2011-03-25 22:37:54
金木犀@火箭迷 @kin_mokusei

以上、高崎浦津波記録の現代語訳です。一部伏せ字だったり省略だったりするのは、お察し下さい。

2011-03-25 22:38:48